どういうわけかDS〈男子小学生〉の俺は、高難易度青春ラブコメに挑んでいる。

黒虱十航

親に、死ねって言われても……②

 ワンテンポで響いている音に気付く。きっと、さっきからずっと同じ音がこの空間に響いていたのだろう。それなのに気付けなかったのは音を聞こうとしていなかったからだ。意識しないと耳を使えない程のパニックに陥っていた現状が、如何に危機的であるか思い知る。
 でも、周囲を見たおかげで少しは落ち着いた。今なら多少は声を出せるはずだ。喉と腹に力を込めて、声帯を振動させる。
「どうして?」
 紅蓮の死神に問う。見ると、彼も母さんと同様に白いワイシャツを赤黒い川が流れていた。川の源が首元ではなく腹部なのが違いだろう。それでも白いワイシャツに飛び散った血がつくせいで、紅色の水玉模様が出来ていて、腹部より上も真っ赤だった。
 口内に溜まった血液と唾液を飲み込む。さっきまで生温かかった液体が、酷く冷たい。体が冷え切っているせいだろう。


「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん」
 僕の問いへの答えを用意されることはなかった。ただ彼は何度も何度も謝り続ける。謝罪を繰り返す親父の姿には見覚えがある。電話越しに謝罪をしているのに、どういうわけか頭をぺこぺこと下げている様子が脳裏に浮かぶ。
 けれどその時と今では謝罪の種類が違う。今の謝罪には全く感情が込められておらず、ただ必死に、許してくれと依頼するだけの機械のように見える。恐ろしいほどに無感情な親父の謝罪に心臓が凍りそうになる。


「どうして?」
 きっと答えは返ってこない。そう分かっているのに問うのは残酷だろうか。ああ、きっと残酷だろう。理解している。
 でも尋ねてしまうのは、俺がまだまだ子供だからだろう。拳を強く握り締めながら、紅蓮の死神の瞳を見つめる。
「なあ、親父。どうしてだよ。幸せだっただろ。何一つ問題なんて――」
 言葉が途切れる。紅蓮の死神の瞳に一枚の紙が映ったのが見えたからだ。その紙がある方に目を向けることで、その紙が何であるかが分かった。


 リストラ通知。会社で働くサラリーマンにとっては、死刑宣告のような恐ろしい紙だ。それを受け取ったことは、高校生の俺には当然ないのでどんなに恐ろしいのかは想像をするしかないので100%は分からないが、ある程度想像することくらいは難くない。
 恵まれていないわけでも、恵まれているわけでもない俺の家族に問題なんてないと思っていた。これからもずっと問題はできないだろうと思っていた。
 だが、それは違った。こうなることだって想像に難くないはずだったのだ。それなのに想像できなかった自分が憎い。


 あんなにも毎日毎日謝罪をしている親父を見て、不審に思うべきだったのだ。多少謝罪をするのではなく、毎日懇願するように謝罪をする親父を、怪しむべきだった。親父は、もしかしたら仕事が出来ないのではないか、と疑うべきだった。
「チッ」
 自分への舌打ちは心の中だけに留まらず、その空間中に響いた。駄目な自分を再認識する。
「分かった。殺ってくれ」
 そんな駄目な自分が、普通な自分が、運命に、苦しんで決断した親の意思に逆らっていいはずがない。中途半端な親孝行の気持ちと、中途半端な反抗の気持ちが混ざりあった口内の血と唾液を吐き出して、紅蓮の死神を見て頷く。
「親父、お前が死ぬ前に殺れ」
 この声はおそらく聞こえていない。それでも声を出したのは親父の覚悟を脳に刻むためだ。死んでも忘れない。親父の生き様を。


 すぐにでも死にそうだというのに、俺が自殺をしなくて済むように狂人になっても生きて、俺を殺してくれる。そんな、親の優しさへの感動を忘れちゃいけない。大丈夫だ、親父。俺はあんたみたいにならない。あんたみたいな、仕事の出来ない人間には決してならない。天国に行っても、地獄に行っても、馬車馬の如く働いてやる。
「さぁ、早く」
 ほぼ白目になっている親父に言った瞬間、血だらけの刃は俺の人生を終わらせるために俺の首に飛び掛ってきた。嫌に温かい刃が首に触れ、痛みが生じる。
 すごく痛いせいで、涙が滲む。それにより、思考が加速した。


 ――ちょっと待てよ。どうして俺が死なないといけねぇんだ。親父がリストラされたのは紛れもなく親父のせいじゃねぇか。家事をやっていた? 母さんが鬱病になったのだって元はと言えば、親父が不倫をしたせいじゃねぇか。
 ここで死ねるかよ。俺には、読みたい本がたくさんあるんだ。文学研究だって、思うように出来ていない。親父と母さんに巻き込まれて、そんな山ほどあるやりたいことを捨てられるか。


「ざけんなっ」
 叫びながら右手で刃を払おうとする。ありえない。どうして俺が死なにゃならんのだ。別に武術を心得ているわけではないが、中年の親父くらいには負けないだろう。
「ぬっ」
 親父が声を漏らした。もうほとんど死んでいる親父の声には、生気を感じられない。まるで獣のような、野生的な声と同時に、親父は払われた刃を拾って、第二撃を食らわせてきた。
「チッ」
 今度の舌打ちは、自分へのものではない。首元の痛みと諦めの悪い親父へのものだ。俺が自分に舌打ちをする必要なんてない。悪いのは全部こいつだ。後ろに軽くジャンプをしながら立ち上がり、第二撃も手で払う。包丁を取り上げられればよかったのだが、それは叶わなかった。家の外に出るために扉を開き、俺は外に走り出す。


「待て」
 どす黒い声を出す親父を無視して、全力で走る。すると、親父も野獣のように狂いながら走ってくる。
「何だよ、どんだけ速いんだよ」
 叫ぶと喉が痛むのだが、それでも叫んでしまいたくなるほどに親父は速かった。運動が苦手な俺だが、まさか中年に負けるとは思っていなかった。おそらく、その油断が裏目に出たのだろう。いつの間にか、俺は親父に手を掴まれていた。


 叫ぶしかない。そう思って口を開いた途端、腹部に強烈な痛みが走った。刺されたのかと思い、腹部に目を向けるが血は出ていない。
「痛っ、この野郎」
 腹部に血が出ていないと確かめた瞬間、今度は背中に痛みが走った。それで、ようやく俺が蹴られて吹き飛ばされたんだということに気付く。どうして、親父は死にかけなのにこんなに力が強いんだろうか。今の蹴りのダメージが半端無い。腹筋はもうぶっ壊れそうなくらい痛んでいるし、背骨ももしかしたら一本くらい折れてるかもしれないってくらい痛む。


「死ね、死ね、死ね」
 親父が連呼する言葉に呆れる。さっきの謝罪の言葉は一体なんだったのか。もはや、謝罪をする機械ではなく、俺を殺す殺戮兵器と化していた。こいつ、本当に人間失格だな。親失格なのはもう分かりきってることだろうけど。
 親父程度には負けないと思っていたが、今の親父に勝てる気がしない。さっきの蹴りの痛みが残ってるせいで、思うように身動きも取れないだろう。こうなりゃ、痛み覚悟で叫ぶしか――
「っ、嘘だろ」
 ――刹那、腹部に痛みが走った。しかも、さっきの蹴りなんか比にならないくらいのとんでもない痛みだ。その痛みが何によるものか、腹部を確認せずとも分かった。


 包丁で刺されたのだ。何の迷いもなく、親父は俺の腹を刺してきやがった。当然、腹から血が噴出す。
 親父の瞳は完全に光を失い、俺の腹部を何度も何度も刺してくる。その姿は完全に殺人鬼だった。心中なんて綺麗なもんじゃなかったんだ。こいつがやろうとしてのはただの殺人だった。
 そのことに気付いたのが後数分早ければと思い、悔やし涙を流した瞬間、世界は真っ黒になった。

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