NO LOVECOMEDY NO YOUTH

黒虱十航

赤い方2

当然のように俺は足をもつれさせ、ついに転んでしまう。アスファルトの上、僅か数十センチメートルを滞空移動しながら、少しずつ落下する。それはまるで航空機の墜落のようだった。
 はっきり言って、俺は何が起きたのかを理解できておらず、故に足掻くこともできなかったのだ。
「ぐふっ」
 と、だらしのない声と共にアスファルトに体から倒れると、薄い運動着がすれて、袖から出ていた腕や足に擦り傷が出来る。
「いてぇ」
 と、呟き、ひりひりする腕と足を庇いながらも俺は後ろを向いた。そこにはきっと少年がいる。あんな動きを出来るのはもうワーカーズ以外ありえない。そう思って、歯を食いしばって振り向くと、そこには俺を上から見下ろす、冷たい目をした少年がいた。
 茶色めの髪。幼い顔。少年は、男の娘といって差し支えないほどに可愛かった。それでも少年だ、と認識できるのは彼の目のおかげだ。
 その黒い瞳を見て、省木の顔がフラッシュバックする。似ている。容姿はまったく似ていないのにその目は、嫌気が差すほどに似ている。鋭い目。見ていると、吸い込まれそうになる深い闇。凍てつく視線。
 それは、そう。
 償えない罪を背負うことになって、大切なものを失って。それでも目的のための自分のの武器にし続ける。そんなものを持っているエキスパートそっち側の目だった。
 悪魔、と言っても差し支えない。けれど、あえてこう評そう。
 堕天使、と。
「ワーカーズなんてものは、存在、しない」
 堕天使がそう、静かに告げる。殺気のこもった声は、俺の喉を貫くように放たれる。全力で睨んでくる少年の後ろに幽霊の一つや二つ、見えそうな気がした。
「覚えとけ。ワーカーズは、オレが潰す。復活させようなんて、無駄だ」
 俺がしようとしていることを彼は分かっていた。その上で彼は俺を追い越し、無視し、そして蹴る振りをして回避することで転ばせた。全部計算だったのだ。こうするための、計算だった。そう思うと畏怖さえ抱く。
 少年が俺の手首を掴む。そして、俺のつけていた指輪を見た。ギロリ、と突き刺すような目で指輪を睨むと、少年は指輪を俺の指から抜こうとした。それだけは駄目だ、と思って俺は、少年の手を振りほどき、急いで退いた。
「早くワーカーズ集めなんてやめることをおすすめするよ」
「……断ります。次は、二人で倒しますよ」
 恐怖はある。でも、それ以上に俺は好奇心で震えた。
 翼ならどうするだろう。翼と俺で協力したらこの堕天使にも勝てるのだろうか。そんな疑問は浮かびもしなかった。
 愚問だ。俺たちなら勝てるに決まっている。きっと翼が緻密な作戦で俺を導いてくれるはずだ。それは、迷いも無く言える。
 俺が気になってしょうがないのは、実際に戦ったときのスリルだ。どんなことで戦うのか分からない。イベントの成功に関わることなのかもしれない。でも、どちらにしてもきっと最高に楽しい。最高にスリルがある。だから、わくわくする。
「そうか。愚かな」
「愚かでもなんでも、良いです」
 そう言うと、少年は呆れた顔をして、去っていった。
 その後ろ姿はどこか憎悪に満ちていた。きっとそれは、活動日誌の最後に書かれていた行事と関連しているのだろう。
 それは、僕らが、そして彼らが中学三年生だった時のことだ。


 受験真っ盛りの十二月。ワーカーズに舞い込んだのはクリスマスイベントの運営という大仕事だった。
 書類の作成も大量にある。そんな中で、受験と重なる故に一人ひとりの労働も多くはできない。そんな状況で、推薦がほぼ確定している面子数名がメインとなって動いた。
 しかし、その中に指揮官の省木は入っていなかった。ワーカーズとは、基本的に省木の魅力に惹かれた集団だ。省木がいなくとも統率は執れるだろうが、省木がいないというのは精神的に致命的だったであろう。
 事実、そのクリスマスイベントは失敗した。
 何があったのかは分からない。ただ、途中から省木もメインで働いたということは分かっている。逆に言えば、それしか分かっていない。
 それまでは省木の指示によってばらばらに動いていた。だから各自が何をやったのか分かり、活動日誌も詳細に書かれていた。しかし、クリスマスイベントでは、各自が指揮官がいない中、話し合いで役割を決めてばらばらに動いた。だから、活動日誌にも詳細なことは書かれていなかった。
 だからどうしてワーカーズというエキスパート集団が失敗したのか分からない。あんなチート集団、規模をでかくして大成功を収めることはあっても、失敗なんてしなさそうなのに。
 だから、分からずにずっと悶々としている。


 仮に、少年のあの後ろ姿が何か関係しているのだとすれば、きっと省木は恨まれることをしたのだろう。それはきっと、勉強していて途中まで参加しなかったからではないと思う。彼が獣田なら、彼もまた勉強は駄目なはず。責められるはずがないのだ。
 考えても分からなかった俺は、考えるのをやめて家に帰ることにした。
「ッー」
 不意に、右足に激痛が走る。足首が破裂するように痛んだ。声にならない痛みは、骨の髄にさえ及ぶほどに弾ける。どうしたのだろう、と思って右足首に目を向けた。そのときの顔はきっと、かなり引き攣っていただろう。おかしくなるくらい痛い。
 足首は腫れ、僅かに変色していた。経験した事はないが、以前、サッカー部員が言っていたのを聞いたことがある。捻挫では、内出血になることは珍しくないんだと言う。きっと、この痛みは捻挫だ。捻挫がこんなに痛いものだとは思わなかったが。
 おそるおそる立ち上がろうとするも、やはり痛くて立てない。多分、我慢して自力で帰ろうものなら更に悪化してしまうだろう。
 とはいえ、案外、俺は知っている連絡先が少ない。クラスの人の連絡先は案外知らないのである。そこまで親しくなる人はいないのだ。皆のアイドルになっている弱みだ。
 もちろん、省木や三九楽の連絡先も知らない。悪魔先生の連絡先だって知っているはずもない。唯一知っているとすれば……翼だ。
 別に連絡先を交換したわけではない。正直、昨日は連絡先を交換するのを完全に忘れていた。けれど、俺は一方的にではあるものの彼女の連絡先を知っているのである。
 何故か。簡単だ。悪魔先生がくれた翼の情報をまとめた書類に書いてあったのである。彼女のスマホのメールアドレスが。本当にどうやって調べたのだろうと怖くなるが、まあ助かった。
 そう思って俺はポケットからスマホを取り出し、翼にメールを送る。
『翼へ。
 赤木原だ。悪い、先生にもらった書類に載ってたメールアドレスに送る。急で悪いけど助けてくれ。完全に身動きが取れない』
 それだけ送れば、きっと翼なら分かってくれるだろうと思った。あらゆる手段を用いて俺を見つけてくれるだろう、と思ったのだ。信頼なんて安いものじゃない。確信だ。俺なら絶対に見つける。だから絶対に俺も翼に見つけてもらえる、という。
 傲慢かもしれない。でも、俺たち紫はそれが許される。まだ出会って二日目だがそれは分かる。
 すると、メールの返信が来た、ぶるる、とスマホが震えたのでメールに気付き、俺は中身を見る。
『電話』
 たった一文。けれど、その一文に意味があるのだと分かったから意味は問わずに俺は翼の電話番号に電話をかけた。

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