アール・ブレイド ~メルビアンの老騎士と姫君~
プロローグ ◆懐かしい夢と美味しい香り~ある辺境の片隅で
夢を見ていた。
懐かしい、懐かしい故郷の夢だ。
傍には、父親がいて、その隣に幼い頃の私がいる。
「リンレイ、見てごらん」
父が指差す先には、黄昏色に染まる荒野が広がっていた。
「まだ、テラホーミングも開拓も終わっていない土地だが、たくさんの資源がある。それを上手に使い、民を潤すのが、私達の役目だ」
「うん」
「とても大変な役目だが、きっとお前にならできるだろう」
「父様がやったように?」
私の答えに父は嬉しそうに笑い返してくれた。
「そうだな。できれば、私以上に良い働きをしてもらえると嬉しいんだがね。こればっかりはまだまだ先の話だ」
もう一度、地平線の果てに沈む夕日を眺めた。
美しい光景だと、幼心に感じたものだ。
「さあ、帰ろう。母さんも待ってるぞ」
「うんっ!」
父に抱きかかえられた温もりが、とても暖かく感じられた……。
はっと目が『覚めた』。
ゆっくりと辺りを見渡す。
あるのは、質素な家具と閉められたカーテンが、ゆらりと揺れているだけ。
そこは他愛のない、自分の部屋だった。
ただ、夢の世界と違うのは。
起き上がり、立ち上がろうとしたが、無理だった。
数年前からもう、足が麻痺してしまい、立てなくなっていた。
ベッドの傍には、愛用の車椅子が影を下ろしている。
「昔の、夢……か」
嬉しいはずなのに、その顔は冴えない。
その気持ちを奮い立たせるように、彼女は部屋のカーテンに手を延ばした。
朝日を浴びたら、この気持ちが晴れると思って。
だが、残念ながら、それはできなかった。
「くっ……」
後、もう少しという所で、カーテンに手が届かなかったのだ。
リモコンでカーテンを動かすことができればいいのだが、そんな贅沢はしていられない。
そんな生活は、望んでも無理なものなのだ。これからも、きっと……。
「姫様?」
後ろからしわがれた声がかかる。
「じい……」
彼女よりもふた周りほど年上の男性が部屋に入ってきた。
年の割には、背も高く、腕も足も太い。とはいっても、中年太りというわけではない。鍛え抜かれた体躯。それはかつて、男性が過去に鍛えた賜物であった。今はその殆どが機械によって補われているのが、残念なところだろうか。
「このじいが開きましょう」
しゃらんとカーテンレールの心地よい音と共に、朝日が部屋へと差し込んでゆく。
「ありがとう、じい」
その光の眩しさに彼女は、瞳を細めるも、先ほどのささくれた気持ちが幾分、和らいだように思える。と、とたんに彼女の鼻は、目ざとく嗅ぎ取った。
「今日はポトフ?」
答えを導き出し、彼女の顔が思わず綻ぶ。
その様子に男性も口元を綻ばせた。
「ええ、ポトフでございますぞ。今日は姫様にとって、大切な日ですから」
ポトフは、この家にとって、大事なときに出されるご馳走であった。
けれど、彼女はその言葉に違和感を覚えた。
「私の誕生日は、まだ先だ」
彼女はそういって、ベッドの上で方向回転し、すぐに降りれるように体勢を整えた。
男性は、慣れた手つきで車椅子を持ってくると、彼女を抱きかかえてベッドから降ろし、その椅子に座らせた。
「そうですな」
男性のその言葉に、彼女はむっとした表情を浮かべた。少し考えた後にもう一度、口を開く。
「じいの誕生日……も、まだ先か」
男性の誕生日にしては、若干早すぎる。まだ数週間も先なのだから。
考えているうちに、車椅子は、食卓に到着していた。
彼女達を出迎えるのは、焼きたてのパンと、湯気を立てて待っているポトフ達。
「今日も旨そうだ」
彼女は考えるのを止めた。
考える前にまずは、目の前のものを食べようと決めたのだ。けっして、食欲に負けたのではない。だが、その理由は彼女のおなかの音が知っているのかもしれない。
彼女の口に美味しいポトフが運ばれる。その手にある銀の匙は、その柔らかさを教え、蕩けるような美味しさをも運んできていた。
そういえばと、思う。この料理は、材料を特殊な鍋で数分煮込むだけで完成するらしいのだ。
「じい、今度、ポトフの作り方、教えてくれないか」
「おや、姫様が料理するなんて、珍しいことですじゃ」
「いいじゃないか」
図星を言われて、彼女は不満を顔に出した。
そうではないのだ。
先ほど思い出した、男性の誕生日。その日に、自分がこの料理を出してやろうと思い立ったのだ。けれど、そのことは。
「やっぱり止めておく。それより、おかわり」
差し出してきた空っぽの皿に男性は、微笑みながらも。
「花嫁修業するのかと思い、このじい、ちょっと感動したんですぞ?」
「いいったら、いいんだ」
そう、こういうのは、内緒で準備して驚かすのが一番だ。だから、彼女は後でネットで調べてやろうと決めたのだ。特殊な鍋とやらの使い方も覚えなくてはならないのだ。これから忙しくなる、そう思うと、心が弾んでくる。
知らぬ間に、さっき男性の言っていた『特別な日』のことなんて、彼女はもう忘れていた。
「じい、もう一杯」
「姫様、食べすぎですぞ」
彼女は心の中で願う。
―――幸せなこの時間が、このままずっと続けばいい、と。
時は遥か未来。
限界を迎えた惑星から、いつしか人々は、宇宙に飛び出していった。
しかし、宇宙ほど無限に広がる場所は無い。少し間違えば遭難してしまうほど、宇宙と言う場所は広くて恐ろしい場所なのだ。
そこで、星の位置を基準としたワープ技術が開発された。
星と星を繋ぐ『プラネットゲート』。
この方法でなら迷うことなく一気に、より安全に長距離を跳躍することができる。また、ゲート間ならば、どんな距離があっても数日で行き来できる。
星と星が繋がる。未開発の星が、人々の手によって新たな町や都市へと発展していく。
発達するのは、星の開拓だけではない。
ワープ技術を生み出した、科学は新たなものを更に人々にもたらしていった。
星と星を行き来する宇宙船もその一つ。
宇宙を見上げれば、駆け巡る宇宙船。
その船は、様々な荷物と共に、人々の想いも運んでゆく……。
そこは、とある銀河の辺境の街。
彼はその街の、薄暗いバーのカウンターに座っていた。
人は少ない。なんの変哲も無い平日の夜なら、仕方のないことだろう。
けれど、彼は一人でアルコール度数の高い酒ばかり頼んでいた。
今もウォッカの水割りを頼んで、ちびちびと飲んでいる。
「あれ? 先生がここにいるなんて珍しいなぁ。いつものように、ガレージで修理してるんじゃなかったのか」
突然、声を掛けられ、彼は振り向いた。
眼鏡を掛けた青年。長いぱさついた茶髪を一つにまとめて、先生と呼ばれた青年は視線をもう一人の彼に向けた。先生というには、いささか若いようにも見えるが……。
「ザムダ?」
「人の顔は分かるんだな」
先生の隣にもう一人、どっかと座る。
ザムダと呼ばれた男性は、先生よりもやや年上のようにも思えた。
薄汚れたその作業服は、この近所の炭鉱に勤める者が着る制服のようなものだ。
日に焼けた肌にガタイの良い体躯。カウンターのスツールが、少し小さく見えるのは、気のせいだろうか。
そんなザムダも、酒を注文する。
受けたカウンターのマスターは、静かにけれど手早く。
出来た酒をそっと差し出すと、ザムダは嬉しそうにそれを口にした。
と、それを見計らってか、先生が口を開いた。
「人はなんて、無力なんでしょうね」
「哲学っぽい話か? 先生らしいな。また面倒なことを考えて……」
ザムダが二口めを飲んで、先生を見る。
「人一人の力なんて、たかが知れてるんです……例えばそう、あの男のように」
「話なら、付き合ってもいいぜ。どうせ明日は休みだしな」
にっと笑みを浮かべるザムダに、先生は僅かに笑みを見せた。
「ある男の話ですよ」
からんと氷が落ちるグラスを置いて、先生はザムダに向き直る。
ザムダも酒を飲みながら、その話に耳を傾けた。
懐かしい、懐かしい故郷の夢だ。
傍には、父親がいて、その隣に幼い頃の私がいる。
「リンレイ、見てごらん」
父が指差す先には、黄昏色に染まる荒野が広がっていた。
「まだ、テラホーミングも開拓も終わっていない土地だが、たくさんの資源がある。それを上手に使い、民を潤すのが、私達の役目だ」
「うん」
「とても大変な役目だが、きっとお前にならできるだろう」
「父様がやったように?」
私の答えに父は嬉しそうに笑い返してくれた。
「そうだな。できれば、私以上に良い働きをしてもらえると嬉しいんだがね。こればっかりはまだまだ先の話だ」
もう一度、地平線の果てに沈む夕日を眺めた。
美しい光景だと、幼心に感じたものだ。
「さあ、帰ろう。母さんも待ってるぞ」
「うんっ!」
父に抱きかかえられた温もりが、とても暖かく感じられた……。
はっと目が『覚めた』。
ゆっくりと辺りを見渡す。
あるのは、質素な家具と閉められたカーテンが、ゆらりと揺れているだけ。
そこは他愛のない、自分の部屋だった。
ただ、夢の世界と違うのは。
起き上がり、立ち上がろうとしたが、無理だった。
数年前からもう、足が麻痺してしまい、立てなくなっていた。
ベッドの傍には、愛用の車椅子が影を下ろしている。
「昔の、夢……か」
嬉しいはずなのに、その顔は冴えない。
その気持ちを奮い立たせるように、彼女は部屋のカーテンに手を延ばした。
朝日を浴びたら、この気持ちが晴れると思って。
だが、残念ながら、それはできなかった。
「くっ……」
後、もう少しという所で、カーテンに手が届かなかったのだ。
リモコンでカーテンを動かすことができればいいのだが、そんな贅沢はしていられない。
そんな生活は、望んでも無理なものなのだ。これからも、きっと……。
「姫様?」
後ろからしわがれた声がかかる。
「じい……」
彼女よりもふた周りほど年上の男性が部屋に入ってきた。
年の割には、背も高く、腕も足も太い。とはいっても、中年太りというわけではない。鍛え抜かれた体躯。それはかつて、男性が過去に鍛えた賜物であった。今はその殆どが機械によって補われているのが、残念なところだろうか。
「このじいが開きましょう」
しゃらんとカーテンレールの心地よい音と共に、朝日が部屋へと差し込んでゆく。
「ありがとう、じい」
その光の眩しさに彼女は、瞳を細めるも、先ほどのささくれた気持ちが幾分、和らいだように思える。と、とたんに彼女の鼻は、目ざとく嗅ぎ取った。
「今日はポトフ?」
答えを導き出し、彼女の顔が思わず綻ぶ。
その様子に男性も口元を綻ばせた。
「ええ、ポトフでございますぞ。今日は姫様にとって、大切な日ですから」
ポトフは、この家にとって、大事なときに出されるご馳走であった。
けれど、彼女はその言葉に違和感を覚えた。
「私の誕生日は、まだ先だ」
彼女はそういって、ベッドの上で方向回転し、すぐに降りれるように体勢を整えた。
男性は、慣れた手つきで車椅子を持ってくると、彼女を抱きかかえてベッドから降ろし、その椅子に座らせた。
「そうですな」
男性のその言葉に、彼女はむっとした表情を浮かべた。少し考えた後にもう一度、口を開く。
「じいの誕生日……も、まだ先か」
男性の誕生日にしては、若干早すぎる。まだ数週間も先なのだから。
考えているうちに、車椅子は、食卓に到着していた。
彼女達を出迎えるのは、焼きたてのパンと、湯気を立てて待っているポトフ達。
「今日も旨そうだ」
彼女は考えるのを止めた。
考える前にまずは、目の前のものを食べようと決めたのだ。けっして、食欲に負けたのではない。だが、その理由は彼女のおなかの音が知っているのかもしれない。
彼女の口に美味しいポトフが運ばれる。その手にある銀の匙は、その柔らかさを教え、蕩けるような美味しさをも運んできていた。
そういえばと、思う。この料理は、材料を特殊な鍋で数分煮込むだけで完成するらしいのだ。
「じい、今度、ポトフの作り方、教えてくれないか」
「おや、姫様が料理するなんて、珍しいことですじゃ」
「いいじゃないか」
図星を言われて、彼女は不満を顔に出した。
そうではないのだ。
先ほど思い出した、男性の誕生日。その日に、自分がこの料理を出してやろうと思い立ったのだ。けれど、そのことは。
「やっぱり止めておく。それより、おかわり」
差し出してきた空っぽの皿に男性は、微笑みながらも。
「花嫁修業するのかと思い、このじい、ちょっと感動したんですぞ?」
「いいったら、いいんだ」
そう、こういうのは、内緒で準備して驚かすのが一番だ。だから、彼女は後でネットで調べてやろうと決めたのだ。特殊な鍋とやらの使い方も覚えなくてはならないのだ。これから忙しくなる、そう思うと、心が弾んでくる。
知らぬ間に、さっき男性の言っていた『特別な日』のことなんて、彼女はもう忘れていた。
「じい、もう一杯」
「姫様、食べすぎですぞ」
彼女は心の中で願う。
―――幸せなこの時間が、このままずっと続けばいい、と。
時は遥か未来。
限界を迎えた惑星から、いつしか人々は、宇宙に飛び出していった。
しかし、宇宙ほど無限に広がる場所は無い。少し間違えば遭難してしまうほど、宇宙と言う場所は広くて恐ろしい場所なのだ。
そこで、星の位置を基準としたワープ技術が開発された。
星と星を繋ぐ『プラネットゲート』。
この方法でなら迷うことなく一気に、より安全に長距離を跳躍することができる。また、ゲート間ならば、どんな距離があっても数日で行き来できる。
星と星が繋がる。未開発の星が、人々の手によって新たな町や都市へと発展していく。
発達するのは、星の開拓だけではない。
ワープ技術を生み出した、科学は新たなものを更に人々にもたらしていった。
星と星を行き来する宇宙船もその一つ。
宇宙を見上げれば、駆け巡る宇宙船。
その船は、様々な荷物と共に、人々の想いも運んでゆく……。
そこは、とある銀河の辺境の街。
彼はその街の、薄暗いバーのカウンターに座っていた。
人は少ない。なんの変哲も無い平日の夜なら、仕方のないことだろう。
けれど、彼は一人でアルコール度数の高い酒ばかり頼んでいた。
今もウォッカの水割りを頼んで、ちびちびと飲んでいる。
「あれ? 先生がここにいるなんて珍しいなぁ。いつものように、ガレージで修理してるんじゃなかったのか」
突然、声を掛けられ、彼は振り向いた。
眼鏡を掛けた青年。長いぱさついた茶髪を一つにまとめて、先生と呼ばれた青年は視線をもう一人の彼に向けた。先生というには、いささか若いようにも見えるが……。
「ザムダ?」
「人の顔は分かるんだな」
先生の隣にもう一人、どっかと座る。
ザムダと呼ばれた男性は、先生よりもやや年上のようにも思えた。
薄汚れたその作業服は、この近所の炭鉱に勤める者が着る制服のようなものだ。
日に焼けた肌にガタイの良い体躯。カウンターのスツールが、少し小さく見えるのは、気のせいだろうか。
そんなザムダも、酒を注文する。
受けたカウンターのマスターは、静かにけれど手早く。
出来た酒をそっと差し出すと、ザムダは嬉しそうにそれを口にした。
と、それを見計らってか、先生が口を開いた。
「人はなんて、無力なんでしょうね」
「哲学っぽい話か? 先生らしいな。また面倒なことを考えて……」
ザムダが二口めを飲んで、先生を見る。
「人一人の力なんて、たかが知れてるんです……例えばそう、あの男のように」
「話なら、付き合ってもいいぜ。どうせ明日は休みだしな」
にっと笑みを浮かべるザムダに、先生は僅かに笑みを見せた。
「ある男の話ですよ」
からんと氷が落ちるグラスを置いて、先生はザムダに向き直る。
ザムダも酒を飲みながら、その話に耳を傾けた。
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