戒められし者

Memory☆彡.。

二十三.母の兄・ハジャレン

 シャラは、マーサーの手紙が来てから、カヤンの獣舎にほとんどこもりっきりになった。
 でも、やはりカヤンが外に出たがるため、夜遅くなり、真っ暗になってから、見渡しノ丘に行くようになった。
 だが、雪が降って歩けないため、完全防寒でカヤンの背に乗せてもらって、丘へと行っていた。
 風が吹くと喜ぶカヤンの足元で、星をぼんやりと見上げていた。
 「[輝きたる星の光、美しくとも神秘なる光なり。そなたが迷いしその時、この光を眼中に入れれば、そなたを正しき道へ歩ませる。]か…。お母様…聞こえてるかな。」
 その時、森の方でパキッと小枝を踏む音が聞こえた。
 はっとして、立ち上がった。
 ここのところ、ずっとこの暗闇の中で星を見ていたから、これまでよりも夜目がきくとはいえど、うまく見えない。
 それが、ついこの前、この場所で目にしたアントナ国の近衛兵だと分かり、頭がすうっと冷たくなったのが分かった。
 「あ…カヤン…戻ろう…」
 その瞬間、その男が何かを口元へ持っていった。
 月明かりに照らされたそれが、止め笛であることに気がついたのは、男が息を吸った時だった。
 「あ!だ、だめ!」
 叫んだのと、男が笛に息を吹き込んだのが、同じタイミングだった。
 甲高い音が消えたあと、カヤンをそっと見上げると、硬直していた。
 むき出しになった、木橋をもろともせずこちらに来ると、男は無感情な声でこう言った。
 「ほう…ここまで似ているとは。そなたは、リヨンの娘だろう?…奥に来てくれ。このイシュリの目から見えないところで、話をしたい。」
 シャラは、声もなく、頭巾を脱いでいく男を見つめた。
 月明かりに照らされた、男の顔を見て、シャラは身震いした。
 静かに自分を見下ろす男の目は、鮮やかな青ノ瞳だった。
 
 「そこに座ってくれ。」
 言われた通り、草地に腰を下ろした。
 「寒くないか?」
 死にそうなほど寒かったが、首を振って、寒くないと伝えた。
 すると男は、「嘘つけ」と呟くと、来ていた上着を脱ぎ、肩にかけてくれた。
 「ありがとうございます…」
 そこで、男の顔がほころんだ。
 「そうか…声もここまで似るものなんだな…。俺は、ハジャレン・バス・アスジオというんだ。リヨンから、俺のことを聞いていないか。」
 少し考えてから、ふと思い出した。
 「お母様の…お兄さまでは…?違いますか?」
 ハジャレンが、微笑んだ。
 「そうだ。つまり、そなたの叔父の立場となる。」
 鼓動がはやくなった。
 サリムの他にも、身内がいる。
 その事実は、厳しい寒さにも関わらず、心を温かくした。
 だが、その瞬間に、ハジャレンは、その心を冷やすような、冷たい言葉を浴びせた。
 「シャラ、そなたは今の暮らしに満足なのか?」
 つきん、と胸が傷んだ。
 今の脅威に晒され続けている日々には、正直うんざりしていたからだ。
 黙り込んだシャラを見たハジャレンの口に、微笑が浮かんだ。
 「そこまで答えに迷うとはな。だが、全てが満足していないわけではなかろう。ここの生活は、結構いいものだろう?もっとも、マーサー・アントナの身勝手な行動に関しては、満足するなど決してないだろうがな。」
 驚いて、ハジャレンを見た。
 ハジャレンは、無感情な声のわりには、優しい目をしていた。
 「マーサー王のことを知っているのですか?そして…なぜ、その格好を?なぜ私に会いに来たのですか?」
 ハジャレンの顔に、苦笑が浮かんだ。
 「たくさん質問があるようだな。一つずつ説明してやろう。どのみち、毎日のように獣舎に泊まりこんでいるのだから、帰りが遅くなるのは、心配なかろう。」
 星を少し見上げてから、ハジャレンはシャラに視線を戻した。
 「俺は、そなたのことをずっと見ていた。マーサー・アントナは、魔術ノ民の間でも、傲慢な王として有名だ。この近衛兵の服は、家に変装道具としてあったものだ。残念ながら、そなたのことを警戒させたようだが。」
 「…どこで私のことを?」
 「そなたのことを知ったのは、リヨンが処刑される時だ。河に流されたお前を、途中で見逃したのが、唯一の失態だったが…簡単に見つけることが出来た。」
 「…なぜ?」
 「森のすぐ横に、そなたの兄は住んでいただろう?森は、我々が放浪している場所。その真横に住むなど、見つけてほしいと言うようなものだ。たやすく見つけることが出来た。」
 「…なぜ、私を探していたのですか?」
 ハジャレンは、顎に手を当てながら言った。
 「…リヨンから操りノ術を教えてもらったか。」
 頷くと、ハジャレンは深いため息をついた。
 「操りノ術は、危険な術だ。決して人前で使ってはならないもので、使えば死に値する大罪とされている術だ。それを目の前で使われた者を、我々が探さないとでも?それに…この術には、他人に話してはならないという掟も存在するからな。」
 そんな話は、初めて聞いた。
 そう伝えると、ハジャレンの顔に驚いたような表情が浮かんだ。
 「リヨンは、それを教えなかったのか?そなたはどこまで教えてもらっているのだ?」
 「操り方、禁忌であり、使えば死に値する大罪となることしか…」
 ハジャレンは、わずかに顔をゆがめた。
 「操り方まで教えたのか…。たとえ娘でも、教えてはならぬものだというのに…。だが、あの処刑の時以外、リヨンはその術を使っていないか?」
 頷き、処刑の前日の夜、母が、止め笛を、炉に投げ込んだことを伝えた。
 ハジャレンの顔が、ふっと悲しげになった。
 「あいつは、止め笛を…操りノ笛ですら、嫌っていた。獣を、生まれたままに生かしてあげたい…これがリヨンの口癖だった。…そういえば、操りノ笛は二つ持つのが決まりなんだ、なぜかは分からぬが。一つは、リヨンと共にランギョに食われたにしろ、もう一つがどこにあるかわからないのだ。そなたは知らぬか?」
 シャラは、そっと首飾りを外すと、ハジャレンの手に置いた。
 その瞬間、ハジャレンの目が見開かれ、その目から涙が流れ落ちた。
 シャラは、首飾りをぼんやりと見つめながら、こう言った。
 「それは、母の形見となった、首飾りです。処刑される前日に、シャラにあげる、と言って、私にくれたもので…その中に、細長い銀色のものが混じっているのが分かりますか?それが、もう一つの操りノ笛です。」
 ハジャレンは、顔に手を当てて、泣いていた。
 「リヨンは…俺の大切な妹だった…。この首飾りは…あいつの誕生日に…俺が作ってあげたものなんだ…。」
 驚いて、ハジャレンを凝視した。
 ハジャレンは、手をおろすと、シャラの方を見た。
 「リヨンの代わりに、俺が言わなくてはならないことがある。…あのイシュリと、会話をするのをやめるんだ。止め笛を使え。これ以上、そなたの道をゆがめる必要はない。」
 シャラは、静かにその言葉を聞いていた。
 いつかは、向き合わなくてはならないことだった。カヤンとの関係が、これでいいはずがないことも、よく分かっていた。
 『私は、この笛が嫌いだった…。いいえ…この笛というよりは、この笛を使うことが嫌だった…。人に操られるようになった獣を見るのは、何よりも嫌なことだった…。』
 唐突に母の声がよみがえってきて、思わず手を握りしめた。
 「ハジャレンさんは…止め笛を使うことについて、どう思いますか?」
 予期しない質問だったのだろう、ハジャレンは動きを止めた。その口に、うっすらと微笑が浮かんだ。
 「シャラ…お前は面白いところをついてくる子だな。…俺とリヨンは、バス族だけでなく、魔術ノ民の中でも、唯一止め笛を嫌っていた稀有な存在だ。…絶対に使いたくなかった。あの笛だけは、どうしても使いたくなかった。…リヨンも同じ思いだったよ。だから、あいつが一族を破門された時、大体想像がついた。故意に破門されたということが、よく分かったよ。俺だって、許されるのであれば、そうしたかったからな。」
 シャラは、ずっと聞いてみたかったことを聞いてみた。
 「お母様は…どういう方だったんですか?」
 「リヨンのことか?…とても聡い子だったよ。術とかもすぐに覚えて、簡単に使うことが出来た。心優しい子で、俺も何度も助けられたよ。」
 シャラは、ハジャレンを見つめた。
 月明かりだからよく分からないが、ハジャレンには、母の面影が見える。
 「お母様とハジャレンさん、似てますね。」
 ハジャレンが眉を上げた。
 「そうか?」
 「母の面影が、ハジャレンさんに重なって見えます。」
 ハジャレンが苦笑した。
 「なあ、頼むから、そのハジャレンさんっていうの、やめてくれないか?俺らは、叔父と姪の関係なんだぞ。」
 シャラは赤面した。
 「じゃあ…ハジャレン叔父様でどうですか?」
 ハジャレンがふっと微笑んだ。
 「本当にリヨンに似たな…。目上の人には、なるべく丁寧な言葉遣いをする。…変わんないな…リヨンが目の前にいるみたいだ…。シャラ、おまえこそリヨンにそっくりだよ。顔もよく似ている。」
 鼻の奥がつん、と痛み、目の前がにじんで、ハジャレンの顔がぼやけた。
 ハジャレンが立ち上がり、シャラを抱きしめた。
 「シャラ…辛かったろう?目の前で母親が殺されるなど…辛いなんてものじゃなかったはずだ…助けてやれればよかったのに…すまなかった。」
 ハジャレンは、息をつくとこう言った。
 「…シャラ、俺らが暮らすバス族に来ないか?」
 「え…?」
 思わず、ハジャレンを凝視した。
 「だってそうだろう?このままだと、お前は昔の立場による苦しみからは決して逃げられないんだぞ?お前はそれで満足なのか?」
 ハジャレンの言葉が、胸に刺さった。
 たしかに、このままだと苦しみ続けるだけだろう。
 だが、ここにあらゆる手を尽くしてここに入れてくれたのは、スフィルだ。
 ここで魔術ノ民に戻る…それは気が引けた。
 たしかに戻れば、元王女としての立場による苦しみからは逃れることが出来るだろう。
 だが、ついこの前、味方を裏切らない、と決めたあの自分の強い決心はどこにいったのか。
 息を吸うと、シャラは微笑んでこう言った。
 「たしかに、バス族に戻るという手もあります。ですが、私は今の仲間が大好きなのです。どうか、ここからも影から見守るという形にしていただけませんか?」
 ハジャレンは、微笑みながら頷くと、すっと真顔に戻った。
 「そう言うと思っていた。だが、会えて嬉しかった。…シャラ、リヨンが助けてくれたその命、必ず大事にするんだ。イシュリと会話することで、お前は恐ろしい道を歩むかもしれぬ。それでも忘れるな。俺はすぐ近くにいる。何かあったら、俺の名前を叫べ。すぐにそちらに行ってやろう。…リヨンのような過ちは犯してはならぬが、お前なら本当のリヨンの意思を見つけ、それを貫き通せるだろう。迷うことや苦しむこともあるかもしれぬ。だが、周りを見るんだ。仲間がいる。あのサリムとかいう人にも、よろしく頼む。リヨンの分まで、長生きしろ。」
 そう言うと、ハジャレンは頭巾をかぶり直して、森の奥へと戻っていった。
 もう夜が明け始めていた。
 シャラは、これまでにない温かな気持ちで、獣舎へと戻っていった。
  
 このハジャレンとの出会いが、後にシャラの運命を大きく変えることになるなど、この時は誰も思っていなかった。

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