令嬢は呪術師 〜愛しき名に精霊は宿る〜

サカエ

34.第二章 カロア川の精霊⑫


 ロギはメリチェルがよくわからなくなってきた。
 ぬいぐるみがないと言っては悲鳴をあげ、三日とあけず菓子を買い、窓から輝くカロア川を見つめては甘ったるい小唄なんぞを口ずさむこの令嬢は、ときどきとんでもなく辛口になる。

 貴族だけあって、はやくから大人であることを強いられてきたのだ――。
 そんなふうに同情しそうになると、反対にとんでもなく甘ったるい面にまた出会うのだ。

「カロア川の精霊? ああ、わたしも考えたのよ!」
 学院の中庭だった。
 ロギが精霊の話をふると、メリチェルは鞄からいそいそと画帳を取り出した。

 画帳には、朝日に輝く水面のようにまばゆく美しい姿をしていてまとう衣裳は流れるように落ちかかるしっとりした練絹――とでも言いたくなるような青年が描かれていた。
 絵の技術そのものは上々と言える。しかし、これでもかとばかりに甘ったるく麗々しい顔立ちに、現実主義者のロギは歯の浮くような寒気と全身の鳥肌を感じた。

「この三文芝居の二枚目みたいなニヤケた優男はなんだ」
「ひどい! カロア川の精霊よ!」
「こんなもんカロア川に見せたら、怒りで氾濫するんじゃないか?」
「ひどい! 自信作なのに!」
 メリチェルはぷりぷり怒って、ロギの手から画帳をひったくった。
「は。やっぱりまだお子ちゃまだな。そうかそうか、そういう甘ったるい二枚目が好みか。はっはっは」
「もうロギにはぜったい見せないわ! いーっだ!」

 メリチェルは上下の歯の間から舌を出しロギに毒づくと、マヨルに向かって走り去って行った。過保護な従者は、なにを言ったのだとばかりにロギをにらみつける。

 ロギはマヨルに肩をすくめて見せた。
 あのふたりは幸福な関係だな。ロギはそう思った。

 メリチェルは幸福な関係に取り巻かれている令嬢なのだろう。信頼関係の網が故郷に張りめぐらされているから、学院で悪意にさらされても明るい顔でいられるのだろう。

 ロギはメリチェルから、マヨルの過去をきいていた。
 家族と故郷を奪われたという惨(むご)い過去のあるマヨルが、メリチェルの明るさに救われているのは、傍からみていてよくわかる。

「故郷か……」

 ずっと放浪の日々を過ごしてきたロギには、故郷がない。
 家族はかつていたことはあったが、今ではどこでなにをしているのやら……。

 ロギは物心ついたときから、父親とふたりで旅をしていた。
 母親のことは覚えていない。母親はまともな家の人間で、放浪癖のある父親についてくることを拒んだときいた。別れたのちも父は母を思い出しては、「あいつのいる土地が俺の故郷」などと言っていた。

 家族に縁がない代わりに、ロギには国中に仕事仲間がいた。流れ術士には同業者組合(ギルド)があって、仕事の情報はそこから得る。組合の支部はちょっとした街なら国中どこにでもある。デジャンタンにももちろんある。

(王立術士団に入って、王都を故郷にするさ)

 王立術士団に入って名を上げて、王都で尊敬される術士になって、王都の一等地に豪邸を建てていい家の美人の嫁さんをもらって、大勢の召使いにかしずかれて万々歳な人生を送る。そんな人生計画を立てている。

 よくわからないが、そんな人生を人はしあわせと言うじゃないか。
 皆にしあわせと言われる人生を送ってみたいじゃないか。
 だから。

「まあ、がんばるかー」


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