令嬢は呪術師 〜愛しき名に精霊は宿る〜

サカエ

2.第一章 デジャンタン術式学院②

 
 御者が「どうどう」と馬をなだめる声がする。メリチェルとばあやが顔を見合わせると同時に、箱馬車の扉が開いて御者が顔を出した。
「申し訳ございません。車輪が穴にはまってしまったようです」
「あらやだ。目的地はすぐそこなのに……」
「だいじょうぶよエナ。わたしにまかせて」
「えっ、ちょっとお嬢様?」

 あわてるばあやをよそに、メリチェルはドレスの裾をひるがえし、馬車のステップから飛び降りた。木漏れ日が模様を描く地面を踏んで、馬車の周囲をぐるりとめぐると、後輪の片方がえぐれた穴にはまりこんでいるのが目に入った。
    動物が掘った穴のようである。たいして深くない穴だが、大型四輪馬車は車体が重く、一度はまりこんでしまうとなかなかやっかいだ。
「ああ、こんなときマヨルが一緒なら……」
「わたしでもできるわよ、エナ」
    メリチェルは後輪のかたわらにすっくと立ち、目を細めて枝越しの青空を見つめた。

「エランダス……デジャンタン。トロメラウディ・メギデスタ・マグデュスタ」

 小さな唇から洩れるのは、術式と呼ばれる呪文の一種。メリチェルの術式は正式に学んだものではなく、召使いのマヨルから倣い覚え、工夫を重ねた自己流である。

「シェクラマスタ・ジェデスタ・イナグルル」

  視線の先を穴にはまった車輪に移す。

「メリチェル……カロア。カロアラ・ソルテヴィラ・チョルチョル」

 風がそよそよと通り過ぎる。
 古びた車輪は、穴にはまったまま微動だにしない。

「……」

「動きませんでしょ。お嬢様」
「おかしいわ?」
「私は術式のことはくわしく存じませんが、マヨルが言うにはお嬢様の術式は、領地のお屋敷周辺でしか通用しないとのことですよ」
「どうして?」
「ジコチュー過ぎるとかなんとか……。例えて言うなら、赤の他人に自分の知り合いの話ばかりして退屈させるようなものだそうです。お嬢様の術式は」
「どういう意味かしら?」
「それを学びにデジャンタンの術式学院に行かれるのでしょう?」
「そうだったわ……。でも、土地が変わるだけでここまで術式が通じないとは思わなかったわ。びっくりよ!」
「衝撃だとは思いますが、どうか気を落とさずに……」
「おもしろいわ! 術式って奥が深いのねえ。しらなかったわ、実際に経験するまで」

 すごいわ、すごいわ、と言いながら波打つ蜂蜜色の髪を揺らし、木々を見上げて踊るような足取りで歩きまわる無邪気な令嬢を、ばあやは目を細めて見つめた。
 メリチェルはあたたかなまなざしで自分を見ているばあやと、にこっとほほえみを交わした。

「それはそうと……。車輪はひっぱり上げるしかないのかしらねえ」
 ばあやはちらりと御者を見た。
「や、やれるだけやってみますよ。うーん、ひとりじゃきついなあ〜」
 御者はばあやから受けた視線を、リレーのように通行人に向けた。
    ちょうどいいぐあいに、馬車の横を体格のいい若い男が通りかかったのである。男は埃っぽいマントをまとい、大きな荷物を肩から下げている。

  旅人のようだ。


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