絶食×ブラッド

顔面ヒロシ

絶食×ブラッド



 もつ煮といっても、地域によって調理法が異なるらしいことに私、午空瞳ごくうひとみが気が付いたのは中学を過ぎた辺りだった。




 B級グルメのホルモンだのとテレビでやってたって、それがどの部位のことなのかも見当がつかず。焼肉屋の食べ放題で美味しく平らげた後に、その正体を知ったくらいだ。


 ……なんだ、案外旨いんじゃん。
そんな感想を抱いてネットで検索したのが、それぐらいの時期。


 コンビニやスーパーでその手の、お肉をたまに母親に買ってもらうようになったのが、高校入学してすぐの頃。
 次第に興味をそそられて、色々なレシピを探してはたまに作ってみるようになり……それがまた味覚に合ってしまったもんだから。
ふとレバーやヒモを思い出しては食べたくなると、もう説明書も要らずにくさみ抜きの牛乳や塩水、熱湯をスタンバイできるぐらいになった。
 柔らかでジューシーな火の通り加減や、コリコリっとした歯ごたえまでこだわってフライパンを自分で熱するようになり、
玉ねぎのスライスの厚みまでマスターした夕飯が作れるようになった時には思わずガッツポーズをして。




 ――なぜか最近では、そんな料理の腕が、彼氏の弁当箱にもつ煮を入れる日常に活用されるようになった。








 現在の彼氏どの、日向君との出会いは今でも情けなくなる。
この話しの流れで薄々いやな予感はしているだろうけど、多分皆様のご察しの通り……。
けったいな彼氏との馴れ初めのきっかけは、女友達とのこんな雑談だった。


「おまじないブックに鶏の心臓食べれば美女になれるとかあるんだけど……普通にこれ、ただの焼き鳥じゃない?」
「言われてみれば、焼き鳥のハツじゃん!うっわ~マジワロス」


「まあ、オッサンっぽいけどさあ……ふつうにこれ結構美味しいよ。私、三割引きになってるの見つけたら照り煮にして食べてるもん」
「え!?ちょっと午空の肌よく見せてよ!」


 ……と、いったやり取りをクラスメイトの日向君が通りすがりに聞いてしまったのが全ての発端である。
後から聞いたら。彼はその時、モツを愛する女性と出会った運命にいたく感動したらしい。




 ――どんな運命だ、どんな!!




 それからの日向君によるアプローチといったら酷かった。
クラス中が気の毒な眼差しで見つめてくるようになったくらいだ。
毎日しつこく、「一口でいいから手製のもつ煮を食わせてくれ!」と財布までちらつかせて私を追いかけてくるようになったのだ。


 冗談のようにも思えたのだけど、熱い眼差しはどこまでもマジで。
お前はスペイン男か!と突っ込みたくなるくらいの甘いセリフを、モツを食べるためだけに恥ずかし気もなく耳元で囁いてきた。


 どこまでも変態でしかなく、どこまでも彼は真剣だった。


 いくら日向君がイケメンだからってこんな迫り方はされたくないわー。
と女友達は口を揃えて、日付付きの写真をスマホでとっていた。
「いつ午空が通報してもいいようにだよ」と優しい目をして微笑んでいた。


 警察に駆け込む勇気ともつ煮をタッパーに詰める勇気。
どっちに軍配があがったかって、そりゃあ後者だった。……根を上げたともいう。
余りのしつこさに、1度きりだと念を押して。
レバーとキンカン玉子の照り煮を昼休みに渋々振る舞ったところ。


 食べ終えた日向君に抱きしめられて、教室のど真ん中でべろちゅーされた。
逃がすものかと貪るように舌を絡められて。息つくひまもない未知の感覚に腰が抜けそうになると、力強く男らしい腕で抱え込まれて――。


 ――その現場を目撃した運動部の女友達によって、彼は思いっきりぶん殴られ教卓におでこを強打した。
 クラスメイトの女子たちが、痛みによろめいた日向君に空き缶やペットボトル、上履きをぶつけた。いくらイケメンでも、この変態は女の敵だと認定されたのだ。
 そんな中でも一番にキレていたのは品行方正な学級委員長さんで、彼女は教室の本棚にあった広辞苑を片手に振りかぶろうとしていた。
見事な砲丸投げの構えに、蒼白になった日向君のダチが慌てて止めようとし……、といった大混乱があったらしいけれど、私はそのようなことを冷静に眺められるような心境じゃなかった。
 ファーストキスの味は玉ねぎと醤油風味だったというショックに、涙目の私は空タッパーをかかえて体育座りになっていたからだ……。




 ちょっと哀しくなるのは、そのド変態が私の現在の彼氏になっているということ。
 学年中の女子が、日向君が私に迫るのを阻止しようとしたのだけど(女子は彼を盛りの付いた変態と呼んでいた)、最終的には壁ドンにOKしてしまったのだ。
その間、二週間。
「いくらモテないからって、午空さんは押しに弱すぎないか……」と煙草を咥えた不良の方々までもが同情してくれたらしい。


 これまた後から聞いた話しなのだけど、どうも私は手作りのもつ煮を初めて食べさせてあげた瞬間に、日向当夜ひゅうがとうやという名の吸血鬼を一匹餌付けしてしまったらしい。
 ……本人曰く、自分以外の男にこの味を渡してなるものか!と独占欲が湧いたんだとか。
 吸血鬼、ヴァンパイア。
 そんなファンタジーな本や映画に出てくるような、神秘的でカッコよく麗しい存在と、もつ煮ジャンキーの変態男子高校生がイコールで結びつく人間がいるわけない。


 無理だよ、ムリムリ。


 クラスメイトの日向君が水泳の授業に参加しないのも、色白な肌なのも知ってたけど、
付き合い始めてから、その正体を教えられてしまった時にゃ!
思わず猫のポーズで五体投地してしまったよ。




「ねえ、なんでモツなの……。吸血鬼っていったら、普通に血液を飲むんじゃないの」


 紆余曲折を経て、吸血鬼の恋人に収まってしまった私。
 平凡顔を備えた一介の女子高生、午空瞳ごくうひとみは、相変わらずなイケメン彼氏に訊ねた。


 サラサラとした指通りの黒髪、スポーツタオルがよく似合いそうな爽やか好青年といった彼――種族・吸血鬼の日向当夜は、玉ねぎ沢山とレバーの照り煮や白米をとても美味しそうに食べていた。
堪能している、と言った方がいいかもしれない。


「だって、旨いじゃん」と、彼氏どのは不思議そうに言った。
 そういう問題じゃないっつーの!


 この吸血鬼の弁当の中身がこれなものだから、必然的に毎朝こさえている私の昼食だってモツになる。最近、学校内の2人のあだ名が肉食カップルになってしまったのは日向君のせいだ。
野生動物は腹から得物をかじろうとするから、らしい。
誰が広めた雑学よーーーー!!


「……まあ、真剣に答えてもいーけど。そもそもさ、血を飲むイキモノらしいって噂を聞いて、それしか主食にできないと思い込むのは視野がちょっと狭くないかい、瞳さん?」
 なんで自分の彼氏なのに、日々ムカつくんだろう。
 太陽がさんさんと輝く真下に座りこみ。ドヤ顔でそんな発言をした吸血鬼に、私は顔をしかめた。


「だって、吸血鬼じゃん」
「……それは日本の和名だろ。ヴァンパイアの語源は憶測になるらしいけど、リトアニア語のWemptiって言葉からきてるって説があるんだ――この場合は飲むって意味らしいんだけど。吸血鬼って表現よりはラフに聞こえない?」


「わかんない」
「つけこんで交際に持ち込んだ僕が言うのもアレだけど、瞳さんはもうちょっと物を考えた方がいいね」
 イケメンな彼氏どのは、これ見よがしにため息をついた。
 ……ムカつく。


「明日のお弁当は冷凍の鶏から揚げに」
「ごめん、ごめん。本当にごめん、それだけは勘弁して」


 むくれた私に、日向君が慌てている。
もつ煮の味は、料理をする恋人の機嫌次第だということを、過去に2回ほど経験しているので必死だ。


「参考までに、赤いのと青いのはどっちが嫌い?」
「唐辛子責めは止めてくれ!?」


「ニンニクは?」
「そっちはノー問題」


「行者ニンニクは?」
「あれ、美味しかったよなあ……。前に瞳さんの親戚から貰ったやつ」
 叔父が山深くに分け入って採取してきた行者ニンニクを思い出したのか、彼氏どのはごくりと唾を呑んだ。
肉との相性にかけてはネギ類トップクラスの食材なのだが、天然ものは秘境にしか生えないために希少性がべらぼうに高い。


「日向君って本当に訳わかんない。ラーメン屋の餃子も平気で食べてるし、太陽にあたっても関係ないみたいだし……」
 ニンニクとか日光、十字架といった弱点に困っている素振りがまるでない。
深夜のコンビニでバイトをしていることは知っているけれど、種族体質を生かしてるのかショートスリーパーなのか、私には真相が分からない……。
付き合い初めの頃から、玉ねぎの入ったもつ煮に喜んでいる彼氏どのは、本当に吸血鬼なのだろうか?


「まあ、SPFにはこだわってますから」
「え!?」
 キリッとした吸血鬼は、白いボトルの日焼け止めをポケットから取り出してきた。『SPF50』と表記されたそれは、大手の化粧品ブランドのお高いやつだった。
夜間にせっせとアルバイトしてると思ったら、こんなとこにお金を費やしていたらしい。
 ちょいセレブなアイテムに私の口が半開きになってしまう。


「それでどうにかなるの……?」
 日光というよりは紫外線限定の対策にしか見えない。太陽から発する聖なるパワーに浄化されちゃうんじゃ……ないの?


「化学の進歩ってすごいよね、日傘もチタンも買わなくっていいんだから」
 ニヤリ、日向君は笑う。かけている眼鏡を指先であげてみせた。
 まさか、それも紫外線カットの為にかけてるの!?


「……じゃあ、彼氏どのが怖いものって」
「一番はスギ花粉だね」
 頭痛を感じながら訊ねると、吸血鬼は断言した。


 それ、ただのアレルギーじゃん!!
きっと日本国民の半分くらいは怖がってるよ!


「うん、だからアレルギー体質なんだって。吸血鬼の弱点の伝承は」と。
 彼は、白いご飯を頬張って――呑み込んでからこう言った。
 さっきから互いの食が進んでいないことに気が付いて、私は弁当箱のミニトマトを口にした。黄色いアイコだ。


「昔の日光アレルギーってけっこう死活問題だったんだよ。皮膚が赤くなったり、爛れかけても紫外線が発見されてないからさ。
僕らが黒い服で肌を隠したり、狼がうろつく夜に外歩きをしている光景は奇異に映ったろうね」


「……十字架は」
「金属アレルギーだった同族の話だね。銀というよりは、それに混ざってる不純物がアウトだったみたいだ」


「……聖水は」
「頭から冷水ぶっかけられて気分のいい奴はどこにもいません」
 説得力はあるけど、悲しくなってくるのはなんで?
まさかの答えに私がよろめいてしまうと、弁当をキレイに平らげた彼は苦笑交じりに言う。


「まあ、人の生血を飲むと不老長寿になるのは当たってるんだけどね……。
近年DNAを調べた感じでは、どうもヴァンパイアは人類亜種というカテゴリーに入れるしかないみたいだ。
アレルギー反応も僕みたいに緩和してきてる奴が多いし、中世以前の飢饉にあった農民が変異でも起こしたんじゃないかって噂になってるよ」
「人類、亜種……」


 納得できるような、できないよーな。
その特殊体質を人類の範疇にカテゴライズしている科学者も勇気があるよーな。


 よどみない説明を受けて、私はこれまでに抱いていた最大の疑問をぶつけた。
「……じゃあ、どうしてニンニクの臭いが嫌いって言われてるの?アレルギーとか関係ないじゃん」


 日向君は遠い目になった。
「……瞳さん、口臭がする異性ってどう思う?」
「うわ」


「当時のヨーロッパはまだ歯磨き文化の水準が低かったのに、ニンニクに薬効があるから料理に積極的に使うんだ。そこの現地人でさえ感じるほどの口臭女を、吸血鬼はベッドに誘いたくなかったんだろ」
「歯磨きができないのに、ニンニク料理……」


 あ、なんか気持ち悪くなってきた。
想像するだにすさまじい感じがするし、普通にそれはイヤかもしれない。
吸血鬼だけが若い女性に寄ってこなくなるんじゃなくて――。


「吸血鬼も、寄ってこないんだ」
「その通り」


 その実態は、不埒な野郎がナンパしに来なくなる迷惑な虫よけである。
 戸口や家の周りにニンニクを飾っている家に寄り付かないほどの、ナイーブな男心を持っていたのかもしれないけれど。


 ヴァンパイア伝説のミステリーがあっさり紐解かれてしまうと、それはそれで寂しい気持ちになった。
変態日向君と出会うまでは、恋愛小説とかの吸血鬼にときめいたりしてたのに……。夜の強者といったイメージが、なんだか気の毒なアレルギー患者になってしまった。
 もしや彼らは、オーストラリアのオゾンホールが広がってしまったら、強烈な紫外線によって絶滅してしまうんじゃなかろうか。
地球環境の変動にメチャクチャ弱そうな吸血鬼たちの先行きが心配になってくる。


「大変なんだね、日向君も」
 私がしみじみ呟くと、
「……春は地獄だよね」
 彼氏どのはゲンナリとしている。
 やっぱり、日光よりもスギ花粉の方が怖いらしい。


 公害さながらに日本の植林事情から発生した副産物は、現代の吸血鬼の天敵となっている。
 私、午空瞳は申し訳ないことに苦しみを分かち合うことができない――アレルギー症状とは無縁に生きている人間だからだ。
ごめんなさい、彼氏どの。


「まず、鼻がやられると飯を食うのに支障がでる。
しかも油断すると目が充血してくるし、痒くなって涙が止まらなくなる……日焼け止めもメーカー間違えるとべたついて花粉の接着剤かって具合になるし。
粘膜を傷めると鼻血が出やすくなるんだけど、テスト中にあたった時が退席できなくてもう辛かったわ」
「……う、うん」
「耳鼻科に行っても、1回じゃ治療がすまないことが結構あるんだよ。花粉シーズンなんか予約入れても込み合うから、バイトのスケジュールにもたまに影響でるしさ……。でも、客の前で鼻血噴いたら悲惨なんてもんじゃ済まないじゃん」


 日向君は、切実な声色で語ってくる。
マジメに接客に取り組んでいる姿勢は素晴らしいと思うのだけど、吸血鬼が耳鼻科に通ってるのは絵面としてシュールすぎると分かっているのだろうか。
相談内容が自分の鼻血というのが、より一層。


「薬とかは使えないの?」
「亜人用を想定してないから、新しいやつは使うなって厚生労働相から注意されてるんだ。たまに無視して飲んでやりたくなるけどね」


 日向君の目は本気であった。
先祖代々アレルギー体質な吸血鬼が、処方薬で事故をおこさないか国は心配してくれているのに、有難迷惑に思っているご様子。
吸血鬼の存亡を憂いる人々は、私の他にもいるみたいだ。


「あの時期はティッシュの消費に金かかるんだよねえ……、中学でトイレットペーパーを盗んでったバカもでたぐらいだ」
 深くため息をついた彼に、私は呟く。


「それって、血を飲んだら改善とかしないの?」
 パワーアップ的な感じでさ。


「するよ?」
 あ、するんだ。やっぱり。
そーだよね、ヴァンパイアが貧弱な種族だったら生き残ってないよ!


「皮膚や粘膜の再生力が上がるから鼻血にはならないね。ティッシュの摩擦にも耐えられるから、鼻をかみほうだい」
「しょぼいよ!」
 思わず叫んでしまう。
恩恵を受けるところがそこでいいんですか、日向君!


「一応、吸血鬼の患者に血を飲ませたら大やけどでもピチピチに肌が蘇ったり、ガンが再発しなくなったってカルテはあるんだけどさ。
細胞分裂の限界やエラーを解消しても、アレルギーは免疫関係の問題だから劇的に改善はしないんだよなあ……。
エイズになって亡くなった同族の例もあるし」


「それって不死身なの……?」
「残念ながら、インフルエンザや肺炎での死亡率は普通の人間と変わりません。血を飲めば外傷には滅法強いけどね」
 日向君は肩を竦めた。瞳さんのご期待には沿えなかったかな?と、言う。
 悪戯っぽい表情を向けられると複雑な気持ちになってしまう。


しょぼくはないけど……アレルギーには殆ど役立たずな能力であるのかもしれないけれど。
 今の話を聞いていたら、日向君は血液を摂取し続ければ長生きできる身体をしているんだと実感してしまったわけで。
細胞が老化していかない彼氏どのは、
不老長寿どころか、細菌感染にさえやられなければ永遠にこの世に留まっていられる特別な可能性を持ってる。




「ちょっとでも楽になるんなら、血を飲めばいいじゃん。耳鼻科に悩まされることはなくなるみたいだしさ」
と、私が笑いかける。


 ――いつまでも細胞が老いなくなるのなら、こうして私と付き合ったことも日向君の脳から消えていくことはないのだろうか。
 短命な人間のことを、彼は永遠に覚えているのだろうか。
 老いていく私のことを、きっと嫌になってしまうのかな。


「そりゃまあね。それなりに効くかもしれないけど……」
 彼氏どのは唇を舐めて言う。


「権利を持っているからって、それを使わないで生きる自由ってあると思わない?」


 私が怪訝な面持ちになったのに、日向君は笑い声を上げた。
 空っぽになった彼の弁当箱にはご飯粒1つだって残ってない。胃袋へおさまった昼食に心から満足しているみたいだ。
 自転車で出かけた焼肉屋でホルモンを焼いてくれたこともあるし、レトロな喫茶にあった大盛りパフェを2人でつついたこともあるけれど。
いつだって吸血鬼な彼氏さんは、美味しそうに私の手料理を食べてくれる。


「僕は、瞳さんと出会ってから一滴も血を飲んでないのさ」
「……なんで?」
 意外な言葉に、自然と呟いてしまう。
今日はずっと質問してばっかだけど……、それって願掛けでもしてるみたい。


「……本当にわかんない?」
 近くに座っていた彼が距離をつめてきた。
引き締まった腕が、こちらの腰にまわられる感触がして――あっという間に日向君の膝の上に乗せられてしまった。そのまんま、抱え込むように抱きしめられる。
 かなり密着した体勢だ。


「……だって、不老不死になれるんでしょ?」
「僕は、なりたくないんです」
「永遠の若さだよ?」
「生涯現役はちょっと魅力だけどね」
 冗談めかしたことを言われた。
彼はさりげなく眼鏡を外していた。学ランの胸ポケットにすべり込ませて、口端を上げる。
ちゅっと、頬にキスをしてきた。


「ドン引きされるかもしれないけど、僕は瞳さんと一緒に死にたい」


――それって――――、


「ヤンデレ!?」
「逃げないで、無理心中じゃないから!」
 青くなった私がもがくと、日向君が一生懸命に抑えこんでくる。
なかなか筋肉が太くならないのがコンプレックスらしいけど、女の子が太刀打ちできる強さじゃない。


「きもい、鳥肌立った!」
 危険な変態に身震いすると、彼はうなだれてしまう。
 ……はー、と息をつかれた。


「だからね、僕だって血を飲まなければ自分が干からびていくのは理解してるんだよ」
 半目になってる私は「じゃあ、飲めばいいじゃん」と拗ねた口ぶりになってしまった。
そっぽを向くと、冷たい指先で頬を撫でられる。吸血鬼は穏やかな表情をしていた。


「干からびて、瞳さんと一緒に歳を重ねていきたいんだ。
あなたと2人で老いて、同じ寿命で死んでいきたいと思ったから気安く飲むのを止めたんだよ。
血を口にするのは、好きな子をおいて早死にしないための最終手段にしておきたいな……と」


 お馬鹿なことを考える吸血鬼だなって、真っ先に私は感じた。
不老不死の手段も権利もチャンスも転がっているのに、全部それを放棄してしまいたいだなんて始皇帝の幽霊に祟られても文句が言えないよ。


「病気で苦しむ人たちを、みんな敵に回すような生き方をしたいの?」
「我がままなのは分かってるよ」
「……ばか」


 アレルギーばっか抱えて、メリットを享受できない忍耐の人生になってしまうのに。
 私の寿命に合わせる為に、吸血鬼ではなく普通の人間として生きていくと宣言してくれたことに、不謹慎にも嬉しくなってしまう。
じわじわと顔が火照っていく。
恥ずかしさに目をつむってしまうと、「ひとみさん」と彼が囁いてくる。


 気が付いたら、透明感のある空と覗き込んでくる端整な日向君の顔があった。
サラリとした前髪に、長い睫毛――屋上で押し倒されたのだと数秒たってから理解した。
唇を舐めた吸血鬼が、赤らんだ私の耳に問いかける。


「僕のために、毎朝もつ煮を作ってくれる?」


 ……そういえば、あなたはそーいう人でしたね。
 口説き文句にまでそれが出てきたことに笑ってしまう。
 縁をとりもたれて何だけど、もつ煮は栄養がありすぎて食べ過ぎは身体によくないとも聞いている。
血液を絶つにしても、やっぱり健康に歳をとって欲しいかなぁ。


「……味噌汁なら、いいよ」


 私は、自分からキスをした。
 ついばむような口づけで済まそうと思ったら、目を光らせた彼に離してもらえなかった。
長く、長く、ちょっと長すぎない?って思うぐらいに、がっつり舌を絡められて。 彼氏どのの理性が吹っ飛びそうになった時に、授業開始を予告するチャイムが鳴った。
舌打ちをした日向君の葛藤が分かったので、出席したい私は軽く睨み付ける――。




「ねえ、明日のもつ煮弁当にぶち込む唐辛子、赤いのと青いのどっちにされたい?」




 これから先は以下省略。
この吸血鬼が、午空さんの旦那イヌと噂されるようになる未来を私はまだ知らない。









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