悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆304 義兄の帰還







 スキー合宿から帰った後。奈々子を陥れようとした女生徒たちは学校を去っていった。
自主的に学校を辞めたことになっているようだけど、彼女らが今後どのような目に遭うのかと思うと他人事ながらに恐ろしいものがあった。


「……だから、あたしは何もやってないわよ。気を利かせた連中が勝手に動いただけ。何を言っても無駄。流石にそれはどうしようもないじゃない」
 財界に大きな影響を持つ日之宮家の令嬢がこんな目に遭えば、自主的に動く人間も多いということだ。
被害者である奈々子が庇おうとしても、なんて健気な御令嬢だと胸を打つ美談になるだけだし、それは抑止力としては些か力不足……むしろ犯人を血祭りにあげるカーニバルが盛り上がってしまうだけだ。


「……あたし自身はそんなに怒ってないけど……それはもう仕方ないわよね」
 以前と比べて少し性格が丸くなった奈々子は遠い目で呟く。
女生徒たちのこれからの人生を思うと、こちらとしては早まった真似をしたものだとしか言いようがない。
恐らくどこの学校に入学しようとしても断られてしまうだろうし、この悪評は就職をしようとしても一生ついてまわるだろう。
この日本にいる限り、日の下を歩けなくなってしまうかもしれない。
想像するだけでだんだん恐ろしくなってきたので、無意識に私は考えるのを止めた。


「……なあに、その気色の悪い顔」
 なるべく穏やかな雰囲気で近づいたのに、あんまりな言われようだった。
 私の隣にいた小春がにこっと笑う。


「日之宮さん! 一緒に遊びに行きませんか!」
「……え、なんで」
 嫌そうな顔が返ってきた。


「私たちが日之宮さんと楽しく遊びたいからっ」
「別に理由を聞いているわけじゃないわよ」
 どことなく辛辣な言葉を云われても、小春さんはめげない。ふふ、この子の粘り強さを奈々子はまだ知るまい。


「せっかくだから、声を掛けてみたの。お願い、一緒に行きましょうよ」
 私が両手を合わせると、奈々子はふんっとソッポを向いた。顔が見えないけれど、これはお断りだということだろうか。
しまった、このままでは私たちは一本釣りに失敗したことになってしまう。そうなったら、今度は強制的に連れていくしかない。


「……それって、どうせオカルト研究会の集まりでしょ」
「夕霧君は誘わないって。流石にそれぐらいのデリカシーは持ち合わせてるわ」


「アヤカシだらけのところで何を楽しむっていうのよ。八重ちゃんと一緒にしないで……」
 そこで、奈々子はぴたっと悪態を止めた。


「八重ちゃんと一緒……」
「勿論、月之宮さんも一緒だよ! 日之宮さんって、月之宮さんの幼馴染なんだよね! 昔の話とか沢山聞かせて欲しいな!」
 気のせいだろうか。
小春の言葉に獲物がUターンしてきたように思えるのは。


「そ、それならしょうがないわね……。あたしと八重ちゃんの昔話を話してあげなくもない……けど……」
「あ、嫌ならいいけど」


「誰が嫌だなんて云ったのよ!」
 私があっさりそう言うと、奈々子は椅子から勢いよく立ち上がった。そのジト目に思わず一歩引きそうになると、


「大体、八重ちゃんの分際であたしを誘おうなんて生意気よ! でも、アヤカシとの馴れ合いをこれ以上放っとくわけにもいかないじゃないっ
今日は家に帰って本を読もうと思ったのに……」
 キャンキャン吠えている奈々子を見て、近くにいた希未が意地の悪い笑みを浮かべた。


「はいはい、ツンデレ乙乙」
「大体、あんただって八重ちゃんの親友面をしてるんじゃないわよっ 嘘ばっかりついてる癖に――、」


「うん? 何か私悪いことでもした?」
「…………」
 首を捻った希未に、奈々子は疲れた顔になる。
人間の希未に対して何が気に入らないのかはよく分からないけれど、奈々子は頭痛を堪えながら呟いた。


「……もう、いいわ」
「無罪釈放かな? にしし」
「……その面の皮の厚さだけは認めるわよ」
 希未が、満面の笑顔でガッツポーズをとった。
そのまま謎の踊りをしようと始めたところで、鳥羽にキレられる。


「お前ら早く手を動かせよ! このままじゃ放課後の居残り清掃が終わらねえだろ!」
「えー、そんなの鳥羽がいればちょちょいのちょいじゃん」
 一々箒で掃除をしなくても、風の異能で埃を集めてしまえばいいと希未が提案すると、鳥羽は眉間にシワを寄せる。


「誰かに見られたらどう言い訳するんだよ」
「風の悪戯ですって」
 開き直った希未の言い分に、彼は閉口する。
いつもなら真面目な私も、時間を見て希未に賛同した。


「そうね。お願いしてもいいんじゃない」
「ったく……月之宮まで」
 半目になった鳥羽が、ぶつくさ文句を言いながらクルクルと小さな竜巻を起こして埃集めをする。
 集まったゴミをチリトリで回収し、机を元通りに運べばすぐに掃除が完了した。








『……八手と僕は後で合流します。少し話の長い教員に捕まってしまいまして』
 自己採点でT大への合格が確実になった東雲先輩に電話をしてみたところ、こんな返事があった。
 生徒会の引継ぎもあるだろうし、忙しいのはしょうがない。
柳原先生も今回は不参加。遠野さんは誘ったら来た。
そして何故か誘っていないはずのウィリアムが嬉しそうに隣で歩いている。


「……なんでお前がここにいるんだよ。ウィル・オ・ウィスプ」
「いやー、だって俺も久々にカラオケで騒ぎたいし?」
 鳥羽から胸倉を掴んで揺さぶられても、ウィリアムはどこ吹く風でへらへら笑う。
人気のない校門へ向かって歩きながら、ウィリアムの存在が奈々子を刺激しているのではないかと恐る恐る顔色を窺っても、彼女は何か考え事をしているようだった。


「……どうしたの? 奈々子」
「いえ、別に……」
 あれほどすぐに暗くなった冬の間の空も、日が落ちるまでの時間が長くなってきた。そのことが素直に嬉しくて高揚した気分で足を動かす。
その平和な時間がある人物の来訪で壊されるとも知らず――私たちは、完全に油断をしていた。


 視界の先で、一台の黒塗りの高級車が止まった。
そこから一人の男性が降りてくる。青年といえる年齢の彼は、明らかにこちらを見て口端を上げた。


「……おやおや、楽しそうじゃないか。八重さん。奈々子さん」
 それが誰なのか分かった瞬間、奈々子が明らかに怯えた。私は、目を見張って小さく呟く。


「――兄さん」
 月之宮家陰陽師筆頭。月之宮幽司。
陰陽師家であり財閥である月之宮家の正式な後継者。私とは血のつながりの薄い分家の出身で、義理の兄。
大妖怪と戦うことを恐れ、この日本から逃げ出して今まで留学をしていた張本人だった。
長い黒髪に黒い瞳の平凡な容姿の兄は、ショッキングピンクのパーカーにスキニージーンズを履いて、ブランド物のスニーカーを履いていた。


「久しぶりだね。八重さん。元気にしていたかな?」
「…………」
 帰ってきたなら、どれだけ文句を言ってやろうと思っていたのに。それを声に出そうとした瞬間、全身に悪寒が走った。
――なんだろう……この禍々しい気配は。
人間のものとは思えない、邪悪な空気は――――。
得体の知れない恐怖が、思考をハイジャックする。


「……奈々子。時間稼ぎ(・・・・)をご苦労」
 事務的な平坦な声で、月之宮幽司は邪悪に嗤った。


「じかん、稼ぎ……?」
 どういうこと。
兄は、意味深に微笑んで、自らの片目に指を乗せた。何かがずれる。黒いコンタクトレンズの下から現れたのは、毒々しい紅の瞳だった。


息を呑んだこちらの眼前で、彼はもう一つの変装を解く。黒のウィッグの下から出てきたのは、ただただ雪のような――白髪だ。
今まで、テレビ電話の映像では隠されていた変化。実際に何度も会っていればすぐに気付いただろう。しかし、機械越しで離れた土地にいる妹の目を欺く為に、彼は今まで二つの道具で変装をしていたに違いなかった。
私の知っている義兄は、断じてアルビノ体質ではない。彼はごく普通の黒髪黒目を持っていたはずなのに……。


「……異装、旋鎌ツムジ
 白髪赤目になってしまった月之宮幽司は、おもむろに持っていた翡翠の勾玉を武器に変える。
死神が持つような鋭い刃の大鎌。それを具現化させた兄は、不気味な微笑みを浮かべたままゆっくりと向き直った。


「お蔭で私も……こうやって本物のフラグメントとして変異することができたよ」









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