悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆301 見つかった少女と恋の顛末







 不可解な現象に直面したものの、そこからの道のりは平たんなものだった。山に自生する植物に導かれるがままに東雲先輩の運転で進み、途中からは車を降りてしばらく歩いた。
息を切らしながら山道をブーツで歩く。溶けた雪でぬかるんだ泥がついても、氷で滑っても気にならない。
やがて、ひらけた崖に出た。少し高さがあるそこはいつかの見覚えのある景色で、駆けだした私は下を見る。
小さな崖の下には、うずくまった奈々子が一人きりでいた。
息を呑み、私は大きな声を掛ける。


「…………っ 奈々子!」
 ふわりと雪が舞い降りる。
広がったみどりの髪。視線を上げた彼女の瞳が、私たちを視認して瞬いた。


「……え……嘘」
 相手の瞳が揺れる。自分の見たものが信じられないといった風情だ。


「どうして一人でこんなとこまで来たのよ! みんな大騒ぎになってるわ!」
「だって、どうせあたしなんか消えても誰も心配しないし……」


「だったら、どうして私たちがここにいるのよ!」
「……そんなの知らないわよ!」
 遭難していたわりに元気そうだ。
性格が悪そうな口調も普段と同じ。でも、その中にも若干の強がりが残ってる。


「……ふざけるなよ、日之宮」
 ついてきた夕霧君が、勢いよく自分のマフラーを外して大声を出した。


「誰も心配していないなんて決めつけたことを云うな!」
「どうせそうよ!」


「少なくとも、……オレは心配するんだ! ここに来るまでにどんな気持ちになったかてんで分かってない。
それこそ、どうかしてしまいそうなくらい心配したんだからな!」
「…………っ」
 奈々子の目元が赤くなる。
萎れたように、彼女は俯いた。


「待ってろ、すぐに下りるから」
 制止する間もなく、陛下は身軽に崖を下る。そうして、持っていたマフラーを奈々子の肩にかけた。


「……どうして、あたしなんか迎えに来たのよ……」
 震える声で、奈々子は呟く。


「……でも、怖かったろう」
 遭難しかけた少女の冷たい手のひらの温度を確かめながら、夕霧君は囁く。傷の様子を見ている彼にだろうか、彼女は叫んだ。


「何もかも見通したようなこと云わないでちょうだい! アンタなんか……あたしのこと、どうせすぐに正体を知ったら嫌いになるくせに!」
「ならないよ」
 夕霧君はきっぱりと言う。


「皆から日之宮が陰陽師だってことは聞いた。今まで何も知らずに日之宮のことを好きだと思っていたけれど、その気持ちは今でも変わらない」
「あたしなんかと付き合ったら、一生この世界に飼い殺しになるわ! そんな覚悟もないくせに……」


「日之宮と一緒にいられるなら、オレは喜んで首輪に繋がれるよ」
 その彼の澄んだ眼差しに、奈々子はたじろいだ。
私たちがどうしていいのか困っていると、ウィリアムが笑い出す。


「いいじゃないか、お嬢さん。そこまでぞっこんに想われるってのは滅多にないことだと思うけど?」
「ちょっとウィリアム……」


「どうやら少しは素養がないわけでもないみたいだ。その少年は、修行すればいい陰陽師になれるだろう。本人の意思も固いようだし、そんなにつれなくする必要はないじゃないか」
 ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた西洋鬼に、奈々子は軽くこちらを睨みつけた。


 困惑していた私は、ようやく奈々子の真意が分かった。
陰陽師の世界は、決して綺麗な仕事じゃない。
その中でも筆頭の名を持つ彼女は、好きでいるからこそ彼を巻き込みたくないと願っているのだ。
なんて屈折した恋なんだろう。
そのことに気付いたら、私は悲しくなった。


「あなた、絶対に不幸になるわ」
 奈々子は地べたに座り込んだまま、手を握る。


「……確かに怖かった。このまま一人で死ぬんだと思ったら、たまらなく悔しかった。だって、あたしはあなたにまだ自分の気持ちを伝えてないんだもの」
「じゃあ……」
「好きよ。あなたのことが、いつの間にかこんなに好きになってたの。……でも、決して付き合うつもりはないわ」
 暗闇に鈍く輝いた抜き身の剣のように、奈々子は泣きながら笑った。


「あたしね、親の決めた婚約者がいるの。その人のことを裏切ったら、この先どうなってしまうか分からない」
 夕霧君は、瞳を大きく見開いた。
凍り付いた彼を突き放すように、奈々子は呟く。


「……さようなら。愛しいあなた」


 沈黙が辺りを支配する。このまま永久に時が止まってしまいそうで、私はたまらなくそれに抗いたくなった。


「……そんなの……っ」
 そこに、空気を読まない声がする。


「――結局、俺より先に見つけてんじゃねえか。月之宮。できるならもっと早くスマホに連絡を入れて欲しかったぜ……ったく」
 頭上から聞こえた声に振り返ると、翼を閉じた恰好になった鳥羽が、大きな木の枝の上で発した言葉だった。
そのまま素早く地上に降り立った彼は、コキリと首を鳴らした。


「鳥羽!」
「なんだか雨も降って来そうだし、さっさと回収して帰るぞ。面倒かけてくれたな、日之宮」
 唇を紫色にした奈々子は、自分の目端を擦りながら笑った。


「あたしのこと、馬鹿だと思わないの? 自業自得だし、このまま死んじゃえば良かったって思ったんじゃないの?」
「どうだろうな」
 目を細めた鳥羽は、天を仰ぎながら告げる。


「確かに、お前には散々煮え湯を飲まされたけど……正直、死ねばいいとまでは思ってねーよ。お人よしの人間の影響かもしれないけど……」
「……アヤカシのくせに」
 ポツリと一滴の雫が落ちてきた。
一斉に降り出した雨によって、奈々子が本当に泣いていたのかも分からなくなる。
鳥羽によって崖下から救助された彼女の下へ、柳原先生が到着したころ。毛布へくるまれた奈々子は、暗い瞳のままで口を開こうとした。


「……その、ありが……」
 発せられる寸前で、その声は闇中にかき消えた。







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