悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆294 スキー場にて (2)





 ――ヒャッホウ!と、誰かが叫んだ声が聞こえた。
降っていた雪の消え失せた青空のゲレンデで、背の高いボーダーが滑走していくのが見える。
今の私はリフトの上。隣は希未だ。


「いやあもう爽快! こういうのはまっちゃいそうっ」
 バタバタスキー板を履いた足を動かし、希未は瞳を大きくして地上を見下ろした。その揺れに少しだけ恐怖を感じた私は、抗議をする。


「ちょっと! 落ちたらどうするの!」
「大丈夫だって、これぐらい……」


「私たちは落ちなくても板が落ちるわよ! 人に当たったら大惨事っ 少しはモノを考えて……」
 そこまで怒鳴りつけたところで、私はゲラゲラ笑っている希未に脱力をした。レンタルで借りたスキー板は悪趣味もいいところで、できることなら交換したいぐらいだ。
希未の履いている板には小さな青い猫型ロボットが描かれており、それを見た瞬間の彼女の顔といったら見ものだった。


「……タヌキじゃないもん!」
 私の視線の先に気が付いた希未が抗議する。


「いや、私は何も云ってないし……」
 目は口程に物を言うってことかしら?
ふふっと口から笑みがこぼれると、それを目の当りにした希未が意外そうに眼を瞬かせる。


「八重、楽しそう……」
「え?」
 何かこみ上げるものがあったのか、希未が俯く。
意表を突かれた私は、その表情に胸が締め付けられる想いがした。空気が動く音がする。高い場所にいる私たちの間に、涼やかな風が吹いている。


「良かったじゃん、こうして笑えるようになってさ。去年の2人だけの暗い合宿とは雲泥の差だよね」
「希未……」
 そうだ。思えば、この高校に入学してから、彼女とずっと一緒だった。
人間不信だったことも、友達なんか作るつもりさえなかったのも、私のひねくれていた時代も彼女は全て知っている。
今年で二回目になるスキー合宿だけど、去年と今年では囲まれている人の数が違う。優しさの数が違う。それを、全部希未は気付いている。


「あー、なんだろ。この複雑な思い」
「……その、嫉妬とか、したりしているの?」
 前に言われたことを思い出して聞くと、希未は仕方ないなあというように穏やかに微笑んだ。


「……、どうだろ。そのことについては、ちょっと整理もついてきたんだ」
「そうなの」


「だってさ、独占するだけが愛じゃないじゃん。好きな人が自分のものだけでいて欲しいって気持ちは、どこかで折り合いをつけていかなくちゃいけなくて……それが私にとっての成長ってことだと思うんだ」
「…………」


 松葉の歪んだ笑顔。
 奈々子の怨嗟。
 東雲先輩との抱擁。
それらを思い出して、私は頷く。
重要なのはこの言葉が正しいかどうかじゃない。時間をかけて、希未は私に向かって自分の考えを語った。


「恋と愛の違いってさ。相手の幸せをどこまで望めるかどうかだと思うんだよね。
似ているようだけど、両者の間にはれっきとした違いがある。恋ってのは究極的にはエゴイズムも含んでいるけど、愛って利他主義的でもあるの。
愛はね、育てるものなんだよ。それさえ分かっていれば、私は何があっても大丈夫。こうして生まれた意味を見失わないでいられる」
 モノクロの世界が、一気に明るくなった。
そんな風に感じた。白と黒に支配されていた冷たいゲレンデの空間が、パステルの色彩に溢れたものに変化する。
絵の具をぶちまけたように、鮮やかな気持ちになってくらくらした。


「……そう」
「だからね、安心して。私は、八重のこともみんなのことも大好きだよ」
 弾けるような笑顔に、私は心がじんわり温かくなる。手袋を外して、思わず座っている希未を抱きしめようとした。


「ちょ、ちょっと八重。危ないって……」
「だって、なんだかそうしたくなったんだもの」
「もう、どっちの方が考えなしなのさ!」
 希未が私を引き離そうともがく。少しだけ距離のできた私が彼女の顔を覗き込むと、相手はいつの間に笑い出していた。


「でも、私は利他主義って少し怖いわ」
 白波さんが死にそうになった時のことを思い出し、私は呟いた。あの娘は、あの山中で躊躇いなく他者の為に自分の命を差し出した。けれど、それをされた側のこちらのやるせない気持ちなんて欠片も理解ってなんかいなかっただろう。


「誰かの為に誰かが犠牲になるような状況って、それって既に幸せとは云えないのではないかと思う」
「ふーん、つまり八重は、愛があっても人は倖せになれないと。腹は膨れないっってこと?」
 こちらを観察するように、希未の目が光った。
どう返答をしたらいいのか言葉が詰まり、私は口を閉じた。


「まあ、いいんじゃない? 私も実のところそうなんじゃないかって気がしてるよ。愛があれば必ず誰かを救えるわけじゃない。スーパーマンにはなれない。愛さえあればって言い訳みたいによく云うけど、そんなに万能な概念じゃないよね」
「違う、そんなことを云いたいんじゃなくて……」


「あ、そろそろ降りるよ。準備しなきゃ」
 私の声を遮って、希未は少しだけ笑う。ツインテールを揺らしたその儚い笑顔が心に突き刺さって、私は伸ばしかけた指を引っ込めた。
高いリフトを下りる準備をしながら、私は口にできなかった言葉を呑みこまざるを得なくて。
確かに、愛があれば誰しもが幸福を享受できるわけではない。


 けれど、私は一種の確信を持っていた。
あの頃の私は、この友人の存在によって救われたのだという事実と。
えてして、愛のない人生は、悲惨なものだということを。







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