悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

★間章――月之宮幽司







 彼女は覚えていないかもしれないが、子どもの頃の幽司の役目は、月之宮本家直系のお姫様と遊び相手になることだった。今から考えると不遜なことだが、三つ年下の幼子の面倒をみるということは一人前の面をしている小学生にとっては退屈極まりないもので、そのお役目を憂鬱にすら思っていた。
親は誉れと喜んだけど、彼にとっては自分の自由な時間がなくなることが少し嫌だった。


もうすぐで一年生になるその当時の八重は高いところに登ることがとても好きで、よく見張っていないととんでもないところで笑っているのを発見することになるものだから、年上の誰かが気を付けている必要があった。


どうして月之宮の令嬢の遊び相手に外部の者が選ばれなかったのか。隠すように育てられたのか。その本当の理由を幽司が知ったのは、しばらくたってのことである。


とにかく腕白で、元気があって、やたらと自分のエネルギーを吸い取っていかれるような心境になるこのお役目を、何度も遊んでやるうちに気の緩みか、不意に目を離してしまうことがあった。


「ねえ、みてみて」
 気が付くと、明るい声でそう笑った幼子の立った枝の高さに仰天した。到底さとして降ろせばいい高さを超えており、そこから落下したら大けがをしてしまうだろうことを容易に想像させられ寒気がする。


どうやって保護したらいいものか焦っている幽司の目の前で、枝に座って脚を揺らしていた彼女はするりと背中から地上へと落下したのだ。


「……八重さん!」
 血の気が引いた彼は、反射的に受け止めようとする。
けれど指先は届かない。間に合わないと思ったその瞬間、彼の目前で信じられないことが起こった。


 白い花弁が咲く。
地上に生えていた小さな野花が溢れるようにその草丈を爆発的に大きくしたのだ。クッションみたいに増殖した緑の上に軟着陸した八重は、しばらく呆気にとられた顔をしてそのうちに笑い出した。
その反応に幽司は彼女が意図した出来事ではないことを知る。


……幾ら霊能力があったとしても、こんな不可思議なことは普通では起こらない。まるで植物自身が崇拝者に向かって己を差し出したかのような出来事に、彼は退屈だった日常が一変したことを感じた。








 やがて、事件の後に本家の爺様から、月之宮八重の正体が半神だということを知らされたとき。既に、幽司にとっての彼女は特別な存在になっていた。


 あれだけのミスがあったのだ、自分の役目が外されることを覚悟した。けれど、よくよく考えると簡単に代役が見つかるはずもなかった。当時月之宮筋で八重の秘密が守れるような口の堅い子どもは自分くらいしかいなかったし、日之宮の人間をあたっても人材は不足していた。
 昔から、幽司は日之宮のことが好きではなかった。
ライバル意識というよりは、あの後ろ暗くて陰湿なところがとにかく鬱陶しかった。
渡したくない、と思った。


日之宮の人間にも、アヤカシにも、どこの誰にも譲ってはならない宝物のように彼女のことを想った。


その感情がどんな意味を持つのか、そこまでは考えたこともなく。ただ真っ直ぐに八重を守るのは自分の役目だと信じていた。
それが屈折したのは、いつだろうか。


 最初のきっかけは、本家の養子になる話が持ち上がった頃だと思う。一族の中でこんな待遇を受ける名誉は他になく、自分の意志とは関係なく物事が決められていった。
ある時。月之宮の婆様は、皆に隠れて彼に言った。


「あの子は月之宮に掴まえておける子ではないかもしれない。神様に生まれた子をアヤカシ殺しの家に捕らえておこうとするのは、とても罪深いことだ」……と。
 衝撃を受けた彼は、その意味を知りたくはなかった。
 とにかく、血圧が上がって叫んだ。


「だから私をこの家の養子にしたのですか。八重さんがいずれ月之宮から出ていこうとするだろうから……」
 その先は、言葉にならなかった。


 八重は、懸念した通りに人間社会で上手くいかなかった。彼女を失望させた連中には、隠れて兄である自分が全て報復をした。
彼女に気付かれないように、知られて悲しませないように念入りに証拠を隠滅して、二度と関わり合いになろうと思わないようにしてやった。


 幼なじみとして紹介されていた日之宮家の奈々子とも、八重は結局のところ心を通わせ合うことができなかった。
そのことは少しだけ気の毒だとは思ったものの、嫌味で使えない女だという感想を持つだけに留まった。
奈々子が八重を誘拐しようとした人間を殺したときに、ようやくその評価を上昇させたくらいだ。
自分と奈々子の婚約も、お互いに他の人を好いていることが分かっていた。だから、同盟のようなものだろうと苦々しく受け入れた。
 養子になった己の結婚などその程度のものだ。そう割り切っていたから、痛みなど感じる由もなかった。


 割り切れなかったのは、別のこと。
最初は憧憬のような思いだと信じていた。彼女に対して眩く感じてしまうのも、ずる賢い自分に気後れしてしまうのも。


 だったら、この感情は何だ。
妹になったはずの君を見る度に、引き留めたいと苛立たしくなるのはどういったことだろう。
日之宮の令嬢には惹かれなかったものの、接しているうちに自分と似ていることに気が付いた。
 どちらも同じように、彼女の特別になりたくて。
その気持ちをついぞ伝えることができずに、鬱屈としたものを抱えている。
感情の質は違っても、その点においては同志のようだと自嘲した。笑うしかなかった。成長した妹のことをこんなに好きになってしまったなんて、認めたくはない現実だった。








「ねえ、どうしてこの道を通ってはいけないの」
 小さい君は、いつも回り道をすると不安そうにそう言った。


 ――かごめやかごめ。
そういう時、必ず自分は同じ返事をする。


「……あちらへ行ってはいけないよ、よくないものがいるのだから」
「よくないもの?」
 それは、アヤカシに触れて欲しくないが故に、邪な自分が行った妨害工作。
未来を占うと、いつでも彼女の前にアヤカシが現れようとする。その度に、邪魔をしようと出来る限りの運命を断ち切ってきた。
それなのに、先送りにしていた出会いは遅らせることしかできなくて。
自分の元へ彼女を引き留める為なら、私はなんでもするだろう。
 これは、終わりへ向かう幕引きのエンドロール。


『……そんなにも、アヤカシが好きなのか。八重』
 そう声を掛けると同時に、意識を失い崩れ落ちた彼女を見て、彼は静かな笑みを浮かべる。
 絶対に、手放してなんかやらない。
――後ろの正面だあれ?

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