悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆277 花咲くように笑ったから







 彼女が、弾かれたように立ち上がった。
満天の冬の星空の下、みんなはここまでどんな思いで走って来てくれたのだろう。そのことを思うと、私は胸の奥からじんと熱くなった。


「みんな……」
 ああ、もどかしい。このドレスが邪魔で仕方ない。
パーティー会場の近くの個室で待たされていたのは、希未に白波さんと鳥羽。それから八手先輩もいる。
もう夜も遅いのに、みんなはここで私を待っていてくれたのだ。


「八重!」
「月之宮さん!」
 二人とも、こちらを見つけて泣きそうな顔で抱きついた。


「ごめん、ごめんね。あんな酷いことばっか云っちゃったね……っ」としゃっくり上げながら言ったら、


「いいんだよ、だって八重の意志じゃないんだもん」と希未は笑って、
「そうだよ……、こんなことで友達を辞めるつもりはありません」と白波さんは泣いた。


 もう誰の涙で濡れているのか、分からなかった。
定かなのは、二人とも私の自我が戻ったことを心から喜んで、安堵してくれていること。そして、今でも私の友達を続けてくれること。
それが本当に嬉しくて、泣き止んだはずの私はまた涙を溢れさせていた。


「俺のことを忘れるなよ」
 鳥羽が私の頭をぐしゃぐしゃに撫ぜた。
何があったのかはその姿から容易く察することができる。恐らく警備のガードマンを蹴散らしでもしたのだろう、シャツはしわくちゃで二の腕まで袖をめくっていた。


「……随分荒っぽい手段を使ったのね」
「おう」
 彼は悪びれずに笑う。
よくそんな奇襲をかける賊のようなことをして警察沙汰にならなかったものだ。どのように交渉したのか知りたくて東雲先輩の方を向くと、彼は肩を竦める。


「そんなに派手なことはしていませんよ。精々何人か無力化して制圧した後に通信器を拝借させてもらったぐらいです」
「十分すぎます」
 相手が人間では、赤子の手を捻るようなものだったろう。それにしたって、希未と白波さんも連れてくるなんて危ないことをしたものだ。
感情では喜んでも、常識的には怒らなくてはならない。そう冷静になった私は、頬の赤みが引かないままに呟いた。


「……勘違いしないで。こんな危ない場所に希未や白波さんを連れてきたことに関しては納得したわけじゃないんだからね」
「ツンデレかよ」
 真っ先に鳥羽から突っ込まれた。
違う、そうじゃないの。感情と常識は違うってことよ。


「だから、違うってば」
「そんな緩んだ頬で云われても説得力がないですよ? 八重」
 私の頬をぐにっとつまんで、東雲先輩が面白そうに言った。
みよんみよん餅のように伸ばされるがままにされ仏頂面になっていると、みんなはやがて誰となしに笑い出す。


「こういう時、真っ先に云わなくちゃいけない言葉があるはずではないですか?」
「う……」
 そうだった。
これじゃあ大事なことを何も伝えていない。
恥じ入って真っ赤になった私は、蚊の鳴くが如し声で呟いた。


「…………んな、……がとう」
「聞こえないです」
 な……っ!
ニヤリと笑った東雲先輩の意地悪なセリフに、私は恥も外聞もなく叫んだ。


「みんな、助けてくれてありがとう!」
 なりふり構わない私の感謝の言葉が室内に響いた。


一番最初にはにかんだのは白波さんだ。
「ふふ、そんなの助けるに決まってるじゃない。もしもこれから先何が起こったとしても、私は月之宮さんのことを助けに行くよ」


 次に笑ったのは鳥羽。
「知ってるか? 月之宮。俺はなんだかんだでお前のことを気に入ってるんだぜ。意外だろ?」


 その次に、希未が私を抱きしめる。
「あたしが八重のことを諦めるなんてあり得ない!」


 壁際にいた八手先輩がニヒルに笑う。
「……これでも少しは月之宮の役に立てたか? そうだとすれば武士として本望なのだがな」


 かけられた言の葉に息を呑んだ私の頭に、東雲先輩が手を乗せた。
「云ったでしょう、君は愛されてるって」
「……うん」


 私は何度泣かされればいいのだろう。
保証のない宇宙を漂っているような心地でずっと生きていた。この広い世界で、自分だけが一人ぼっちなのではないかと本当は怖かった。
今は仲良くしている人がいても、いつか手のひらから零れ落ちてしまうのではないかと恐れていた。そのことにようやく気が付き、自分の唇が震えるのが分かった。


「わたし、怖かったの」
 絞り出すような声で告げると、みんなは黙ってそれを聞いてくれた。


「人間となんか、友達になれるわけないって諦めてた。だって、彼らはわたしとは違ってとても弱い生き物だと思っていたから。自分たちとは違う仲間外れにひどく敏感だから。
アヤカシとなんか、友達でいてはいけないと信じてた。何故かって、彼らとは生きる時間が違うから。わたしのような半端モノのことなんて忘れてしまうと思っていたの。
……それなのに、あなたたちは私の諦めていたものを…………」


 愛なんて手に入らなくても強くあれば生きていかれると思っていたのに。
愛される確証なんて、どこにもなかった。誰かと出会って自分が注いだ愛の分だけ返してもらえるなんて、奇跡に等しいと想った。
諦めていたのだ。
本当は乞えば良かったのかもしれないけれど、そうやって素直に口に出せば良かったのかもしれないけど――、


「…………っ」
 ようやく気が付く。
これだけの愛を貰っておきながら、それを期待していなかった私は酷いことをしていたのではないだろうか。
それってすごく自己中なことだったんじゃないの?
見なかったことにして、みんなの優しさを踏みにじって息をしていたのではないの?


「……いいんだよ、月之宮さん」
 白波さんは、慈愛のこもった眼差しで囁いた。


「人ってね、完全な生き物にはなれないよ。どんなに頑張っても、上手くいかないことだらけ。だからね、月之宮さんはそんなに自分のことを責めなくていいんだよ」
 天使のように微笑った。


「だからね、あなただけでも、頑張った自分を許してあげて。誰に責められたとしても、そんな自分を最後は認めてあげて。
……そして、悪いことをした時にはちゃんと叱ってあげるの」
 かつての白波さんは全てを肯定してしまうような、危うい少女に見えた。正義も悪も、なし崩しにミキサーにかけて抱擁しているのを目撃した時みたいな気持ち悪さを感じさせていた。
……それが、余りにも偏見に満ちていたことに今更気が付く。


「……あのね、私は月之宮さんのことを愛しています」
 人間に受け入れられることなんて叶わない夢だと思っていたのに。
どうして、今、こんな風に思っているのだろう。
希未だって、私のことを好きになってくれていたはずなのに。何故、彼女にこう云われて始めて、『人間』に愛されたことを実感できたのか。
……足りなかったものに満たされたのか。


「あの、ね。白波さん……」
 勇気を出す。


「……私も、白波さんのことを好き。多分、これが愛してるって感覚なんだと思う。白波さんだけじゃなくて、みんなのことも……すごく好きで大切。
だから、その……」
 今更だけど。こんなことを口にしたら、悲しませてしまうかもしれないけど。
カラカラの声で、私は言った。


「白波さんのこと、親友だと思っていても……いい?」


 ――春を告げる花のように鮮やかに咲く、
それを聞いた彼女が、本当に嬉しそうに笑ってくれたから。
わたしは、ようやく。頑固な自分のことが少しだけ好きになれたのだ。







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