悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

★間章――東雲椿







「――ぐっ」
 凄まじい速度で放たれた拳に顔面を殴打され、松葉は屋上のフェンスに身体を叩きつけられた。
その場にいるのは三人のアヤカシ。
そのうちの一人である東雲椿に、徹底的に暴力を受けた松葉は浅く吐息を洩らした。


「った……、いきなり何をするんだよ」
 そんな文句を呟くと、妖狐は殴り飛ばしたカワウソの襟首を掴んでこう告げた。


「それはこちらのセリフだ。……貴様、主である八重に対して一体何をしでかした?」
 怒りに震えた空気に、適当に欺くことなどできないことに気が付いて、松葉は視線をスッと上へ向けた。二月の寒々とした空模様はいかにも霧がかった今の自分の頭の中のようで、それがどうしようもなく寂しく思える。
そこに、目を細めた八手鋼が腕組みをして話す。


「月之宮の様子がおかしいと皆から聞かされた。確かに隠形をして観察をしてみたが、今の月之宮は日之宮の令嬢の側仕えのようになって片時も離れない。栗村や白波と仲の良かった面影がどこにもない……と東雲は云いたいのだろう。オレも同感だ」
「そんなことお前たちには関係ないじゃん」


「オレは月之宮に式として仕える予定だった。完全に無関係であるとはいえん」
 ガシャン、と松葉の背中がフェンスに押し付けられる。
 怒気を露わにした東雲は低い声で脅迫をした。


「無駄口を叩くな。……こちらの質問に答えなければ、今すぐここで八重を裏切ったお前を殺してやる」
「……もう手遅れさ。ボクを殺しても八重さまは元には戻らないぜ?」
 そこで、松葉は自然と広角が上がり、酷薄な笑みを浮かべた。
両手を指揮者のように広げ、道化のようにおどけ、愉悦に満ちた笑い声が屋上に響き渡る。


「あっはははははは……、おかしいったらありゃしない。今の八重さまには、呪術なんかまるでかかってない。予め脳内に埋め込まれていた非常用プログラムのコントロール化にあるのさ!」
「ほう」
 八手の相槌に、松葉は堰を切ったかのごとく喋り始める。心のどこかで上手くしてやったことを誰かに自慢したかったのだろう、その内容とはこういったものだった。


「月之宮家の本家のたった一人の直系に何の予防策も講じてこないわけがあるか! あの悪どい家はなあ……八重さまを手放さない為に予めその脳内に細工を施してあったのさ! いざ裏切りそうになったら彼女の自由意志を奪うつもりでね!
今までは八重さまが自分から月之宮を選ぶように思考誘導をするだけだったけど――ボク等はそれを逆に利用して、八重さまに疑似的な人格を成立させて身体を乗っ取ったんだ……!」


「お前……っ」
 狂気に満ちた笑顔で、松葉は叫んだ。


「八重さまを、ボクたちの理想の悪役令嬢にしたのさ!!」
「そんなことをして、八重が手に入ったと思ったのか!?」
 眉間にシワを刻んだ東雲に、松葉は静かに嗤う。


「偽物でもいい。こんな形でも彼女を永遠に独占できるなら、ボクらはそれで構わない……」
 狂っていることなど、百も承知。悪行に手を染めたって、永劫に離れたくないヒトだった。
そんなどす黒い感情のこもったカワウソの言葉に、妖狐は激しい怒りに襲われる。相手の首元に長い指をかけた。
 そこに、八手が素朴な疑問を口にした。


「その理屈でいくと、月之宮の本来の精神は今はどうなっているんだ?」
 はぐらかそうとした松葉は呼吸ができなくなる。首を潰しそうなほどに絞められ、遂には形勢不利を悟り舌を動かした。
「……チッ話せばいいんだろ……深い催眠にかかっているのと似たようなものだよ。もっとも、よほど強いプラスの感情が芽生えない限りは解けないと思うけど?」
 そこまで喋った松葉の襟首を、とうとう東雲は離した。


「……そこまで分かれば結構です」
「おい! お前、どうするつもりなんだよ!」


「どのような形であれ、八重の意識が健在であるのならこちらの言葉もまた届くということ。僕はどんなに時間がかかっても彼女を取り戻します」
 決意を告げた東雲の瞳は、どこまでも前を見ていた。
そのぶれない眼差しがとても不愉快になり、松葉は足を引っ張ろうとする。


「そんなこと云ったって……、簡単に上手くいくものか。一度壊れたものが容易くお前の思い通りになるはずがない」
「壊れたのなら、何度でも拾い上げて直すだけだ」
 ……嫌になるくらいに、偽善的なセリフだ。
そう考えた松葉は、次第に忍び寄ってきた眠気にだるさを感じる。
自分が壊してしまったもの、壊れてしまった主との穏やかだった時の重みを今更ながらに思い知る。長いアヤカシの人生の中では瞬きくらいに短い時間であったけれど、その幸福に気が付くのはいつも少しだけ遅すぎて。
その愛しい心が自分に向けられていなかったのが哀しくて。
 辛い。
どうしてボクと彼女は出会ってしまったのだろう。お互いに相思相愛にもなれないくせに、何故あんなに優しい時間を過ごしたのか。
今となっては、答えなんて何も分からなくなってしまったのに。


「ボクのことを殺さないのか」
 松葉の精一杯の強がりに、東雲は冷ややかに告げた。


「さて、どうしましょうか」
 どうやら迷っているらしい。


 それを見た八手は言った。
「……殺さない方がいいのではないか」


 何故?
そう聞きたくなった松葉の表情を見たのか、赤い鬼は淡々と語る。


「式妖がどんな悪事をしても、月之宮なら責任を主である自分のものだと思うだろう。ここでこの瀬川を殺してしまったら、その死を一生背負い込むのではないだろうか。
そのようなことになれば、月之宮は倖せにはなれない」


「……まさかお前がそのようなことを云うとは」
「誰かを殺すことに躊躇いを覚えることなんて昔は何も思わなかったのに、な」
 東雲椿は、忌々しいものを見るような目になった。
そこで、ようやく冷静さが彼の頭に戻ってくる。短絡的な行動が多かったはずの八手に諫められ、その理屈が正しいことを認めざるを得なかった。


「確かに、ここで瀬川を殺せば八重は二度とボクのことを許さない可能性がありますね……」
「その可能性は実に高い」
 彼女は、全てを割り切っているようでそうではない人間だから。
自分で面倒を見ようと抱え込んだ瀬川松葉の死に、無神経に笑えるような性質をしていない。そのことを思って東雲がため息をつくと、カワウソは悔し紛れに叫んだ。


「ボクは絶対に、諦めないからな!」
「どうぞ?」
「え?」
 意表を突かれそうになった松葉に、東雲は冷え冷えとした双眸で口を開いた。


「お前が諦めなくても、僕は必ず八重を取り戻しますから。ですが……」
 歯ぎしりをした松葉に、東雲が具現させた大きな極炎が迫る。


「これぐらいは嫌がらせをさせてもらいましょうか」
 人払いされていた屋上に、学校のチャイムと共に燃やされ生き地獄を味わった松葉の悲鳴が鳴り響いたのだった。







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