悪役令嬢のままでいなさい!
☆273 斥侯役は狂戦士に追い払われる
「――これは面白いことになっているじゃないか」
階段で食べていた昼食の際、不意にそんな声を掛けられて月之宮八重は瞳を見開いた。
食べ終わった弁当を片手に嫌そうな顔をする奈々子などお構いなしに、ウィリアムはしげしげと八重のことを眺めまわす。
「……不愉快だわ、用務員風情で話しかけてくるなんて」
奈々子は自分の鼻にシワを浮かべた。
「へー、どんな仕組みでこうなった訳? 魔術かと思ったけど、別段そういった呪術的な細工をしている感じでもないし」
案に拒絶の言葉を叩き付けても、今では私立慶水高校の用務員として雇われているウィリアムは引く様子をみせない。
苛立った奈々子が持っていた教科書で殴ろうとすると、ひょいと身軽にしゃがんで避けた。
「これって以前のこの子は消えちゃったの? そうだとしたら残念だなあ、月之宮さんとはもっと話したいことが色々あったのに」
至極冷静にウィリアムは語ると、操られている八重は蔑みの視線を向けた。
「そうだとしても、あなたに関係がありますか。一度は私に刃を突き立てたことを簡単に忘れられると?」
「うーん、今の月之宮さんって、俺としてはあんまり好みじゃないや。こんなことして、そこのお嬢さんは満足してるの?」
落胆して笑ったウィリアムは、首を竦める。それを見た奈々子が毛を逆立てた雌猫のように叫んだ。
「うるさいわね! 早く消えなさいよ……っ」
「本心では分かってるんだろう? こんな風に月之宮さんを言いなりにしても、何にも手に入ってなんかいないってことぐらい……」
引きつったように奈々子は哂った。
「違う! あたしは八重ちゃんを手中に収めたわ! あたし達の仲の良さに嫉妬してるんでしょう! 孤独なのはあなたの方だわっ」
「そうかな? ……俺、一度だって君のことを孤独だなんて指摘したつもりはないけど」
鋭い返しに、奈々子の息が止まりそうになる。
その動揺した様子に、ウィリアムは満足そうにくつくつ嗤う。
「案外さ、愛というものを知らないのは、もしかしてお前の方なんじゃないかい?」
「違う、違うわ……っ もう喋らないで、アンタなんか汚らわしいアヤカシのくせに……っ」
そこに追い打ちをかけようとしたアヤカシに、見咎めた八重が制止に入った。
澄んだ冬空みたいな無感動な目が非難を帯びる。
「……その辺りにしなさい。彼女は私の大事な友人よ」
「……へえ」
思わず口笛を吹いたウィリアムに、八重は淡々と告げた。
「人を惑わし追い詰めるのはお手の物ということですか。ウィリアム・ジャック・ジョーカー」
「どちらかというと今現在の気分は聖騎士って感じだけどね……っ」
そこで、ウィリアムは吹き飛ばされる。迷いのない八重から繰り出された一撃がその肉体に喰らわされ、階段を踏み外した。
無意識に肉体のストッパーがかかっていた普段では見られないが、元来の月之宮八重はその身で瓦割りができるほどのポテンシャルを有しており、痛みを通り越した攻撃は素手でありながら十分に殺傷能力を秘めたものだった。八重の関節が鈍い音を立てるほどのその一撃は大抵の異形であれば即死させただろうが……そこは不滅の魂を持つ妖怪ウィル・オ・ウィスプ。特性の不死身性で消されそうになった肉体を即座に霊体から再構築して立ち上がる。
「…………ぐ、」
「……あなたの目的は容易に推測できます。恐らくは、斥侯として天狗に頼まれたのでしょう」
淡々と語る八重に同情の色はない。強敵を前にした高揚感に酔いそうになったウィリアムは力なく笑う。
「はは……、なんだこの威力……。こんな拳の使い方をしたら自分だって痛いだろうに」
「残念ながら、現在の私は痛みという無駄なプロセスを超越したところにいます。分かりやすくいうのなら、狂戦士が近い表現でしょう」
その言葉に、意味を理解したウィリアムは眉を潜めた。
じりじりと距離を置きながら、舌打ちをする。
「あー、これはヤバイわ。死なないけど結果的に負けそう。様子を見て保護する予定だったのに、このまま戦ったらまず対象の月之宮さんが壊れるね。
そんなことしたらあの狐と杉也が黙ってないしなあ……」
退却する。そう言って逃げだしたウィリアムを追いかけようとした八重は奈々子に止められる。
「待って!
行かなくていいわ、あたしの傍にいなさい!」
「でも……今なら仕留めることもできるわ」
「行かなくていいって云ってるでしょう! そんなことも分からないの!?」
ホールに響くくらいの声で怒鳴り散らした奈々子は、ハッと気が付いたように息を呑む。唇を噛んだ彼女の命令に、八重はようやく戦闘モードを解いた。
「こんな時にあのカワウソは一体何をしているの……! 肝心な時に役立たずじゃない!」
「そうね、全くだわ」
叱られても感情を表に出さない八重を見て、奈々子は悄然とした表情になる。返答を期待しないままに彼女は言った。
「……ねえ八重ちゃん、あたしは間違ったことは何一つしていないわよね?」
「ええ」
「あたしと八重ちゃんの絆は……、」
そこで、言おうとした言葉が途切れた。
間違っていない。この繋がりは誰にも否定させない。そんなことをする方が奈々子にとっては悪なのだ。
そう分かっているはずなのに、奈々子は泣きそうになった。
欲しかったものを手に入れたはずだったのに、どうしてこんなに寂しいのだろう。
問いに応えられるものはいない。ままごとをしている彼女は独りでいるのと同じ思いを味わっていた。
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