悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆255 目覚めたアリス







 家では松葉が怒っているし、学校では見つかる度に雪女がべたべたくっついてくる。
複雑化していく私とアヤカシ達の関係はともかく、そろそろ白波さんの神子問題をどうにかしたい。
彼女もできることなら欠片を返したいと思っているみたいだし、ずっとこのままでいるわけにもいかないだろう。
どうしたものかな……。
気分転換に人気のない中庭に出て、1人で冷たい空気に当たっていると、上の方から誰かの声がした。


「あ、危ない!」
 ……え?
視線を上げると、私のいた位置の近くに切り落とされた枝が落ちてくる。ちょっとぶつかったら痛そうな物体が芝生に転がり、ちょっと肝を冷やした。
樹木の剪定作業をしていた用務員さんが慌てて声を掛けてくる。


「ごめん、ごめん。誰もいないと思い込んでいたから……怪我はない?」
「ええ、まあ……」
と、そこで私と彼の視線が合う。


「「あれ?」」
 つなぎを着たその人物の特徴は、青紫色の瞳をした外国人男性。てんで勝手に遊んでいる髪の色は稲わら色。黄色人種ではあり得ない白い肌は前よりも日焼けしたようで赤くなっている。


「君は確か……」
 気まずそうに笑っている彼の名前を私はよく知っていた。恐怖を感じそうになった私が後ずさりをしながら呟く。


「こんなところで……何をしているのよ。殺人鬼」
 その名は、今でも忘れることはできない。この痛みと共に、頭の中に鮮明に焼き付いている。
 震える声でこのアヤカシを睨みつけた。


「ウィリアム・ジャック・ジョーカー……!」
 警戒しきった私の様子に、ウィリアムは焦ったように話す。
大きな手のひらを横に振って、親し気に眉を下げた。


「そんなに睨まなくてもいいって! 俺も今では君たちと戦う気なんてまるっきりないんだから!」
「……どうして?」
 このアヤカシは人を殺すことに快楽を感じるタイプだったはずだ。息を吸うように殺しをしてしまうのだと、以前に自分で語っていたのに。


「さては、他の生徒をターゲットにするつもり?」
「現時点ではそれも考えていない」
 ……どこまで信用できたものだろうか。
目の前の男を見定めようとじっと観察していると、バツが悪そうに視線を動かし、ウィリアムは己の頬をポリポリとかいた。
確かに、以前邂逅した時に発せられていた邪気のようなものが薄くなっている。押し隠しているというよりは、人間という存在に少なからず友好的になっているのだろうか?


だとすれば、どうして?
何故、救いようのなかったこの男は変わることができたのだろう?
小太刀をこの瞬間にも抜こうとしていた私を見て、ウィリアムは焦った口調で言う。


「待った! 君には聞きたいことが色々あるんだ! 少しは友好的に対話できないものかな!?」
「…………どの口がそれをほざくのよ」
 だが、確かにこのアヤカシにはまだ利用価値が残っているかもしれない。
色々と隠し事の多そうな妖狐とは違って、白波さんの為に引き出せる情報がある可能性がある。
昔ならともかく、善良ぶっている現在なら交渉もできるだろう。
そこまで判断したところで柄から手を離すと、西洋鬼はホッとした顔で脚立の上から降りてきた。


 放送室からチャイムが鳴る。
……完全に授業のサボりは確定だ。
休戦の協定だが、最初からこの勝負に勝ち目はなかったことだし、一時的に命を預けたつもりになるしかない、かな。
その後の展開は、いささかにシュールな光景となった。
置いてあるベンチに並んで座った私とウィリアムは、互いの目を合わせないながらにぽつりぽつりと会話をしていく。


「……今は忘れてしまったけど。俺にとってすごく大事な存在がいた気がしたんだ。君はこの正体を知らない?」
「……知っています」
「本当かい? 嘘だったら怒るよ?」
 恐らく、彼はこの質問を考えられる全ての人物へと聞いてまわっているのだろう。私への質問も、さほど期待している感じではなかった。
だからこそ、先ほどの私の返事に驚きを隠せないでいる。
けれど、こちらも無償でこの情報をくれてやるつもりはない。今度は、私のターンだ。


「……私、実は名前を失くした神様なんです」
 沈黙。
黙り込んだウィリアムに、私は明瞭に告げた。


「白波さんが持っている欠片は、本来は私の神名だったはずなんです。それが、すごく負担がかかるらしくて……アヤカシにも何度も襲われているし、できるなら回収したいんですけど……」
「ああ、覚えているよ。すごく弱っちかったあの子のことだね」
 ぎろりとウィリアムをすごい勢いで睨みつけると、彼は口を真一文字に結んで両手を挙げた。


「……訂正。確かに、あの子は稀に見るいい子だ。その精神は尊敬に値する」
「そりゃああなたにとってはその程度のことなんでしょうけど……っ」
「そして君も、すごく良心的に彼女のことを心配しているらしい。素晴らしい友情だ。突拍子もない話だけど、君が神様だって話は一応信じるよ」
 ……まあ、私だって自分が神様であることは信じ切れていないぐらいだし、この程度の認識で充分だ。
機嫌の悪い猫のようになった私は、唇を尖らせる。


「あなたが知りたがっている情報を教えてあげる代わりに、あなたは私にこの解決策となるような有益な情報を何かよこしなさい。無駄に長生きしてるんでしょう?」
「……分かる範囲であれば協力しよう。レディー」
 そんな気取った言葉はいらない!
それから先は、私の覚えている範囲で秋の事件について語ることとなった。視点が偏っているかもしれないけれど、当事者であり加害者である鳥羽の供述はもう二度と聞くことができないので、私の語りで我慢してもらうしかない。


結局、行燈さんに関する記憶を全て失った鳥羽は、あの事件を起こした動機が記憶喪失を起こしているような状態になっていて、それは彼への最大の罰となっているのだろうから。
私から話を聞いたウィリアムが繋がりのある鳥羽に何か教えてしまうかもしれない。そのリスクを考慮した上でも、少しでも情報は集めた方がいいと思った。


「……なるほど。話の筋道は通っている」
 しばらく一通り話を聞いて、ウィリアムは得心したように声を洩らした。


「願成神が消えても神の座についたことのある存在は記憶を保ち続ける。君が行燈のことを覚えているのは、つまりはそういうことだと……」
「何か他に質問はあるかしら?」
 私が訊ねると、しばらく聞いたことを頭の中で咀嚼していたウィリアムがふわりと破顔一笑した。


「ありがとう、八重」
 その感謝の言葉に、私の思考が停止しそうになった。
この……、このアヤカシ、こんな風に笑える人だったっけ!?
少なからず動揺しているこちらに対し、ウィリアムは朗らかに笑い声を上げた。


「なんだか俺も君のことを好きになりそうだ」
「笑えない冗談は止めてちょうだい」
 照れくさくて吐き気がするから。
そっぽを向いたこちらに、ウィリアムは言い募る。


「嘘じゃないって、本当さ。ようやく憑き物が落ちたよ」
 感慨深そうに、そして寂しそうに彼は言った。


「俺は二度救われたんだ。一回目は過去に道祖神の遺言を聞いた時。二回目はこうして君に出会って、失うはずだった記憶を教えてもらえた時」
 そのセリフに、私は何も言うことができなかった。
私は彼の苦しみを知らない。どのような怨念を抱えて生きていたのかも知らない。
知らない、知らない……そんなことばかりで、どうして分かったような口を利けるだろうか。
そんな罪悪感を覚えてしまったところで、ウィリアムはにかっと笑った。


「俺、どうして君が名前を取り戻せないのか、なんとなく分かるなあ」
 そのセリフの衝撃に、息をすることを忘れた。
呼吸困難になりそうになったほどに驚いたこちらに、いかにも気軽にかつて血に汚れていた西洋鬼は言う。


「君、自分のこと、あんまり好きじゃないでしょ」
 それは正に図星。
苦しみながらも、私は反応する。


「……好きか嫌いかでいえば、そりゃ嫌いですけど…………。でも、誰だって自分のことなんてそんなものなのではないかと……」
「それじゃあダメなんだよ」
 ウィリアムは厳しい顔になってキッパリ切り捨ててきた。


「心のどこかで拒んでいるうちは、月之宮八重という『人間』のままでありたいと君自身が望んでいる間は君は『神』に戻れない。
それが本来の持ち主である君本人の意志、潜在的な願望だからだ」
「……………………ぁ…………」
 泡が弾けるように、全てが氷解した。
何故、半神であった私が人間になったのか。それを捨てて神に戻れないのか。
今まで呪縛となっていた自分への嫌悪感が全ての元凶だとしたならば、それはなんて……。
こみ上げる罪悪感の数々。
その1つ1つがいけないことだとしたら、私は一体これから先をどうすればいいのか。
……きっと、真実を知った私がこうなってしまうことを見抜いて、東雲先輩は今まで黙って見守ってくれていたのだ!


「それでは、私はどうしたら……」
 広い砂漠に放り出されたように途方に暮れた。
迷子になった子どもみたいな自分の声に情けなくなったとき、ウィリアムは優しく言った。


「自分を好きになることだ。俺にはそれしか云えない」
「だって……」
 その時、不意に奈々子と兄への不信感が芽吹くのが分かった。
彼らがもしもこのことを知っていたとしたら。東雲先輩とは違って、損得勘定で手を貸さなかったとしたのなら。
窮状にある白波さんのことを分かっていて見捨てていたのだとしたら……。
……こんな酷い話があるものか。
私は頭に浮かんだ言葉を無意識に訊ねる。


「ねえウィリアム」
「この世界がゲームの世界だと私が言ったら、あなたは信じる?」


 彼は首を振って笑った。
「――そんなつまらない話、何かの冗談だろう?」




I can’t go back to yesterday because I was a different person then.
(昨日になんて戻れないわ。だって昨日の私は別人だもの。)









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