悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆246 妖結晶





「そもそもね、前世で貧しい農民の娘だった私が死んだのは、ぞっとするほど寒い雪の降る冬のことだったわ」
 見ているだけで気持ち悪くなってしまいそうなほどの量の食事をレストランで注文した雪女は、分厚いステーキを切ってせっせと自分の口に運びながら生い立ちを語り始めた。


「当時は年貢がすごく厳しくてね、育てたお米はみんなお上に持っていかれてしまって、私たちが全員揃って冬越えできるほどのご飯が残っていなかったの」
「それって……」
 飢え死に。
その壮絶な過去に私が絶句してしまうと、儚げに福寿は笑って見せる。


「最初に実の弟が死んでいって、私の番になったのは姉弟で最後だった。薄れゆく意識の中で、アヤカシになるほどに強く願ったのは、『お腹一杯、もっと食べたい』って気持ちだったわ」
 大食い選手権もかくやというほどにぺろりとステーキを平らげた福寿は、頬に米粒をくっつけながら幸せそうに語る。
東雲先輩と柳原先生が憂鬱そうなため息を洩らす。
その落差に何と答えたらいいのか分からないでいると、雪女は私に向かってウインクを1つ送った。


「だから、ね? 私と一緒に気持ちいいことしない? 陰陽師の月之宮家のお姫様?」
「今の話、そんな流れでしたか!?」
 自己紹介の時に私の出自を知った福寿は、どうやらおおよその狙いをこちらに定めたらしい。凍てつくような眼差しで東雲先輩が、「却下」と告げた。
福寿のターゲットから外れた遠野さんは安堵に息をつきながら、こんなことを言う。


「あの、福寿お姉さま……、私、その、えっと……」
「まあ、素敵な響きね! あなた、政雪の恋人か何か?」


「そ、それは希望というか……」
「ねえ、お前のものはおれのものって、ジャイ○ンの名言だと思わない? 政雪のことが好きなら、きっと私のことも好きになれると思うんだけど……」
 柳原先生がそこでひくりと口端を歪ませた。


「止めてくれ、冗談に聞こえん」
「だって冗談じゃないもの」


「止めて! お願いだから!」
 襟にナプキンをつけ、ナポリタンをずるずる吸い上げながら、どこにそんな胃袋があるのか分からないけれど、福寿は恍惚とした顔だ。
本当に食べることが好きらしい。気持ちよいほどの食べっぷりだ。


「……何のためにお前がいると思ってるんです。八重を止めることぐらいできなかったんですか」
「ひぐ……、ごめんなさい」
 イライラしている東雲先輩に嫌味たっぷりに言われ、希未は泣きそうになりながら謝罪を繰り返していた。
あまりにもそれが罪悪感を抱かせる光景だった為に、私は彼にこう言う。


「違うんです、希未は止めていたけど私が勝手にしたことなの」
「はあ……、そんなに僕は信用がありませんか」
 疲れたようにため息を深々とつき、東雲先輩は諦めた口調で言った。ブルーの眼差しをおざなりに虚空に向け、その振る舞いに私はしょんぼりする。


「……ごめんなさい」
「まあいいですけどね、これが逆だったら僕も同じことをしていそうですから。僕も大概にしてこういうことに関しては愚かなので」
 ああ、だから諦観の姿勢だったのか。
反省しているはずなのになんだか頬が熱くなってしまう。恋の初心者にありがちな恥ずかしさで息を詰めていると、空気を読まない福寿が私に向かって話しかけた。


「ねえ、月之宮さん。あなた、私と一緒にこづくりをする気にならない?」
「……え?」
 こづくり?
それって……え?
脈絡のなさに瞬きを返すと、東雲先輩が先に返事をした。


「却下」
「東雲様の意見は聞いていませんわ」
 奈落の谷から立ち上るような冷え冷えとした声にも負けず、雪女はしっとりした笑みを形作る。そうして、彼女の口から放たれた言葉が深く私の心に突き刺さった。


「月之宮さん、あなたは、アヤカシには殆ど子どもを持つことが望めないことは知っているの?」
「……え?」
 どういう……こと?
云われたセリフの意味が分からずに、瞬きを返す。呼吸がとっても苦しくなって、世界がスローになっていった。


「だって……白蓮は」
 蛍御前の神使の白蓮は、アヤカシ同士から生まれたアヤカシであったはずだ。それなのに、子どもが望めないとはどういったことだろう?
喘ぐように言った私の言葉に、東雲先輩が冷静に告げた。


「白蓮はあくまでもレアケースです。アヤカシに子どもが全くできないというわけではない……零というわけでは」
「何それ……それってまるで、肯定しているみたい」
 私がそう言うと、東雲先輩は目を逸らした。そのことに衝撃を受けていると、雪女は柔らかい物言いで続ける。


「そうね、ゼロじゃあないわ。正しく使われたゴムの妊娠率と同じくらいの確立でなら、アヤカシと人間でなら子どもができる可能性はある。でもね、アヤカシ同士の場合は、殆ど天文学的な話になってくるわ」
「何それ……」
 それじゃあ、もしかして私と東雲先輩の将来には子どもが望めないということなのだろうか? そんな大事なことを、どうして今まできちんと話してくれなかったんだろう……どうして。ちゃんと言ってくれていたならば、真剣に色々考えたのに。
裏切られたような気持ち。物悲しさ。全く夢に見なかったといえば嘘になる。東雲先輩との子どもを抱いて、可愛がりたいという願望がなかったといえば嘘になってしまう。
与えられた情報に混乱している私に対し、雪女は猫なで声を出す。


「でもね、そんな程度のことで諦めきれるものじゃあなかったわ。アヤカシの私でも子どもが欲しい、そう願うことが罪だというのかしら?」
「そんなこと、ない……」
 思わず口から出ていた。同情というわけでもなく、素直に共感したから。


「そうね。ありがとう、月之宮さん。そこで私は色々調べて無い知恵を絞ってみることにしたの」
 バッグの中から雪女が取り出したのは、ペンダントの形に加工された水晶だった。促されて見たこともない輝きとオーラを放つその石を触ってみると、異様なほどにひんやりと冷気を帯びている。


「これは何ですか?」
「これはね、私の氷の妖力を時間をかけて結晶化させた物質よ。名付けて、妖結晶」
 見れば見るほどに一目を惹きつける石だ。
 東雲先輩が呆れたように言う。


「どれだけの強力な妖気を込めたんですか……。結晶化自体なら僕にもできなくはありませんが、そこに宿ったエネルギーがまかり間違って悪用でもされたらどうするんです」
「本当にそうだぜ姉貴。そんなおっかないものをホイホイ人に見せるもんじゃない」
 柳原先生も嘆息する。
それに対し、福寿はニヤリと笑った。


「それでね、私の理屈では、このアヤカシの妖力を固めた結晶を、霊力の強い若い人間の女の胎内に宿らせれば子どもができるはずなのよ!
だけど、なかなか適合者が見つからなくって……まさかこんなところで探していた人材と巡り合えるとは思わなかったわ!」
「え?」
 キラキラした眼差しを注がれ、手のひらを掴まれた私は怪訝な声を出す。まさか矛先がこちらに向けられるとは思っていなかった為、たらりと冷や汗が噴き出てきた、
周囲は騒然としている。私も身の危険を感じている。だってこのままでは未婚の母だ。じょうだんじゃないっ!


「帰らせていただきます」
 身の危険を感じ席を立とうとした私に、福寿は諦め悪く引き留めようとしてくる。


「止めてえ、帰らないで! ちょっとでいいから! 考えてくれるだけでもいいのよ!」
「これ以上変質者同然なお前と話すことなど何もないでしょう。さあ八重、会計を済ませて一緒に帰りますか」
 浅く息を吐いた妖狐がそう言うと、周りはすっかりお開きモードになる。鳥肌の立った皮膚をこすりながらその場を立ち去ろうとした私に、福寿は慌てて叫んだ。


「お守りとして持ち歩いてくれるだけでもいいのよう!」
 ぴたり、と東雲先輩の動きが停止する。
海の色の双眸が土下座寸前の体勢になっている雪女の方を睨んだ。


「……お前は馬鹿ですか。そんなおぞましいものをお守り代わりに八重に身に着けさせるわけがないでしょう」
「でもでも、何か役に立つかもしれないじゃない! 予備ならほら、一杯あるし!」
 手元からゴロゴロと何個もの妖結晶きけんぶつを取り出した福寿に、東雲先輩は白い眼を向けた。柳原先生が、「遠野が狙われなくて良かった……」と心底から感じた呟きを吐く。
 ここまで相手が一生懸命になっていると、私もなんだか哀れみに似たものを抱いてしまう。彼女にとっては切実なことなのだろうし、得体の知れないものを孕むのは流石に絶対嫌だけど持ち歩く程度なら別にいいのではないかと思ってしまうのだ。
それに、あんまり手ひどい対応をして恨みを買ってもね。


「まあ、それくらいでいいんでしたら……」
 我ながらお人よしと思わなくもないけど。
若干のため息の後に妖結晶のペンダントを受け取ると、東雲先輩がぎょっとした表情になった。


「正気ですか八重! 早くそんな汚いものは捨てなさい!」
「私の研究成果をばっちいとか云うなー!」
 雪女が怒る。流石に生産者としてそこはこだわりたいらしい。
 私は頭痛を感じながらも言った。


「子どもとか期待しないでくださいよ?」
「うん、期待しないで待ってるわ!」
 いやだから、待たないでくださいって。
定食をぺろりと平らげながら宣言されても困るだけだし。







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