悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆244 弱気の私







 さて、そうと決まれば尾行は想像より容易いのだ。
お姫様が王子様にキスしてしまうより、簡単にできる内緒の行動。息を潜め、気配を消して私と遠野さんと八手先輩、そして先ほどから妙に顔色の悪い希未をおまけにくっつけて生徒会室の前で対象の動きを見張ることにした。


 容疑者は東雲先輩と柳原先生。疑惑は、ぽっと出の女性1人との浮気。


 こうして何をするともなく待っているというのは手持無沙汰なものがあるけれど、考えることは無駄なくらい抱えているから時間が過ぎるのは意外と早い。
……もしも、この嫌疑が本当のことだったらどうしよう。
だって、恋なんて数えることしかしたことがないのだ。こういう時にどう振る舞ったらいいのか分からない。
いつかの遠野さんにされたように平手を食らわせた方がいいのかな。だけど、それで嫌われてしまったらどうする? このまま別れ話になってしまったら?
さっきまで強気でいたくせに、そんな展開を想像してしまっただけで、胸が切なく締め付けられる。……ああ、こんな風に感じてしまうなんて、私は本当に東雲先輩のことが好きなのだ。


 ふ、と自嘲しながらため息をつくと、希未が複雑そうな表情でこちらに喋る。


「あのね、八重? そんな顔をしなくても、東雲先輩は浮気なんてしていないよ?
本気で八重のことが好きだって私が保証するって……」
「……だって、いくら考えても自信がないんだもの」


「どうして?」
 真摯に私の目を覗き込んだ希未に、私は渦巻ている不安を吐露する。


「どんなに好きだと思ったって、もしかしたら勘違いだったのかもって……私ばっかりが彼のことを思っているような気がしてしまうの」
「そんなことなんて――」
 ない、と続けようとした希未の口を、鬼が反射的に塞いだ。バッと顔を上げると、軋むように開いた生徒会室のドアの隙間から、鈴を転がすが如し女性の笑い声が聞こえてくる。


 私の顔が強張った。聞きたくない、見たくないと思ってしまうのに、現実は無情にも認めたくない事実を突きつけてくる。
隠れてあちらを監視している私たちの目の前に、堂々とした足取りで1人の女性が姿を現した。抜群のスタイル。目の覚めるような美人。
灰色のロブヘアー。ダメージ加工の激しい極ミニのスカートから、すらりとした長い素足にサンダルを履き、ダイナマイト級の巨乳はぽよんと揺れる。
白い肌に泣き黒子が1つ。それが絶妙なアクセントになり、むしろ完成された容貌を引き立てるパーツとなっている。


 悔しいことに、浮世離れしたその見た目は私なんかよりもよっぽど男の理想ってやつに近いものであると納得してしまった。
もしも目の前にこんな女が現れたら、数多の男は群れを成して一夜の恋人に立候補してしまうだろう! 本当に悔しいけど!
 ギリギリと気がつけば奥歯から音がしていた。いけない、私のエナメル質が削れちゃう。
 隣の遠野さんは聞こえないぐらいの小声で呪詛を吐いている。


「死ね死ね死ね死ね、この糞ビッチビッチビッチビッチビッチビッチ……」
「……つり上げられた魚みたいな音ね」
 その禍々しさと毒気に、一瞬だけ私は正気に戻る。冷静にそんなことを突っ込んでみると、希未が吹き出した。
 さて、視線の先にある謎の女は、当然ながら孤独にそこに立っているというわけではなかった。彼女が顔を見せた次のコマで、疲れた顔つきの妖狐と雪男が姿を現した。


 ――むかっ
 ――イラッ
現場を押さえた私と遠野さんのこめかみに青筋が立つ。
握りしめた拳から血管が浮き上がる。


「ねえねえ、せっかくだからこの街を案内してくれないかな? 久々に会うんだし?」
 私たちの気も知らず、謎の女はそんなことを口にした。


「呼んだ覚えはありませんがね」
 意味深に笑いかけられた東雲先輩は、眉も動かさずに呟く。


「えー、東雲様、つれなぁいい! いいじゃない、少しはお相手してくれたってえ!」
「……頼むから早く帰ってください」
 ほとほと疲れ果てたと言わんばかりの柳原先生が泣き言のように洩らすと、見知らぬ女はニヤニヤと笑顔になった。


「あら? 私に見つかったら困るものでも隠しているの? そのズボンの中身とか脱がせてみましょうか?」
「や……、止めろ! 誰かに見られたらどうするんだ!」
 わきわきと指を動かしてベルトに手をかけようとした女に、青ざめた雪男は距離をとる。明らかに確信犯の顔をした女は、「いけずう」と囁いた。


「……何も隠してはいませんよ」
「だったら、2人とも放課後の時間で私をもてなしてくれてもいいわよね? 折角山から下りてきたばかりなんだから、何か美味しいものでも食べたいわ」
 チラリと東雲先輩の方を見て、女は髪を振り払い言い募る。その主張に、抵抗するのも疲れたのか彼らはため息を吐いた。


「ご勝手にどうぞ」
「食ったら帰ってくれよ」


「やった♪」
 何か嫌な想像をしてしまいそうなやり取りだ。
私の恋愛偏差値は余り高くないけれど、これぐらいの意味は分かる。
つまり、この場合における美味しいものを食べたい、とは……。 それに東雲先輩は何て返したかって……。
顔が真っ赤に染まった私は、そこから先を考えることを止めた。


「……行っちゃったね」
 希未はひょっこり顔を見せて呟く。


「なんだか東雲先輩のあの反応だと、只の知り合いってことじゃないの?」
「……そうだな」
 友人の言葉に同意した八手先輩に、遠野さんが無表情で否定する。


「……いいえ、今のはとても高度な男の誘い方。あの女は、柳原先生と東雲先輩をつまみ食いのように食べていくつもり。きっとこの後はみんなで良からぬ場所にでもいくに違いない」
「え!? そ、そうなの!?」
 やっぱり、遠野さんも同じことを思ったのだ。
なんだか、血の気が引いて足元から地面が崩れてしまったみたい。少しだけ残っていた自信も吹っ飛んでしまった。
アヤカシなんて信用するんじゃなかった。そんな幾度目かの見地に至ろうかとした時、遠野さんが不思議そうに振り返る。


「……? どうしてみんな追いかけようとしないの?」
「……だって、もう答えは出ているじゃない」
 浮気確定だ。誘って誘われたシーンまで見ているのに、他になにを調べることがあるのだ。怒りよりも予想外の悲しさに涙も出てこない。


「……月之宮さんは、ライバルが登場したぐらいで簡単に諦められるの? 生徒会長への恋はその程度の想い、だった?」
「……そんなわけない」
 違う、違うんだよ遠野さん。私は、その程度の軽い気持ちで人を好きになるわけじゃないの。あの人はアヤカシだけど、その言葉を信じてみたいと思うほどには好きだったの。
 好きだから、こんなに苦しいの。


「……だったら、追いかけなくちゃ。諦めるのは、まだ早すぎる」
 歪んだ私の表情は、全然可愛くなんかない。
嫉妬と怒りと悲しさでぐしゃぐしゃになった私の心は、ちっとも美しさとはかけ離れている。
それでも、いいのかな。
みっともなく追いすがってもいいのかな。


「月之宮さんは、怠惰すぎる」
「……ちょ、そこまで言うことないじゃん!」
 慌てた希未に、遠野さんはきっぱりと言った。言い切った。


「……恋とは本来、どんな手段を使っても勝ち取るもの。そんな風に膝をついて待っているだけでは手に入るはずがない」
 ひび割れた私の心にそのセリフが染みわたる思いだった。
 小さな声で呟く。


「そうね……そうかもしれないわ。ごめんなさい、私、弱気になってた」
「……別にいい。2人で天誅を下しに行きましょう」


「ええ。世にも恐ろしい罰を与えてやりましょうね、遠野さん」
「……そうね、月之宮さん」
 手と手を取り合った私たちに見える世界は、酷く狭くて歪んでいるのだが、その現実に気付いている者はこの場では一名しかいなかったのである。






「もう、しーらない……」
 栗村希未は、遠い目で空ろに言った。







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