悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆243 私はまだ気づかない







「……何の用だ、月之宮」
 酷く困惑気味に目を向けてくるのは、八手鋼三年生。寝ぐせで赤くくしゃくしゃになった髪に視線を移しながら、私は遠野さんと一緒に口端を上げた。


「先輩に力を貸してもらいたいことがあるんです」
「……オレに? 助力を?」
 八手先輩が、顔の角度を斜めにする。気なしかその表情は満更でもなさそうで、見るからに歓喜するような輝きが生まれた。
まるで私に特別の好意でも抱かれているのかと勘違いしてしまいそうだけど、きっとこれは後輩に頼られたことが純粋に嬉しかったのだと思う。
初心な乙女のようにそわそわとしている赤い鬼に、勝手についてきた希未がとても嫌そうな顔をした。


「八手先輩まで巻き込むのー? やめようよー、このままじゃ私が東雲先輩に怒られちゃうよぉー」
「気が進まないなら、アンタは付いてこなくて結構よ」


「そういうわけじゃないけどぉー、仮にも2人は恋人同士なんだったらもっと信頼してあげてもいんじゃない? 八重」
「…………」
 聞こえてきた言葉に、私はフンとソッポを向いた。


「今となっては、それも定かか知れないわ」
「ええー」
 私と希未のやり取りに、八手先輩は落ち着きなく自分の髪を触りながら呟く。主人の命令を待つ忠犬さながらの態度で、
「それで、オレには何の用事で来たんだ」


 ああ、そうでした。


「……先輩って、確かストーキングが得意でしたよね?」
 聞こえてくる言葉に、はああ、と憂鬱なため息を希未が吐く。力なくしゃがみ込んでは地面に指でのノ字を書き始めた。


「……すとーきんぐ、とやらはもしや尾行のことか。いや、まあ、確かに得意と云えば得意ではあるが……」
 横文字を慣れない口調で返してきた八手先輩は、思慮深げに顎に手を当ててみせる。気乗りしないわけではなさそうなので、彼の協力を取り付ける為に私はぐっと押すことにした。


「私たちに協力してくれたら、できる限りで私も八手先輩の望みを叶えてみせます」
「それは真か?」


「ちょっと八重ったら何てこと云ってるの!」
 世の中はギブアンドテイクだ。
こちらの要求を突きつけるだけではフェアとはいかない。こちらも何かできることで協力しないと、とても話を聞いてもらえないだろう。
そんなことを考えながら口走った言葉に、赤い鬼は見事にうろたえた。どんな想像をしたのであろうか、顔を朱に染めた希未がノイローゼを起こしそうになっている。


「私は、何か変なことを言ったかしら?」
「自覚がない!? もう、勉強ができるくせに変なところで疎いんだから! そーいうことは東雲先輩にだけ云ってればいいんだよ!」
 ツインテールを振り乱した希未が錯乱しそうになりながら詰め寄ってくる。
彼女がここまで言うということは、私はもしや言ってはいけない言葉を告げたのだろうか。
なんとはなしに気恥ずかしさが生まれるも、


「……口にしたからには撤回する気はないわよ?」
「ここで頑固クール!?」


「だって、武士に二言はないって言うし……」
「いーから撤回しろ! 早くそうしないと……」
 言い争いをしていた私たちに、真っ赤になった遠野さんが身をよじらせている。「……わ、私がそんなこと云われたら……あんなことも、こんなことも?」とか何とかブツブツ言っている姿は少々不気味。
そんな騒ぎをしている私の方に、一つの背高な影がぬっと延びる。ぎゃーぎゃー騒いでいる希未を脇から抱き上げて宙釣りにしたのは、真剣な面になった八手先輩だった。


「……あ」
 どうやら、正面に陣取るには希未が邪魔だったらしい。私の対になる場所に一歩進み出た彼は、のっぺりとした無表情のままに言った。


「何があったのか知らないが……お前の願いを叶えるのはやぶさかではない」
「は、はい」


「対価を要求するつもりはなかったが……。できることなら、欲しいものは1つある」
「何ですか? お金でも美食でも世界一周でも、大抵のものなら財閥の力で揃いますよ!」


「金で解決する類のものではないが……」
「もしや、権力ですか?」


「いや……」
 身もふたもないことを羅列する私に、八手先輩が困った目をした。視界の端で、地面に足がつかない希未が「これだから財閥令嬢ってやつは……っ」と悔しいんだが悲しいんだか分からないことを口にした。






「…………が、欲しいんだ」
「へ?」
 何かを呟かれ、聞き取れなかった私が首を傾げる。
理解していないことが丸わかりな無知なこちらに、彼は苦笑するしかなかったのだろう。八手先輩が静かに言った。


「いや……今はまだ、いい」
 諦めの付かない炎のような熱さが、鬼の中に宿る。
その温度の色も、覚悟も。まだ気づかない私に、彼は誰にも分らないように苦笑した。







コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品