悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆229 とある冬の記憶







 冬の。
雪にならない雨に打たれる度に思い出す。


 寒さに震え、自動車に轢かれて全身が冷たくなっていったあの日のことを。
――私が死んだ時の記憶を。




 道路のガードレール脇に打ち捨てられ、悲しさに意識が遠くなっていく中、幼き貴女はボロボロになった私のことをその両手で抱きしめてくれた。
付けてくれた呼び名を何度も繰り返して、泣きながら走っていく。揺れる振動は結構痛かったけど、親しくなった人間の温もりが伝わってきた。


 いつもは綺麗に舐めていた私の毛皮からは真っ赤な液体が滴っていて、濡れた泥と砂で汚くなっている。それがどうしようもなく悲しくって、恥ずかしい。
いつもだったらね。もっと綺麗な姿を見せられたの。
貴女の知っている私はね、いつもピカピカに輝いているはずだったのに。
こんなに醜い傷を負った姿なんか、見たくないよね。怖いよね。ごめんね。


 そんな思いばかりがぐるぐると頭を渦巻いて、ひくひくと手足が震える。息を吸ったり吐いたりする度に、激痛が全身を走り抜ける。
いつも貴女に会う度に、最初は怖かったけどすぐに嬉しくなった。美味しいものも沢山分けて貰えたし、ちょっと意地悪な貴女のお兄さんはあんまり好きじゃなかったけど……貴女のことはね、ずっと大好きだったんだよ。


 ちょっとね、ヘマをしちゃっただけなんだ。普段だったら素早く道路を走って身軽に渡れたの。でもね、今日はあの鉄の塊とぶつかってしまった。ごろごろって引きずられて、こんなに汚い姿になってしまった。
でもね、貴女に会えて嬉しかったよ。


 もう分かるんだ。
こんなに痛かったら、自分の命が長くないことくらい、ちゃんと私は分かってるんだ。


そんなに泣かないで。涙を零さないで。
好きだよ。
汚くなった私のことを抱きしめてくれる、貴女が大好きだよ。


 ……あれ、おかしいな。
どうして貴女のお兄さんは私のことを見て、そんなにショックを受けた顔をしているの?
そんなに苦しそうな表情をするぐらい、今の私は酷い見た目をしているのかな……。


 ねえ、それって私の名前?
どうせならもっとカッコいい名前にすれば良かったのに、こんな時ですらそんな呼び方をするの?


 ……もう、返事をするのもおっくうだよ。
鳴き声を上げられるほど、身体に力が入らないの。
いつもだったら、鼻をひくひくさせて返事ができるのにね。ごめんね。






 あれ、みんなで私をどこに連れていくつもりなの? ねえ、私はこのままでもいいんだけどな……。
飼い犬じゃないんだからさ、これでも野良の矜持ってものがあるから。人間に身体を弄りまわされるのは好きじゃないの。それぐらい、分かるでしょう?


 ねえ、私は貴女と離れたくない。
大好きな貴女の側で死ねるならこれでもいいかと思ったのに、そんな風に他人に預けて置いてきぼりにするなんて、酷いよ。






 ……ああ、だんだん夜が深くなっていく。
恨み言も残そうかと思ったけど、やっぱり貴女のことが大好きなの。
もしもこの醜くなった肉体からね、檻の中から魂が自由になったなら、きっと貴女の元に会いに行くから。
その時は、もう一度お友達になって欲しいな。
もしかしたら、私のことは気付いてもらえないかもしれないけど、私は絶対に貴女のことを忘れたりなんかしないから。






 おかしいね。人間に殺されかかったはずなのに、私は貴女のことが好きでしょうがないの。
 溢れるほどに、貴女に会いたくて。
 会いたいよ……。
 ごめんね。
怖いものを見せてごめんね、八重ちゃん。






 ――窓の外に降る雨を見ながら、その日の記憶が蘇った私は一人で呟いた。
「……愛してるんだ」
骨の髄から、魂の根幹まで。
その言葉は、まだ私の胸の奥に秘めたままだ。







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