悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆225 穢れを受けし者







 呂律の回らない口で、
「しのの、め……先輩」と呟いた。


 湿気た土は体温を奪うほどに冷たく、横になるには固い。反応を示した私の様子に、東雲先輩は強く抱きしめてきた。
「八重……、八重!」
 傍らの松葉も、泣きそうな顔でいてくれていたらしい。


「八重さま……」
その声が震えている。


「私は、一体……」
 妖狐の温もりを感じるままに何が起きたのか分からくて茫然としていた私は、臨死体験をする直前に背中を刺されたことを思い出す。身を強張らせた自分の服にはべったりとした大量の血で染まっており、けれど不思議なことに痛みはない。
あれほどの負傷をしたのにこれはどういったことなのか……。何か得体の知れない不吉な予感を覚えて身震いをしていると、誰かの叫び声が聞こえた。


「白波! おい……!」
 焦りながらも彼が呼びかけているのは、ぐんにゃりと横倒しに意識を失った少女だ。血の気は失せ、瞼は閉じ、まるで死体のような土色の顔色になっている。
それが目の前に飛び込んできた私はさあっと青ざめる。


「白波さん!?」
 まさか、彼女に何が起こったというのか。
死者のように眠り続ける白波さんの着ている洋服から、黒いものが滲んでくる。それを見た私は、揺さぶろうとしている天狗を睨みつけて叫んだ。


「裏切り者が白波さんに触らないで!」
「…………っ」
 愕然と目を見開いた鳥羽は、動きを止める。


獣じみた威嚇をした私が白波さんの服を脱がし始めると、そこには何者かに切り付けられたような青紫色のアザがあった。
そこから染み出している黒い染みが着衣を汚していた。
位置といい、大きさといい、まるで私が先ほど切り付けられた怪我が白波さんに移ってしまったかのようだ。それを見たショックに私が言葉を失くすと、ウィリアムを異能で半殺しにしていた蛍御前が眉を潜める。


「これは……」
「ねえ、蛍御前! 白波さんに血は分けられないの!? 柳原先生たちみたいに、助けることは……っ」


「無理じゃ。この娘の魂の容量が到底足りぬ。神名を持っているだけでも限界だというに、それに加えて妾の血まで与えれば内部から崩壊することになる」
「じゃあ、どうすればいいの! 今の白波さんに一体何が起こっているの!」


「この娘は、八重のものであった厄を代わりに引き受けておる。このままでは多かれ少なかれ死ぬことになるじゃろうな」


 厳しい眼差しになった蛍御前は、浅く息を吐いてから、
「そもそもの前提から間違っておったのじゃ。妾でさえ白波小春はただの神子フラグメントだと勘違いをしておった」
「……勘違い?」
 その言葉に、私は動じる。東雲先輩は視線を逸らし、鳥羽は伏せていた顔を上げて焦燥に満ちた瞳になる。


 蛍御前は言う。
「恐らく、白波小春には第三者の陰陽師によって身代わりの術がかけられておる。対象になった人物の負った怪我などの災厄を引き受ける生きた形代にされているのじゃ」


 そういえば。
以前にも、白波さんが触れた私の傷が消えていることがなかっただろうか。
 形代とは、藁や紙などで人型に作った人形に穢れを移したり呪詛に使ったりする陰陽道の呪術の一つである。
間違っても生きた人間をそれに仕立て上げるなんて許されるべきことではない。


その禍々しさに、真実を聞いた私は殴られたような衝撃を受ける。それは私だけではなく、少なくともこれを聞いて落ち着いている人物は東雲先輩だけだった。


「まさか……、だから白波小春は神名を持っていたっていうこと? 術に必要だったから? だとしたらこれは神の寵愛ではなくて、呪いを受けていたってことになる……」
 合点がいった松葉が、戦慄きながら呟いた。
怒りのこみ上げてきた鳥羽が、私に向かって怒鳴る。


「お前がやったのか、月之宮! よくも白波に向かってこんなことをできて――、」
「落ち着きなさい、杉也」
 手を上げそうになった鳥羽の拳を、長い白髪の男性が受け止める。冷静に状況を観察していた彼は、静かに言った。


「この山に命がけで助けに来るようなこの子が、そんな酷い術を使うわけがないでしょう。神である私の目には人道に反した行いをしているようには見えません」
「…………っ」
 そう言われた鳥羽が、土気色をした白波さんの横顔を見つける。正気に返ったように全身を小刻みに震わせながら、歪んだ唇から音が洩れる。


「……違う、分かってるんだ」
 意識のない白波さんの手をとって、彼は悔やむ。


「月之宮のせいじゃない。こうなったのは全部俺のせいだ……っ」
 悲痛なほどの慟哭。
泣く一歩手前の状態で白波さんに縋り付く鳥羽の様子に、口もきけないくらいに叩きのめされたウィリアムが身じろぎをする。
自分で動くこともできない西洋鬼の肩を担いだ白髪の男性が、
「……杉也、こんなところにお嬢さんを寝かしておくわけにいかないでしょう。社なら布団もありますから、そこに運び込むのを手伝いなさい」
と、彼は周囲を安心させるような口調で言った。


「皆さんもご一緒に来てください。今、案内しましょう」
 東雲先輩に支えられて立ち上がろうとした私は、警戒をする。


「あなたは……」
「ああ、自己紹介がまだでした」
 和服を纏った見知らぬ男性は、薄く告げた。


「私の名前は行燈。道祖神という道案内の神をやっております、杉也の育ての父です」
 木枯らしが吹く。
雑木林がざわめく外に、真剣な彼の声が響いた。







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