悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆220 呼びかけに応えた神は







 震えるほどに助けたいと思った。
彼女のご両親から話を聞いたら、身に染みるくらいにそう思わされた。
もしかしたら、こんなに時間が経ってしまった以上、すでに手遅れかもしれない。奈々子の言う通り、お骨を拾いに行くことになってしまうかもしれない。
 アイツに勝てる確実性はないし、今度こそ私の命も亡くなってしまうやも。
それでも、私の胸にあるのは、白波さんと過ごした過去の思い出の数々だった。
 縛られているような義務として助けに行きたい訳ではない。
もしも私が陰陽師として修行を積んでいなかったとしても、私は白波さんを救出したいと願ったはず。


白波さんの家からの帰り道。車外に降りしきる豪雨を見つめる私の脳裏に何かがちらつく。
……そうだ、もしも可能性が1パーセントでも残っているとするならば、それはもう。
「ここで降ろして!」
「お嬢様!?」
 信号機で停車している高級車のドアを無理やり開けると、私は中に執事長を残したまま傘も持たずに道路に飛び出した。
 あとちょっとで月之宮邸かと思ったら、一分一秒でも惜しかった。
確か、水辺と云われていたはず……っ
大きな雨粒が数えきれないくらいに私の顔や身体を濡らしたけれど、そんなことも気にしないで私は全力で疾走する。
 頭の中は異常なほどに冴えていて、今なら奇跡も起こせそうな気がした。
錯覚かもしれないけれど、叫んだ声は届かないかもだけど、どんな手段を使っても私はもう一度白波さんに会いたい。
 後悔ばかりが押し寄せてくる。
 私はまだ言えていない。
白波さんに、親友のように思っていることを伝えていない!
もっと早く素直になれば良かった。彼女に関わることを避けないで、その優しさを信じてまどろんで受け入れるべきだった。
 今やアヤカシと戦うことへの恐れは不思議にも感じない。
あれだけ悪役令嬢として振る舞うことを嫌だと思っていたくせに、このまま白波さんを見捨ててしまえば安全で平和な生活は手に入ると分かっているのに、それを考えたら私には壊れたような笑いが浮かんできた。


もしかしたら最初の分岐点から間違っていたのかもしれないけど、友達にならなければ剣を持つことなんてしなくても良かったのかもしれないけれど、白波さんと出会わなかったら良かっただなんて欠片も思っていないのだ。


 いつか私のことも忘れられてしまうのだろうか。
共に過ごした日々のことも、彼女は忘却してしまうのか。
 けれど、それでもいい。
透明なあなたが忘れても、私は二倍に覚えている。
あなたがあなたである限り、私が記憶しつづければいい。神の欠片の問題については、その後に考えていけばいい。
だから、お願い!
月之宮邸の日本庭園で、私は水辺で一心に懇願した。


「お願いします、助けてください!」


 雨雲で真っ暗になった空。土砂降りで泥だらけになった土に跪き、小さな池の前で頭を下げた。服が汚れるのも、頬に泥が付くのも構わなかった。


「白波さんがアヤカシに浚われたんです! 私はどうしてもアイツを倒しに行って助けなくちゃいけないんです……お願いです。どうか、どうか――」
 その時、私の頭に神龍の言葉が鮮明に蘇った。
水色の髪に金色の瞳をした彼女は、確かこんなことを言っていたはずだ。
『もしも何か困ったことができた時には、水辺で妾の真名を呼ぶがよかろう。地べたに土下座してひれ伏しながら祈りを捧げられれば、遠くにいる妾にまで声が届くやもしれぬ――』


 心臓が高鳴る。
乾いた口で、カラカラになった喉で、青くなった唇で震えながら呼ぶ。
「タカセノ……ハヤテヒメ」


 そう呟いた時、目の前にあった水面がうっすらと光輝いた。小さな泡が立ち上り、甲高い超音波のような音律が聞こえてくる。
息を呑んだ私が伏せていた顔を上げると、沸騰しかけたお湯のようになった池の水から、突如質量のある存在が突き破りながら出現をしたのだ!
 瞬間移動。
「よくぞ呼んだ!」


 空中で三回前回りをした神龍が、スローモーションに私の瞳に移った。ばさりと長い水色の髪を揺らして、金色の目を鮮やかに輝かせた蛍御前が口端を吊り上げて私を地面に押し倒す。私の膝の上に乗った彼女は花火のようにパッと笑顔をきらめかせた。


「ほ……、蛍御前……っ」
「なんじゃ、久しぶりの再会だというのにつれないのう。もっと喜んだ顔をせんか!」
 白い歯を見せた神龍は無邪気に笑っている。
はだけそうになった襟元をただすと、咳払いをして言った。


「事情はよう分からんが、何があったのじゃ? 必死になって妾を呼び出すほどのことじゃ、それ相応のことがあったのじゃろう?」
「はい……」


「どれ、話してみい。妾にはこの屋敷に世話になった恩がある。多少のことなら融通を利かせるよってな」
 なんて温かい言葉だろう。
鼻の奥がツンとした私は、顔をくしゃくしゃにして言った。


「なんで前に呼んだときは出てきてくれなかったんですか……!」
「そ、そうだったかの」
 わざとらしく目を逸らした蛍御前が、バツの悪そうな表情をしている。何か隠し事をしている態度だ。


「それは……その、あれじゃ。ちょうど忙しかったとか、そういったことではないかの、うん」
「どうせゲームでもしていたんでしょう……」


「いや、白状するとまた旅行に出ておって社におらなんだのじゃ」
「どこに」


「……中国の知り合いのところに」
「そんな理由で無視されたんですか!?」
 愕然とした私に、蛍御前はぼそぼそと言い訳をする。


「ほら、人間でも年がら年中電話番をするわけにいかないじゃろう。妾の場合もそれと似たようなものでな、日頃はそこまで熱心にチャンネルを繋いでいるわけではないのじゃ」
「気まぐれにもほどがあります……」


「ヒーローは遅れてやって来るのじゃ。昔からそう決まっておるのじゃ、許せ」
 頬をかいた蛍御前は、そんなことを言って気まずそうにしていた。
 事情は分かったから、早く私の上からどいて欲しい。
そんなことを思いながらも、じわりと氷が解けるような感覚に吐息を洩らしたのだ。







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