悪役令嬢のままでいなさい!
☆217 絶望と愛情
波打ち際に打ち上げられたような心地がした。昏睡から意識を取り戻した時には、私のいる場所は戦場となった住宅街ではなかった。
窓の外は夜。
消毒薬の臭いのするシーツの感触に、頭痛を堪えて起き上がる。
「……八重!」
「八重さま!」
意識不明状態の私の側にずっと居たらしい。明るい茶髪を下して、頬に傷をつけた希未が目と鼻を赤くしているのが見える。泣き出しそうな表情をした松葉も控えていた。
「ここは…………っ」
頭が痛い。ガンガンと金づちで殴られているみたいだ。手足も重いし、重石を鎖で繋がれた奴隷になった気分。
いがらっぽくなった喉に、軽く咳き込む。
「良かった、八重……!」
「身体は大丈夫!?」
「ええ、なんとか……」
心配してくれた希未と松葉に、私はガラガラの声で返事をする。全身に生々しい切り傷を負っているけれど、自分の両手両足は無事に残っていた。
その時、頭にフラッシュバックしたのは蹂躙された八手先輩と柳原先生のことだ。目を見開いた私が衝撃に辺りを素早く見回すも、彼らの存在はない。
「2人は……」
それに、あの子がいない。
「ゲホ……ッ ねえ、2人はどこなの!? それに、白波さんは……ッ」
私が顔色を白く変えて尋ねると、希未と松葉が沈痛の表情となった。誰かを悼むような彼らの様子に、最悪の事態を覚悟する。
「まさか……、死んで……」
「死んでない!」
頬に痛々しい傷と、腕に包帯を巻いた希未が立ち上がろうとしたこちらを押しとどめようとする。すすり泣くような、そんな掠れた声で、
「死んでない……ギリギリ、死んでないよ。八重……」
と唇を震わせる。
「どうして、生きてるって云わないの」
どうして、『死んでいない』という表現を使うの。
私がそう問い詰めると、希未は視線を伏せてしまう。代わりに引き継いだのは、意識を取り戻した私を見て安堵した松葉だった。
「人間だったら死んでた」
「…………っ」
そう言った少年は、ぽつぽつと言う。
「全身複雑骨折に、脱臼。雪男は失血死しかかってたし、鬼の方は加えて半分ほど臓器がぐちゃぐちゃに潰れてる。正直、よくこの世に踏みとどまったもんだと思うよ」
「ひどい……」
なんてことを。
なんてことを、してくれたのか。
私が息を呑むと、松葉は暗い瞳を潤ませてこちらに抱き着いてきた。
「……八重さまが生きていて良かった。あんなことを云ったままなのに、起きなかったらどうしようかと思った」
鼻をすする音がした。
「……ねえ、白波さんはどうしたの?」
答えは分かっていたけれど、訊ねずにはいられない。
静かに聞くと、希未が泣き顔を歪ませる。
「鳥羽とウィリアムに連れていかれた……。私、最後まで残っていたのに、白波ちゃんのことを守ることができなかったよ……」
悔しそうにそう言われて、目の前が真っ暗になる。
いうことのきかない身体を押して、今度こそ私は立ち上がろうとした。
「……取り返しに、行かなきゃ」
怒りに我を忘れそうになりながらも、なんとかその一言を告げると、2人は一気に蒼白になる。
「八重、今なんて云ったの!」
「白波さんを助けに行かなくちゃいけないわ」
ぼやける視界に真っ直ぐ前を睨むと、唇を噛んだ希未が私の上半身を揺さぶる。
「正気でそれを云っているの!?」
無言で肯定すると、「勝てるわけがない!」と悲痛に叫ばれた。
それでも、行くしかない。
2人も殺されかかったけど、勝てる保証がなくても早く助けに行かなくてはならない。
それが陰陽師である……いや、友達である私の役目だ。
「私が助けに行かなかったら、一体誰が白波さんを救えるというの」
「八重が行くことなんてないよ! 行かなくたって、きっと白波ちゃんは怒らない! お願い……行かないでよ……」
「悪いけど――」
――バシンッ
反論しようとした私の頬を、希未が力いっぱいに張り倒す勢いで叩いてきた。そのジンジンする痛みに驚愕した私が放心していると、彼女は自分の半身が引き裂かれるような泣き方で涙を溢れさせる。
苛烈な気迫で、希未は低く唸る。
「行かせない……っ これ以上、私の友達を死なせたくなんかない……」
「その辺にしておきなよ」
私に縋り付いている希未に、松葉が冷めた物言いで制止した。白茶の髪。オリーブ色の瞳には諦めが滲んでいる。
「止めたって無駄だよ。ボクのご主人様がそんな賢い立ち振る舞いができるわけないじゃないか……。親友なんだったら、それくらい分かりなよ」
「親友だから……止めてるの! これ以上八重にそんな危険なことはさせられない!」
「本当にそうなの? ……それってご主人の為なの? 栗村先輩は、八重さまだけが無事なら白波小春が死んでもいいって思うの?」
希未の表情が、雷に打たれたようになった。
狼狽した彼女は、口を開けたり閉じたりしながら呟く。
「私はただ、八重のことを……」
「その気持ちは分からなくはないけど、八重さまは浚われた白波小春を切り捨てるなんてことはできないよ。栗村先輩。……もっと打算的な人だったら、そもそも厄介者なボクのことを拾おうだなんて思わなかったはずだ」
恐ろしく真剣な顔つきの松葉は、うっすら笑みを浮かべた。
「……そういう不器用な人だから、ボクは八重さまが好きなんだよ」
祈るように、出会えたことに感謝するように。
「きっと、栗村先輩もそうなんでしょう?」
嗚咽混じりの返事に、松葉はミステリアスに微笑んだ。
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