悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆216 奪われた神子





 遠ざかっていくアパートの建物を、白波さんはずっと切なそうに眺めていた。離れても、その方向ばかりを見つめている。まるで、羽衣を奪われて空に帰れなくなった天女のような……。
それがどうしようもなく可哀想になったけれど、なんて慰めたらいいのか分からない。今の私は鳥羽への恋心は持っていないとはいえ、失恋した時は号泣するほどに悲しかった。けれど、そのことを話して共感を得ることなどしてはならない。


あの気持ちは、誰にも語るつもりのない過去だ。


私が寂しくソッポを向いていると、不意に走っていた車が住宅街の道で急停止した。スピードが落ち、驚いたように柳原先生の目が見開かれる。


「おい、あれって……」
 急いで前方を見ると、一台のバンが道の真ん中で立ち塞がっていた。その横にはバイクが並んでおり、それから降りた男性が黒いフルフェイスのヘルメットを外す。
 稲わら色の髪。紫色の瞳の白人男性。
こちらを見て、いつかに出会った外国人が不敵に口端を上げた。
車内なんて遠目にしか分からないはずなのに、彼は間違いなく私を知覚して嗤ったのだ。
ざわり。全身の皮膚感覚が恐怖に粟立つ。


「通行止めか? さっさとどいて貰わないと……」
 不可解な面持ちになった雪男が車の窓を開けようとする。その腕を掴んで、血相を変えた私が彼を阻んだ。


「……ダメ、逃げて……っ」
「ん?」
「アレと会話をしてはダメ……っ!」
 瞬きの間だった。
狭い天井が轟音と同時に軽くひしゃげて沈み込んでくる。正体不明な圧倒的なパワーに押し潰された。歪んだ車内で、白波さんと希未が悲鳴を上げる。眉根を寄せた八手先輩が、スニーカーを履いた足で車扉を蹴り開け、外に飛び出す。
流石に表情を引き攣らせた柳原先生がアクセルを踏み込もうとするも、エンジン音が鳴っても車体は動かない。「くそ! 敵襲か! ……タイヤがやられた!」と雪男は悪態をついた。


「何これ!? 何が起こってるの!?」
「いいから女子は外に出るな!」
 決死の眼差しになった先生が、手に持っていた荷物から黒光りのする物を取り出す。私の視界に飛び込んできたその正体は、重みのある拳銃だった。
いつの間にこのようなモノを用意していたのか。緊迫した空気の中で、息を呑む。
武装した雪男に、小刀を取り出しながら私も叫ぶ。


「私も戦う!」
「それは有難いが……っ」
 そこまで会話したところで、車体が大きく揺れた。
身を低くして車の上から転がるようにヘッドライトの前へと飛び出したのは、黒い隆々としたツバサを持つ1人の少年だ。灰鼠色の袴と白い着物を身に纏っており、片手に持っているのは鋭く光を反射する一振りの日本刀。
薄くその人物の唇がめくれ上がる。白波さんが驚愕したように彼の名を呼んだ。


「――鳥羽君……っ」


 どうして、こんなところで。
天から車を潰した犯人は、ぞっとするほどに美しい横顔をしていた。
爛々と目を輝かせた黒天狗は、風にポニーテールを流してこちらを睨む。奥歯を噛みしめた私が鳥羽を睨み返すと、敵に回った相手はくつくつと嗤う。
 歪んだ狂気を感じる。


「やあ、お嬢さん。また会ったね」と、リュックサックから刃渡りの長い軍隊で使われるようなナイフを2本取り出したウィリアムが、朗らかに言った。
「できたら車の外に出てきて欲しいな。月之宮の陰陽師とはもっとお近づきになりたいし……」


「……その必要は、ない」
 黒檀の木刀を真っ直ぐに向けた八手先輩が、精悍に佇んでいる。赤い髪の毛の隙間から覗く黒い瞳が、射るように敵を睨んだ。


「へえ、東洋の鬼か」
 ウィリアムは、乾いた口笛を鳴らす。


「貴様の正体は……西洋鬼グールか」
「正解♪」
 勢いのある風が、道路の真ん中に立っている西洋鬼の髪の毛をバラバラに散らす。一体の影が地面に伸びた。
色っぽい流し目を送った彼の瞳は、今は燃えるようなブラッドピンクに光っている。
「俺は、吸血鬼伝説の原型プロトタイプ――グールだ。血しか吸えない偏食主義者よりもよおっぽど強い♪」


 それを聞いた私は唇を噛みしめる。
今にもこの車から飛び出す瞬間を見計らっていた時、先に動いたのは赤い鬼だった。小さな爆発のようなものが起こった。それほどの勢いで地を蹴って攻撃の届く間合いに踏み込んだ八手先輩は、身を捻りながら漆黒の木刀を振るう。
舞い上がった砂埃。複数の衝撃波が敵に襲い掛かる。だが、その殺陣を察知した西洋鬼は身軽に後方へ下がって自身めがけて放たれた斬撃を回避する。


 それと同時に、八手先輩の生み出した衝撃波を打ち消したのは、鳥羽の操ったカマイタチだった。
空間がブレたと同時に、三者それぞれが攻撃に移る。
残像を残して飛び出した八手先輩と鳥羽が、木刀と刀でつばぜり合いとなった。そこを卑怯にも襲おうとしたウィリアムのナイフが虚空を切る。
 形勢が悪い八手先輩を援護しようと、車から走って下りた柳原先生が拳銃の引き金を引いた。飛び出した鉛玉が鳥羽の頬をかすめ、一筋の血が落ちる。


急いで白波さんと希未を守る結界を張ろうと私が真言を唱えていると、
「ちゃんと狙ってよ!」と思わず希未が叫ぶ。
「うっせえ! オレだってちゃんとやっとるわ!」


 そう叫び返した柳原先生は焦った様子で数歩下がった。その足元から異能を使って車の前に鋭く発生させた氷の障壁を一瞬で築き上げるも、片手を振るった鳥羽によってその先端が鋭く削りとられる――氷の結晶が粉々になった。
 このままではやられる!
そう思った私が、身をかがめて外に出た。
脂汗を流して大きく広がった氷の楯の裏に隠れている柳原先生の近くに身を寄せると、


「すまん、月之宮……お前さんのこと、守りながら戦えそうにない!」
悔しそうに言われた。
尤も、こちらだってお姫様待遇で戦うつもりなんてない。武者震いがこみ上げながら、
「なんで敵に回ってこんなことをしているのよ! 何をやっているか分かってんの!?」と鳥羽に向かって怒鳴った。


 私たちが後衛で身を隠している中、八手先輩はウィリアムと激しく斬り合いをしている。かすり傷から溢れる血がブレザーを染めていた。


「……なんでかって?」
 死闘から成る狂気に酔っているような口調で、鳥羽が目をわずかに細める。
「それに答える義理などないな」
冷たい返事だ。
「…………っ ヘキ!」
 沈み込んだ体勢から、鳥羽が躊躇なく私たちに日本刀を振るった。そこから発生する暴力的な竜巻によって、柳原先生の作っていた氷の障壁が分断される。間髪のところで間に合った私の即席の結界に弾かれるも、その威力を殺しきれない。
幾つもの風の刃が私の皮膚を切り裂こうとする。


「うおおおおおおお!」
 柳原先生が叫びながら拳銃を連射した。空中を飛ぶ鉛の玉から氷の槍が発生し、鳥羽の身体を突き破ろうとする。その勢いに怯んだ隙をついて私が跳躍し、斬りかかった。
 自分についた傷なんて気にしてなんていられなかった。
 私の後ろには、白波さんと希未がいるのだから!
無我夢中で握った小刀を異装し、白銀の刃で突き刺そうとする。鳥羽が異能を使う余裕も失うほどの連続攻撃を放つと、相手が苛立ったような目でこちらを見た。
踏み込み、踏み出し、鳥羽の持っている日本刀と私の刀が交差する。白熱する戦いに頭の髄が真っ赤になっていると、


「……月之宮!!」
 鳥羽と切り結んでいた私を、八手先輩が突き飛ばした。
 戦慄が走る。
――私のことを庇った八手先輩の背に、深々と2本のナイフが突き刺さり、その肉には目に見えない無数の深い切り傷ができた。
全て、私を狙った攻撃だ。


「…………ァ、」
 呼吸が止まりそうになる。ブツ、と音がして、それと同時に彼の身体からおびただしいほどの血液が噴き出した。
私が視線を上げると、死に際に見るような満足そうな顔をした八手先輩の目と交差する。


「八手先輩!?」
 そんな……、そんな!
動揺している私に、重傷を負った彼は小さく喘ぐ。


「……よかっ……た。お前を、守れて……」
 よくない。こんな展開、私は望んでいない。
私の代わりに誰かが傷つくだなんて……っ
小刻みに震えている私の目の前で、ウィル・オ・ウィスプは愉快そうに笑った。


「へえ、この娘を庇いたかったのか……泣かせてくれんじゃん」
 膝をついた八手先輩の背中に刺さっているナイフに、おざなりに手をかけたウィリアムは、嘲笑めいた表情で、
「あばよ」と非情にも己の異能を行使した。
私の頬をかすめるように、白色の電撃が世界に広がった。




 ……………………舌が動かない。
腕も、指も、脚も、親指も、動けなくて、うごかなくて、ダメだった。
電流の余波で身動きがとれなくなった私の髪を掴んで、感電した私の腹を蹴飛ばして、不滅の迷鬼は高笑いをする。あざ笑う。
「なあ、この娘はどうする?」


「置いていけ」
 こちらを振り返りもせずに、鳥羽は素っ気なく言った。


「陰陽師の娘なら、それなりの霊能力者だろ? フラグメントちゃんのついでに肉を味見したって……」
「この女を殺すと後々面倒なことになる。執着しているアヤカシがいるからな」


「えー、ケチぃ」
 薄れゆく意識の中で、そんな声が聞こえる。
……ダメだ、今眠ってはダメだ。
早く起きないと、この2人を止めなくちゃいけないのに。
みんなを、戦って守らなきゃ。
そう思っているのに感電して痺れた身体はいうことをきかない。視界が暗くなっていく。


ウィリアムは、楽しそうに八手先輩の身体を痛めつける。ナイフを突き刺し、引き抜き、血だまりを作り、骨を折り、関節を外し、思いつくままにありとあらゆる害し方をして、最後にようやく満足したのか今度は柳原先生の骨を折る作業に移った。
 希未が何かを怒鳴っていた。
 気絶させた白波さんを抱えた鳥羽は、蔑みのこもった声を出す。白いバンに少女を押し込めると、車に乗り込んでウィリアムを呼んだ。


「やつ……で先輩」
もつれた舌で、血の池に横たわった私は彼の名を呼ぶ。
 ――死なないで。
 お願い。
 お願い。
 オネガイ。
意識が、プツリと途切れた。







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