悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆210 文化祭 (3)





 ようやく地面に下ろしてもらえたのは、文化祭を見に来た人々で賑わう校舎の前だった。耳まで赤くした私が蒸気を出しそうなほどになっていると、東雲先輩が「クラス展示でも見ますか」と先に建物の中に入る。


心臓がドキドキしている鼓動が頭の芯まで響いていた。
互いの手が触れて、繋がれる。先輩の指は冷たい。


「あの……忙しかったんじゃ」
 私がおずおず訊ねると、


「仕事は粗方片づけましたから大丈夫ですよ。気にしないで下さい」と彼から返ってくる。
「そうですか」
 先輩が有能なことは知っているけど、もしかして、この時間を確保するのには無理をしたってことなの?
……私の為に?
胸の奥がきゅっと痺れる。
それを訊ねてしまうには自意識過剰な気がして口を噤んでしまうと、私たちの足は自然にクラス展示に向かっていた。


「一年のクラスがお化け屋敷をやっていますね」
 東雲先輩が、指差して微笑んだ。


「君にとってはこういうものはくだらない?」
「……いえ、別に」
 幼い頃は悲鳴を上げていたような記憶があるけれど、今の私にとっては作り物はさして怖いとは思わない。素っ気なく返事をすると、お客さんの勧誘をしていた生徒に強引に連れ込まれた。


 真っ暗な空間だった。
窓などの光が入りそうな箇所は段ボールで遮光されており、ちょっとした通路のようなものができている。興味深そうな東雲先輩と一緒に入室すると、赤いペンキで汚された人間の手がカーテンの隙間から出てくる。


ふーん、こういう演出なのね。
可愛げのない私が冷たくそれらを見ていると、東雲先輩がおかしそうに笑う。


「何笑ってるんですか」
「いや、八重が余りにも仏頂面でふてくされているから……」


「ふてくされてるってどういうことですか!」
 こんなにリアリティの足りないものをどう怖がればいいというのよ!
大人気ない、と言われたようでムキになって反論しようとした私だったけれど、その時、先輩が教室の奥に展示してあった何かを見つける。


「……あれは……」
 目線を上げた私の視界に飛び込んできたのは、おどろおどろしい妖気を放つ古い日本人形だった。髪は尋常ではないほどに伸びきっており、物言わぬその展示物は相当な昔に作られた物であるようで、祟りを起こしそうなほどに怨念が渦を巻いている。


「おやおや。可愛らしい。どうも本物が混ざっていたようですねえ……誰の持ち物が知りませんが。ほら、見てごらんなさい。八重」
「…………ひ、」
 冷静に観察している東雲先輩が、こちらが青ざめていることに気付く。キョトンとした彼を取り残して、私は出口に向かって全力でダッシュした。






「いやあああああああ!?」
 ――冷静だったはずの、十字を切った私の悲鳴が祭りで賑わう一学年棟に鳴り響いた。








「なんで爆笑してるんですか!!」
 腹を抱えて大笑いしている東雲先輩の態度に、不覚をとった私は涙目で不服を物申した。
近年まれにみる失態である。魑魅魍魎に慣れているはずの私なのに、立ち向かうどころか裸足で逃げ出してしまったのだ。


泣きそうな私を見たお化け屋敷を企画した生徒たちの勝ち誇った顔をぶん殴ってやりたい! 明らかに化け物になりかかってるじゃん! どんな伝手で発掘してきたのよ、あんなおっかない代物!


「さて、じゃあもう一回入りますか」
 鬼畜!


「東雲先輩だけで行ってきてください、お願いします」
「君が祓わなかったら一体誰が除霊するんです? 見かけた以上放ってはおけないでしょう。……それとも、怖いですか?」
「だっ、誰が怖いだなんて!」
 反射的に虚勢を張った私は、己の失言に顔色を青くする。


いくらプロの陰陽師だといっても、あの手の代物は苦手なのだ。だが、それを認めるには無駄に築き上げたプライドが邪魔をしてしまう。
義兄や奈々子だったら無表情でさっさと片付けてしまうだろうけれど、私の脚は生まれたての小鹿のようになっていた。
怯える私の手をとった東雲先輩の笑顔が深くなる。


「だったら、さっさと行きますよ」
「ま、まだ心の準備が……っ」
 できてないというのに力強く内部に引き込まれた私は、泣く泣くただ働きで人形を一体除霊することになったのだった。


「ほら、早く片付けてしまいましょう」
「なんで東雲先輩はそんなに落ち着いていられるんですか……」


「まあ、僕にしてみればひよっこのような怨霊ですし」
 彼にしてみれば、自分こそがアヤカシの権化のような存在というわけだ。
とんでもなく長生きな妖狐は爽やかな笑顔で、頼もしいことを言った。


「それとも、君は僕のことまで怖いと思うかい?」
 問われた私は無言で首を横に振る。
もう、先輩のことは恐ろしいとは思わない。同じアヤカシといっても、彼からは温かな陽だまりを感じるからだ。
優しい眼差しでそれを見つめた彼は、私の頭をくしゃりと撫ぜる。


「……嬉しい」
 低い声で、彼は私の名を呼んだ。
 八重、と。


妖怪化しそうな日本人形の供養は速攻で終わらせた。なるべく早口で真言を唱えると、白く発光した霊力を叩きつける。
気のせいだろうか、人形に感謝するように微笑まれた気がした。








 つま先まで冷え切った私が気を取り直して、東雲先輩と一緒にその他のクラス展示を見て歩いていると、二学年のモザイクアートの教室で声を掛けられた。


「あれ? 月之宮さんですか?」
 痩せぎすな肉体の黒髪の男子生徒だ。
すぐにそれが誰なのか名前と顔が一致する。隣のクラスの辻本君だ。


「久しぶりね、辻本君」
「うわー、展示を見に来てくれたんですか! すごく嬉しいです! さっき、僕も公演を観に行ったところなんですよ! もう素直に感動しました!」
 ぶんぶん私の手を掴んで一気にそこまで言うと、辻本君は輝く笑顔を作った。
彼のその勢いになすがままになっている私は、気になっていたことを訊ねる。


「あれから、小説の方はどうなったの?」
「あれなら今度新人賞に出す予定なんです! 読者様も少しずつ増えてきました」
 順調に執筆を続けていたようだ。
そのことにホッとすると、彼は緊張した面持ちになる。


「月之宮さん、良かったらこれから一緒に……」
「申し訳ないけど、八重には先約がありますから」
 私の隣にいた東雲先輩がぴしゃりと言って、私の手に触れていた辻本君の手を払いのける。ようやく視界に先輩の存在が飛び込んできたらしい辻本君が、酢を飲まされたような表情になった。


「あ……、月之宮さん、もしかして……」
 水を得た魚みたいに活力のあった彼の生気がみるみる失われていく。
 その辻本君の悲壮な表情に、私は慌てて言った。


「ご、ごめんなさい。今日は先輩と約束があって……」
「……明日の太陽が昇ったらコイツと浮気でもするつもりですか? 八重」
 ぎろりと妖狐に睨まれた私が、身を縮こめて押し黙った。墓穴をこれ以上掘ったら叱られるだけじゃ済まなそうだ。


「君には僕という相手がいるの……「黙ってください、恥ずかしい!」」
 こんなところで噂の種をばらまくことはないでしょうに!
少女漫画のようなセリフを素面で言おうとした東雲先輩は、不敵な笑みを浮かべた。それを見た辻本君の顔色が悪くなる。
結果、塩を目いっぱいかけられた菜っ葉もかくやというような萎れ方をして、すごすごと教室に戻っていった。
……悪いことしちゃったかな?









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