悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆195 拭いきれぬ違和感





「え~っと、これって八重は何を描く予定だったの?」
 呆れたような希未の声に、絵の具のついた筆を持っていた私はぎくりと顔を強張らせた。


学校のカリキュラムの空き時間を使ってどんどん進められていく劇の小道具製作に参加していた私は、なるべく冷静な口ぶりでこう返答した。


「……一応、木になる予定だけど?」
「巨大な緑色のアフロの間違いじゃなくて?」
 希未の率直な感想に絶望した私が体育座りで項垂れると、気遣い上手の白波さんが笑顔でタッパーの中の手作り苺を差し出してきた。


「月之宮さん、これ、食べてみてください!」
「……いいの?」
 異能を使うことが白波さんの身体に負担になってないか心配した私が、顔をしかめると。彼女は人を安心させる微笑みで小首を傾げた。ふんわりとしたカラメル色の髪が肩にかかる。


「せっかく作ったんだから、食べてもらわないと意味がないもん!」
「……それにしたって、何が起こるか分からないのに……」


「もう、月之宮さんったら心配性なんだから」


 少し拗ねた素振りをした白波さんが、手ずからこちらに苺を食べさせようとしてくる。そーいう甲斐甲斐しさは鳥羽相手にでも発揮してればいいのに、全く……。ため息をついた私がみずみずしい赤い果実にかじりつくと、口の中でフレッシュな甘酸っぱさが弾けた。


「……あ、前より美味しくなってる」
 私が目を見開いて言葉を洩らすと、得意そうな表情になった白波さんがガッツポーズになった。


「やっぱり月之宮さんもそう思う!?」
「え、嘘? 私にも食べさせてよ。白波ちゃん」
 振り向いた希未が無造作に指先をタッパーの中に突っ込むと、とりわけ大きい一粒を選んで口に放り込んだ。


「ホントだ、白波ちゃんのくせに美味しい……なんかそれはそれでムカつくけど。このこの!」
「キャア!」
 ぐにぐにと白波さんの頬っぺたを餅のように引っ張った希未の悪戯に、私が見ないフリをしていると、見るに見かねた鳥羽が2人を引きはがしにかかった。


「お前らは仕事しないで何をやっているんだよ……。特に栗村!」


「だって小道具作りは鳥羽が一人いれば充分じゃん?」
「部活のアクセサリー作りくらいはお前がやれよ。こっちは3つもやることが重なって死ぬほど忙しいんだからな!」
 鳥羽の抗議に、希未がふてくされた顔になった。「えー、メンドクサイ~……」と身悶えして文句を言いながらも、白波さんの持っているタッパーから苺を奪う。


「希未? アクセサリーを作る手が足りないのなら、私も何か手伝いを……」
 私がそろそろと手を挙げて立候補しようとすると、水分の多い果実を食べていた希未がむせた。


「ゴホッゴホ……、超絶不器用な八重に任せるくらいなら私が残りを作るよ。作ればいいんでしょ!」


 そこに、天使のような白波さんの微笑みが加わる。
「私も頑張ります。一緒にやろう? 栗村さん」


 なんとも美しき友愛の姿かな。作業に私が邪魔者扱いされているのが悲しいけれど。


 優しく笑う白波さんを見ていたら、不意に彼女に隠し事をしていることが心苦しくなった。
この県に不滅の迷鬼が侵入していることを言ってしまったら、彼女はどんな反応を示すだろう。


 怖がるだろうか。怯えてしまうだろうか。それとも……。
白波さんの持っている神様の欠片を、私が先にとり返してしまった方がいい?
それができれば、できたならば……。


 じっと考え事をしていた私の頭を、誰かがポンと軽く叩いた。振り返ると、丸めた台本を持った鳥羽がイライラした様子で立っている。


「月之宮。時間がないからとっとと絵の具は置いて、稽古に入ろうぜ」
 焦げ茶の瞳に不機嫌に見つめられ、私はちょっとムッとして、しゃがんでいた姿勢から立ち上がった。


「セリフはもう覚えたの?」
「んなもん、とっくの昔に」
「そう」


 主役の太田豊太郎役に任命された鳥羽は皮肉たっぷりに頷いた。
まあ、彼の優秀な記憶力にかかればセリフを暗記するぐらいお茶の子さいさいだったのだろう。……本当に嫌味な男なんだから。
 台本をパラパラ捲った私に、鳥羽がぶっきらぼうに言う。


「――どうして泣いていらっしゃるのですか。この国に知り合いのいない外人の私なら、かえって力になれることもあるでしょう」


 外国にやって来た主人公が街角でヒロインのエリスと出会った時のセリフだ。
それをクラスの片隅で聞いた遠野さんが嬉しそうな雰囲気になる。布を縫う針を動かしながら恥ずかしそうに俯いた。


「――あなたは善い人なのですね、彼とは違って。また、私の母よりも」
 負けん気の強い私がエリスに成り切って答えると、鳥羽はニヤリと笑う。


 どこか私の胸に違和感がこみ上げる。
どうしても、この場所は白波さんのポジションだと思ってしまうせいで、自分のことを貧相な代役としか思えないのだ。


 白波さんだったら、もっと可憐に演じられる。
もしもそうだったら、鳥羽だってもっと役を真剣に演じるだろう。こんなすきま時間で適当にやろうとはしないはずだ。


何とはなしに惨めな気持ちになった私に向かって、鳥羽はサラリとセリフを返してきた。




「一体どうしたのですか、話してごらんなさい。お嬢さん」


「私を救ってくださいませ、異国のお方。私が恥のない人間になってしまうのを。
母は私が彼に従わないというので私を打ちました。父が死んでしまったというのに、明日には葬らなくてはならないのに、我が家には一銭の蓄えもないのです」
 どうしようもなく辛い思いになりながら、私は気もそぞろにセリフを述べた。それを聞いた鳥羽が無表情に告げる。


「君の家に送って行くから、まず気持ちを鎮めなさい。泣き声を人に聞かれてはいけません。ここは人通りがあるから」


 そこで私たちは押し黙る。気が付くと、辺りからはまばらな拍手が送られてきた。


「すげえな、鳥羽!」と男子の1人が声を上げる。それに天狗はおざなりな対応をしている光景を、じっと白波さんが寂しそうに笑っていることに私は気が付いた。


「……白波さん、これで良かったの?」
 私が囁くと、彼女は物静かに笑う。


「いいんです」
「今ならまだヒロインの役を元通りに交代できるわ。気付いているのでしょう? あの時本当に選ばれていた人が誰なのか……」


「私の力では、到底セリフなんて覚えきれないもの。これで、いいんです」


 へらりと笑ってみせた彼女の表情に、私はとてもその言葉に同意することはできなかった。……こんなことではダメだ。こんな形で鳥羽の相手役に収まっても、ヒロインの座を明け渡されても私は嬉しくなんかない。
 私が宿命づけられているのは悪役令嬢だ。そのはずなのだ……。
 悩んでいる私に、白波さんは可愛らしく口角を上げてみせた。


「それに、私はアクセサリー作りの仕事がありますから! 舞台の華やかな役者さんに憧れはするけど、私にできることを頑張ります」


 その朗らかな口調に、私は複雑な心境で笑顔を返した。
「……そう」








 私と白波さんのやり取りに不思議そうな表情をしたのは希未だ。しばらく何かを思案している素振りの友人は、私を人目のないところに引っ張っていくと、白波さんに隠れて私に小声で訊ねた。


「……ねえ、八重はもしかしてこの役を演じるのが嫌なの?」


「嫌ってわけじゃないけど……なんだか抵抗は感じるわ。だって、本来ならあの場面で選ばれていたのは白波さんのはずだったんだもの。いくらセリフが覚えられないといっても……鳥羽の相手は恋人である白波さんが務めるべきだと希未は思わない?」


「……まあ、それは分からなくもないけど~」
 微妙な表情を返してきた友人は、顎に指を当てて黙考をする。やがて、何かを閃いたように唇を舐めた彼女は、明るい茶髪のツインテールをぶん、と揺らして悪い笑みを浮かべた。


「……ならば、今からでもそうしちゃいます?
私も八重と鳥羽がキスシーンをするのには断固反対なことですし? にしし」
 邪悪な笑い声を上げた希未に、私が訝しい顔をする。


「そんなことができるの? 白波さん1人に重荷を背負わせてしまうことにならない?」
「1人がダメでも、2人ならどうにかなるって! まあここは、栗村官兵衛に任せてよ!」


 ……1人がダメでも2人なら?
意味の分からないことを言った希未が、腰に手を当ててふんぞり返る。困惑しているこちらをよそに、元気よく彼女はスカートを翻しながら宣言をした。


「プロジェクト、始動!」







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