悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆194 真夜中の会議





 深夜の住宅街。冷え冷えとした低い温度に両手を擦りあわせると、私の隣にいた松葉がつまらなそうに言った。


「八重さま、電話じゃいけなかったの? こんな時間にわざわざ呼び出しをかけるなんて……」
「それではダメよ」


 血色の悪い私は、ぴしゃりと告げた。その言葉に松葉は不満そうに唇を噛んだけれど、浅くため息をついてパーカーのポケットに片手をつっこみ、もう一方の手ではチュッパチャプスを舐めるのに使った。


事情は知っているのに、緊張感のない態度だ。それに私が業を煮やそうとした時、暗やみから誰かが自転車を押してやって来た。


「……八重、大丈夫でしたか?」
 焦った表情をした東雲先輩と柳原先生の到着に、松葉が露骨に嫌な顔をする。口に飴を含ませながら、蛙がひしゃげたような声を出した。
自転車を停めた妖狐が私の白い手をとる。その体温を確認して、眉を潜めた。


「こんなに手が冷たくなっているじゃないか……」
「ボクの八重さまに触れるのを止めろ!」


 身を竦めた私と妖狐の間に、カワウソが割り込んでくる。威嚇を受けた東雲先輩は目を丸くして、明らかにムッとした顔になる。


「いつ八重がお前のものになったんだ、いい加減なことを云うのは止めろ」
「ボクと八重さまの関係に何か問題でもあるっての?」


 柳原先生が、呆れた表情になる。
挑発的な松葉の口を何かで塞いだ方がいいかもしれない。


こんなことで言い争っている場合じゃないっていうのに、この2人は良くも悪くもいつも通りだ。もしかしたら、世界が滅亡しそうな状況になってもこの調子かもしれない。
……いや、流石にそんなことはない。……よね?


 私が遠い目になっている一方、2人は小声で地味な喧嘩を繰り広げていた。どんな内容なのかは云いたくもない。わりとしょーもないことだ。


「こうなったら、八重さまに聞いてみたらいいだろ。どちらの方が好きなのか、今ここで決めてもらえばいい!」
「……いいでしょう。あくまで八重の意思ですよ」
 松葉のこの言葉に、東雲先輩が口端を上げる。


そんな言い争いをしている2人に私が呆れていると、暗い夜空の先から静かな羽ばたきの音が聴こえて、視線を向ける。黒い羽根が何枚が舞い落ちてきて、滑らかに滑空をしてきた黒髪の男子が地上に着地をした。


「……よう、待たせたか?」
「全然?」
 立ち上がった鳥羽の零した言葉に、私は無表情で返した。
それにホッとした態度を見せた彼に注目していると、東雲先輩と睨みあっていた松葉がキイキイ甲高い声で叫んだ。


「八重さま! 一体、可愛くてキュートなボクとこの狐のどっちの方が好きなの!?」
「声がでかい!」


 イラッとした東雲先輩の拳骨が、白茶のくせっ毛に包まれた頭に落ちる。ふぎゃっと涙目になった松葉が奥歯を噛みしめると、東雲先輩は咳払いをして私の方をチラリと見た。


「まあ、……できれば僕も興味はあります。この駄目カワウソのことを、君はどう思っているのでしょうか?」
「……それ、なんで今言わなくちゃいけないんですか」


 それどころではないだろうに。
私が半目になると、頭を押さえた松葉が天下でもとったように笑顔になった。


「ほら、やっぱりボクだよ! こんな狐なんかより、本心ではボクの方が八重さまは好きなんだ!」
「ナンセンスだ。何を戯けたことを云っているんだ、この下郎が」


 ため息を吐いた東雲先輩が頭を振っている中、松葉は勝ち誇った顔をしている。
もうどっちにも返事をしたくない。心の中では誰のことが好きだったとしても、こんなところで言えるわけないし……。


 気付かれないように東雲先輩の横顔を見て、私は急に相手のことを意識してしまった。胸を掴まれたような感覚になって、慌てて視線を逸らす。
 ……なんだろう、この気持ち。
ふわふわして、世界がひっくり返ってしまいそうな感じだ。
 私が自分の頬が熱くなったのを冷まそうとしていると、音もなく私たちの近くにある住宅の屋根から屋根へと飛び移った人影を見つけてしまった。
彼は身軽に疾駆すると、辺りに発生した雑妖怪の群れを一刀両断に切り裂く。
ごうっと大きな突風が吹いて、私は思わず目を閉じてしまう。その次に瞬きをした時には、目の前に大柄な体躯をした赤い髪の青年が木刀を持って立っていた。


「……八手先輩」
「月之宮」


 アシンメトリーの前髪をした八手先輩が、ひどく楽しそうにそこにいた。
隠しきれない愉悦を含んだ笑みを見せた彼の様子に、戦闘を好むアヤカシの本性を垣間見た私が言葉を失う。


「ちょうど暇すぎて手持無沙汰にしていたところだ。強敵が近くにいるというのなら……それもまた、悪くはない」
 ふっと笑った八手先輩の発言に、柳原先生がうんざりしたように呟く。


「おいおい、そんな縁起でもないことを云わんでくれよ。流血を好むアヤカシが本当にこの近辺に現れたらどうしてくれるんだ」


 チュッパチャプスを舐めている松葉が、オリーブ色の瞳をくるんと動かした。
「ボクはそこまで深刻には考えていないけどな~、
所詮、連続殺人犯といったって人間を相手にした事件だろ? ここには大妖怪が五体もいるんだよ? アヤカシ一人でこのディフェンスを突破できるとは思えないよ」
 やれやれ、と云わんばかりに松葉は肩を竦める。それを聞いた東雲先輩の眉がぴくりと動いた。


「八重、今回日之宮から入った情報はどのようなものだったのですか? 僕らは凶悪なアヤカシが県内で目撃されたということしか知らされていませんが」


「……そうだな、それが分からないことには対策のしようもないぜ」
と、Tシャツにジーパン姿の鳥羽が欠伸を噛み殺す。


 怯んだ私が慌ててメモを取り出すと、みんなの目はこちらに集まった。
 落ち着け、自分。


「えっと……県内で目撃されたアヤカシは、ブラックリスト登録の対象者です。恐らくは人型をしており、登録ナンバーは100番台、今年に入ってから5人がこのアヤカシの手によって殺されている模様です」
 私が説明をしていると、東雲先輩が考え込むような仕草をした。


「連続殺人犯、ということですか。それも、人型になれるほどに力も強く、長生きだ。恐らく相手は大妖怪と考えた方がいいだろう」
 そう言った先輩のセリフに、柳原先生が顎を手でさすりながら、


「……それも協会のブラックリストに載るということは、戦闘に特化したアヤカシである可能性が高いな。人間のことに愛着もないだろうし、オレのようなタイプとは全然違うことを想定しておかないと……」
とブツブツ呟く。


 それを聞いた私が表情を強張らせると、同じように傾聴していた鳥羽が斜に構えたモノの言い方をした。


「考えすぎだぜ。んなこと云ったって、それは最悪の想像だろ。そんなに警戒する必要なんて……」
「違うわ、鳥羽。ブラックリストに該当しているってことはね、それくらいに出会っただけで身の危険があるアヤカシってことよ」
 祖父から教わったことを思い出しながら、小刻みに震える自分の身体をギュッと抱きしめた。


「協会の定めたナンバーを持つアヤカシとは、絶対に戦ってはならない――これが、亡くなった爺様の口癖だったわ」
「でしょうね、僕でも同じ指導者の立場であればそう教えます」
 東雲先輩が嘆息しながら、そう言った。


「それぐらいに、ブラックリスト級はマズイんです。凶暴性、暴力性、倫理観の欠如、その他諸々ひっくるめた上での評価ですから」
「ふーん」
 気楽なことを言っていた鳥羽が、何を考えているのかは分からない。ただ一つ、彼は殺人鬼との邂逅にさほどの恐れは抱いていないようだ。


柳原先生が、腕組みをして口を開く。
「おいおい、鳥羽。お前さん、そういえば傷ついていた結晶核はどうなったんだい? 少しでも戦力の把握はしておきたいが……」


「……いした」
「ん?」
 瞳を瞬かせた柳原先生に、鳥羽はニヤリと笑う。


「そんなもの、とっくの昔に全快したぜ」
「嘘!?」
 私が驚愕に叫ぶと、東雲先輩が面白くなさそうな顔をした。


「白波小春と付き合いだした結果ですか。まさか魂の傷が癒えるほどの愛情を得ることができたとは……」
「まあ、そうとも云えるな」
 飄々とした鳥羽がそう言うと、「羨ましい……ボクも早く八重さまとこんな風に……」と松葉が羨ましげに呟く。


「今の俺は誰にも負ける気がしないぜ。殺人鬼だろうがブラックリストだろうが、来るなら来いって気分だ」
「冗談でもないことを言わないでちょうだい」
 好戦的な鳥羽の不敵な発言に、私が顔をしかめた。
争い事はなるべくなら少ない方がいいのに、なんてことを言うのだ。


「……わっかんねーのかな、月之宮。お前と一緒なら、どんな敵が来たところで怖くないって云ってるんだよ。俺が背中を預けられる相手ってのは滅多にいないんだぜ」
 ケッと吐いた鳥羽のセリフに瞬きをする。
 寒い朝に熱いスープを飲んだときのように、じわじわと心に染みわたっていく。
私のことをそんな風に思っていたなんて……。驚きと嬉しさに胸が熱くなった。


 木刀を手に持った八手先輩が頷く。


「俺もどんな難敵が現れようとも絶対にお前と白波を守り切ってみせる。この身が八つ裂きにされようとも構わない……それは何故か分かるか?」
 じっと視線を合わせた鬼は、皮肉気な笑いを浮かべながら口にする。


「月之宮、俺にとってお前が大切だからだ」
 みんなの前で言われたその告白めいた言葉に、私は呼吸を一瞬だけ止める。
 な……、な……っ


「……りがとうございます、八手先輩」
消え入りそうになりながも、私はなんとかお礼の台詞を絞りだした。


 それを聞いた松葉が、張り合うように宣言をする。
「そんなこといったら、ボクだって八重さまのことは大事に思ってるよ! どんな敵が現れたって傷一つ付けさせないんだからね!」


「僕だって同じことです。……八重、まさかこれだけの人員が集まっておきながら、君まで戦闘に参加しようと考えているのではないでしょうね?」


 意外なことを言われた私が目を見開くと、東雲先輩は呆れた目つきでこちらを見た。細身のカーディガンに身を包んだ彼が、青い瞳を慇懃に細める。


「……君は絶対に戦ってはならない。僕がいる限り、危険なアヤカシとはこれ以上対峙させない。それが僕の自戒です」
「……でも……っ」


「云っても分からないのなら、怒りますよ?」
 私が口をつぐむと、東雲先輩はニコリと微笑んだ。綺麗な笑顔だけど親しくなった私には判る。有無を言わせない圧力がそこから漂っていた。


「それで、そのアヤカシの二つ名は何なの?」
 松葉に訊ねられ、私は唾を呑み込んでから、そっと告げた。


「不滅の迷鬼ウィル・オ・ウィスプ、よ。特徴は、ピンクに光る瞳」
「……ウィル・オ・ウィスプ? それって、確かハロウィンのジャコウランタンの基になった伝承のことじゃなかった?」


「ええ。
極悪人の生前を送ったウィリアムという名の亡霊が、天国にも地獄の門番にも拒まれて彷徨える亡霊となったのを見かねた悪魔が、明かりとして赤く燃える石炭を渡した……という伝承があると聞いたことがあるわ。別名、一つかみの藁のウィリアム」


「ふーん、なるほどね。言い伝えを聞く限りでは、なんだかロクな奴じゃなさそうだな」
 性格の悪さには定評のある松葉が偉そうに言うと、みんなは白い目を彼に注いだ。その目つきに気付いたカワウソは、「な、なんだよ! その目は!」と怯みながら叫ぶ。


 いや、だって……アンタがそれを言う?
しかし、一番それについて文句を言いそうな東雲先輩は、別のことに気をとられているようだった。


「ウィル・オ・ウィスプ……、まさか……」
 気のせいか、先輩の顔色が悪くなったように思える。
 どうしたんだろう。


「……先輩?」
 不安そうな顔をした私が訊ねても、彼は返事をしない。口元に手を当てながら考え事をしている。


「……まあ、こうして白波も無事であることだし、俺も色々気を付けてみるよ」
「鳥羽はウィル・オ・ウィスプと会ったことはあるの?」


「ん~、何か記憶に引っかかるものがあるんだけど、思いだせねえな。ま、大したことじゃないだろ、きっと。そんなに心配するなって」


 温かな灯りのついた白波家の住宅の方向を見ながら、笑顔の鳥羽はそう言った。何故だろう、少しの胸騒ぎを覚えながらも、私もどうにか笑顔を返す。
暗やみに満ちた空、今日の星は雲で隠れて見えないけれど、新月は美しい光を私たちに投げかけてくる。しばらく立ち尽くしていると、雨がパラパラと降ってきた。


「……そういえば、白波さんの家の庭、結構すごいことになってるわね」
 ジャングルのようになった庭の草木に私が引きつつもコメントすると、鳥羽が顔をしかめて呟いた。


「アイツも、色々努力してはいるんだろ」
「……そうね」
「それにしたってこれはやり過ぎのような気はするけどな」
 仏頂面の彼の言葉に、私はなんだかとてもやるせない気持ちになった。


 もしも、白波さんの異能が私のものであったとして……。それを返して欲しいと本当に口にしてもいいのだろうか。
まだ彼女が不適合を起こすと決まったわけでもないのに、この奇跡の力を取り上げてしまって、本当に構わないのだろうか。


 それは、彼女を絶望に叩き落すようなものなのでは?
幸い、白波さんの護衛には八手先輩が付いてくれている。殺人鬼が来たとしても負けない戦力も揃っている。いざとなったら私だって剣をとる覚悟だ。
信じよう。不安でも、友達を守ることができると。
……守りたいと思うだけでは足りない。守るんだ、そう誓わなくちゃ。







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