悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆176 朝の陽ざしが優しくこの世界を照らしていた





 寝付けないままに夜を明かしていたつもりで、いつの間にか眠りに落ちていたらしい。気が付けばやって来た登校日の朝に、私は瞼を氷で冷やしながら、いつもより厚めの化粧を自分に施した。唇のグロスはオレンジ色。心持ちコンシーラーで目の下のクマをカバーする。
寝ぐせのついた髪をコテで伸ばし、指先を火傷しそうになってしかめっ面になる。毛先が傷まないように高いヘアクリームで保湿をして……っと。


 こうして、見た目だけはいつもと変わらない私が出来あがると、朝食のトーストを急いで食べながら、淹れたての珈琲をちびちび飲んだ。


「お先に行ってきます」
 ぐずぐず寝ぼけまなこで呑気に支度をしている松葉を家に置いて、ローファーを履いた私は鞄を持って家を出る。


「八重ちゃん! 忘れ物っ」
 ……出ようとしたところで、母に声を掛けられて筆箱を忘れたことに気が付いた。振り返るとサラサラになった黒髪が宙に舞う。


「……ごめん、ありがと」
 私はいつも通りに笑えているだろうか。
みんなに心配をかけないように、平常運転ができているだろうか。
持って来て貰った筆箱を鞄に仕舞って苦笑すると、小首を傾けた母に美しく微笑まれる。


「ふふ。ちょっとかがんで」
 言われた通りに身をかがめると、優しく私の背中を叩いて囁かれた。


「八重ちゃんに輝くいいことがありますように、おまじない」
「……ありがと」
 そんな術は聞いたこともなかったけれど、少しだけソワソワしていた心が落ち着きを取り戻す。
二回目のお礼に、母は満足げな笑顔になった。


「行ってきます」
 不安がないわけじゃなかったけれど、みんなに会う決心を奮い起こした。
失恋のほろ苦さは消えていない。どんな顔で鳥羽と白波さんに向かい合えばいいのかも分かっていない。
寄せては引き、消えてはまた繰り返す。暗やみの浜辺へ打ち寄せる波のような胸のさざめきを感じながら、私は軽自動車に乗り込んでいつものように学校に向かった。






 永遠に着かなければいいとも思うのに、こんな日に限って早く学校に到着してしまうもので。心の整理がつく前に辿りついてしまったここに、そっと睫毛を伏せた。
 勇気が欲しい。
胸が痛んでも笑えるような、私は欲しいのはそんな勇気。
 いなくなった軽自動車。踏み出せずにぼうっと立ち尽くす校門の前。九月になった花壇の紫がかった赤色のワレモコウを所在なく見つめていると、後ろから声を掛けられた。


「……おはよう、月之宮」
 低い、テノールボイス。
まさかと思って顔を上げると、そこには隣に白波さんを連れた鳥羽が気まずそうに立っていた。


「……おはようございます」
 挨拶を返す私の瞳が揺らめく。
粉々に打ち砕かれた鳥羽への片想いの痕跡は、この世のどこにももう存在していなくて、そのことに寂しくなりながらも作り笑いをした。
恥ずかしそうにしている白波さんが、おずおずと口を開く。


「あの、月之宮さん……」
「どうしたの?」
「謝らせてください! き、昨日、変な誤解をしてしまってすみませんでした!」
 こちらから謝らなければならないと思っていたのに、先に頭を下げられてしまった。どうしていいか困り果て、深々と45度の礼をしている彼女の身を起こそうとする。


「何も、謝ることなんかないじゃない……っ むしろ、私の方こそ謝罪をしなくちゃいけないわ」
「そんなことありません。あれは勝手に泣いた私が悪いんです……」


「いいえ、私が悪いのよ」
 お互いに謝罪合戦になっている私たちを見て、鳥羽が呆れたように笑みを洩らした。


「本当に仲がいいな、お前ら」
「え、そう見える!?」
 鳥羽のコメントに、白波さんがぱあっと顔を明るくした。滑らかな頬はバラ色に染まり、嬉しそうにえくぼが出来る。
そんな彼女の素直さに眩しいものを感じながらも、連れだって登校してきた2人に何かを察した私は、ひそやかに訊ねた。


「……そういえば、今日は2人で登校してくるなんて珍しいのね」
「えっと……それは」
 チラチラと鳥羽の顔色を窺っている白波さんは、両手の指を絡めて照れたように俯く。それを見た鳥羽が、男らしい手のひらで彼女の片方の白い手をとると、恋人繋ぎをしながら堂々と宣言をした。


「俺たち、付き合い始めたんだ」
「……そ、そういうことなの」
 ニヤリと鳥羽は笑い、白波さんの顔はぽっと朱くなる。
予想の範疇とはいえ、その言葉に衝撃を受けた私は呆気にとられてしまい彫像のようになってしまった。


「おーい、月之宮。戻ってこいって」
 ひらひらと目の前で手を振られ、ようやく私は正気を取り戻した。


「びっくりして魂が抜けるかと思ったわよ! あんなに無駄にグダグダしてたのに、いつからそんなことになったの!?」
 昨日!? 昨日くっついたのか!


「それはそれは、無駄にグダグダしてて悪かったな、だ」
 顔をしかめた鳥羽に、白波さんが驚きの表情になる。


「え、えっ 月之宮さんは鳥羽君の気持ちを知ってたの?」
「そんなのこの学校の誰が見ても分かることよ。希未だってとっくに感づいてたし……」
 ましてや鳥羽に片想いをしていた人間にしてみたら、ね。
内心で墓穴を掘ったことにぎくりと気が付き、そのダメージに1人で落ち込んでいると、羞恥に鳥羽が言葉に詰まっていた。


「お……お、おまっ」
「どうしたの? 鳥羽君」
 手のひらで顔を覆っている鳥羽に、白波さんがのんびりと様子を見る。どうでもいいが、この時間帯の校門付近はやたらと人が多い。
クラスメイトもちらほら見かけてしまうが、そんな中で恋人繋ぎをしている2人は結構注目の的になっていた。


「……月之宮の言葉を否定しきれねえのが、すごく鬱だ」
「え?」
 なんでもない、と鳥羽が白波さんに呟く。


 ……2人のことは応援できるよね、私。
鳥羽のことだけではなく、白波さんのことだって好きなことは間違いないもの。
失恋と共に決意をする。朝の陽ざしが優しくこの世界を照らしていた。
どこまでも青い空を仰ぐと、なんだか切ない気分になりつつも私は薄く笑顔を浮かべた。
 ――ようやく、ヒロインと攻略対象者のゲームが終わったんだ。







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