悪役令嬢のままでいなさい!
☆165 文化祭の出し物
入院していた間、ついぞ東雲先輩が現れることはなかった。
彼のことを思うと胸が苦しくなって、愛されている自信はなし崩しになって消えてしまう。こればかりは努力を考えることの方が意味なんてないのであって、こうして寝る前に虚しく彼のことを想っても一方通行なのではないかと疑ってしまう。
この言いようのない不安は、あなたのことを忘れていた私の罰なのだろうか。好きだった日々を無かったことにしていた罪だろうか。
この病室から眺めた秋の夜空は星なんて1つも見えなくて、先行きの分からない今を象徴しているみたいだった。
かつて美しかった硝子の破片で指先を傷つけて血を流すように、その散り散りになった花びらを拾い集めてはもの思いに夜を過ごした。
私が誰のことを好きで、愛していたのかなんて分からなくなってしまったけれど、いつかあなたに伝えそびれた睦言の残像に切なくなった。
黒髪を長く伸ばすほどに、人間の世界を去りたいと思うほどに、過去の私は妖狐と惹かれあって愛し合っていた。
では、全ての記憶を失くしてしまったことに気付いた私は、どんな仕草であなたの隣で過ごせばいいのだろう。彼が好きだったのは忘却する以前の『私』なのではないだろうか。
人格の変容した、可愛くない自分はその代用品になってしまうのだろうか、と次第に不安が日に日に増していく。
湧き上がる憂いや喪失感。
そういったものに痛みを覚えながら、私は鳴らないスマホをロッカーにしまって鍵を閉めた。
退院の日はすぐにやってきた。
秋口の学校に復帰すると、丁度十一月の文化祭の準備が少しずつ始まっているところだった。
なるほど、そういえばそんな行事もあったっけ。
明らかにヤル気の薄い私が、表面だけ優等生らしく取り繕いながら教室の話し合いに着席して参加していると、チョークを持った柳原先生がウキウキしながらこんなことを言った。
「……というわけで、お前ら。文化祭の季節がやってまいります! いや~、めでたいっすねえ、青春だねえ! オレもこういう行事は大好きですよ!
おい、そこの出席番号15番。話し合いを無視してぐーすか寝てるんじゃねえ!」
柳原先生の音頭にクラスがどっと沸いた。名指しをされた生徒が、寝ぼけまなこを擦る。皆は好き勝手におしゃべりをしているが、私はそれに参加をするつもりはなかった。
「文化祭といえば、クラスの出し物を何か1つ決めなくちゃならん。勿論、部活動の出し物も楽しみではありますが、そっちは放課後に決めてくれ。準備期間は長くとってありますからね!」
ニヒルな笑顔になった柳原先生に、クラスがざわめいた。かといって、いきなり発言をする猛者がいるわけでもない。目立ちたがりの生徒は自分のポジションをどうするか算段しているし、引っ込み思案な女子は指名されないように目線を逸らしている。
「はーい! モザイクアートとかどうですか!」
活発な男子が手を挙げてこう言った。
「はいはい、モザイクアート、ね。こいつは一年がやる定番になってるんだよな……でも、意見を出してくれてありがとさん」
先生は、サラサラと黒板に白い文字を書いた。その言葉にクラスが少し残念そうな空気になる。賛同したい人間はそれなりにいたらしい。
「はい! お化け屋敷!」
「そっちはもう三年の企画にとられちまった! ちょいと遅かったなっ」
「メイド喫茶!」
「準備が大変だが、先生もメイドさんは大好きだ。やるなら応援するぞ!」
「映画撮影!」
「……ちゃんと完成させるんだろうな? 企画倒れしたら全校の笑いもんになるぞ!」
合いの手を入れながら、柳原先生が意見をリストアップしていく。冷めた目をしている鳥羽は、気だるそうに眺めているし、白波さんは瞳をキラキラさせている。
希未は……。そこで親友の様子を窺おうとしていると、彼女はバッと勢いよく立ち上がって大きな声で叫んだ。
「ちっがーう! そんなんで満足できるわけないっしょ!! なんでみんな無難なことしか言わないかなぁ!」
「じゃあ、栗村は何か意見があるのか?」
「文化祭といえば、きらびやかな演劇でしょ! むしろ他に選択肢なんて必要ないって! 鳥羽の王子様姿が見たい人は手ぇ挙げて! はーい!」
希未の謎の主張に、クラス中の女子が興奮のため息を洩らした。そろそろ挙手をする女子たちに、巻き込まれた鳥羽が嫌そうな顔になる。
「はあ!? なんで俺がんなメンドクサイもんをやらなきゃいけねえんだよ!」
「男子達は白波ちゃんや八重のお姫様が見たくないの!? 一緒の写真とか撮って欲しい奴はいないかー!」
うおおおお、と男子から歓声が起こった。
げ、何故か私まで焚き付けるのに利用されてるし!
「おい、お前ら!」
慌てた鳥羽の抗議も空しく、希未の意見は最有力候補に浮上した。
愉快なことが好きな雪男はニヤリと笑う。
「なるほどね。演劇……と」
不穏なその決定が、覆ることは無かった。
「何を考えてるのよ、あんなメンドクサイ提案なんかして!」
美術の教室移動の最中に文句を言うと、希未はしらっととぼけた。
「えー、何のことかな?」
「少しでも楽に文化祭を終わらせたかったのに、演劇ですって? そんなものにまつり上げられたら、疲れるだけじゃないの!」
「私は文化祭が楽しくなるようにしたかっただけだもん。八重の主張の方がよっぽど不純じゃないか」
希未のジトっとした目線に、廊下を一緒に歩いていた私が怯む。
そりゃ、堂々と言える本音ではないけど……。だからといって、私の性格で文化祭にのめり込めるかというと、それはそれで違うと思う。
人間という存在に苦手意識のある私が、不特定多数と親密に関わらざるを得なくなるというのは今までに経験のないことで、なるべくなら避けたいくらいだったのに……。
「それに、八重はもっと大勢と関わった方がいいんだよ。怯えすぎだって」
「そりゃ、希未にとっては簡単に言えることでしょうけど……」
はあ、とため息をつくと、後ろを歩いていた鳥羽がぶつくさ文句を言った。
「やっぱり一発殴らせろよ、栗村」
ガツン。と拳が希未の頭に落ちる。
「……殴ってから言うな!」
涙目になった親友にたんこぶができたのには、私は不謹慎にも笑ってしまった。人のことを勝手にダシにするからこういう目に遭うのだ。
「どうしよう……月之宮さん。私、セリフなんて覚えられないよ……」
「練習してもダメなの?」
私の声に、白波さんが深く頷いた。
不安そうに焦げ茶の瞳が揺れ、あごは俯いている。
「……白波に暗記が必要な演劇は無理だろ」
鳥羽も眉間を寄せた。ぶっきらぼうな言葉に、白波さんがコクリと頷く。
私は彼女の表情を伺いながら訊ねた。
「でも、ステージには出たいでしょう?」
「木とか犬の役でもやらせるのが一番いいだろ」
「鳥羽ったら、またそんな酷いことを言って……」
ねえ? と笑いかけると、沈黙が返ってくる。……あれ、なんだか変な感じ。
「私、主役になるくらいならそっちの方がずっといいよ……。演技なんてできないもの」
真剣そのものな白波さんの発言に、私は驚いた。そこまで悩みが深いものだとは予想していなかった。
「……本当にそうなの?」
「私、これ以上みんなの足を引っ張りたくないの」
それは……。
彼女の綺麗な見た目からすると、すごく勿体ないことだと思う。ステージで衣装を着ればさぞや見栄えがすることだろうに、それができないと言うのだ。
これってどうしたらいいんだろう……。
新たな難題に、私はそっと嘆息をした。
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