悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆159 神龍の見送りと桜の記憶 (5)





 足音がした。
コツ、コツと下駄が石階段を上ってくる音と杖が地面を打つ音色だ。
その気配に、洋服姿で社の前で勉強をしていたツバキは顔を上げる。ノートに走らせていた筆記具を置いて立ち上がると、衝撃に青い目を見開いた。
その人物の性別は、女ではなかった。深いシワが刻み込まれた、渋い着物を身に着けた年老いた男の老人だった。
これまで様々な人間をあの世へ見送ってきたツバキには、この来訪者にももうすぐ寿命が尽きようとしていることが見ただけで分かってしまった。


「お前は……」
「……久しぶりでございます、青火殿」
 しわがれた声で、枯れ木のような老人は頭を垂れた。


「……梢佑」
 月之宮家総代であり、陰陽師の古参であり、ツバキとは様々な因縁のある人物。月之宮梢佑がそこに立っていた。


「貴殿と決別したのは、50年以上昔になりますかな」
「…………」


「八重は貴殿と遊んでいたことを隠していたつもりのようですが、これまで私の孫娘を随分と世話していただいたこと、かたじけなく思います」
 梢佑は、笑いじわをにじませる。
警戒している妖狐は、慎重に口を開いた。


「……僕のことを恨んでいるのではないか」
「憎んでおりましたとも」
 その境地に至るまで、どのような日々があったのかをツバキは知らない。気性の激しかった老人も、今となっては落ち着いた口ぶりであった。


「ですが、貴方を恨むことによって、私は己が人生の動力源として生き抜くことができました。怒りのはけ口を向けられた貴殿には随分と迷惑なことだったでしょうが、当時の幼き日の私には戦死した父や叔父たちへの悲しみを受け入れるにはそれしかなかったのです」
 ぽつぽつと哀しそうに語った老人は、神社に植わった冬の桜を眺めた。辺りは寒く、ここまでくるのもやっとだったことが見て取れる。
すっかり衰え、弱り、最後に輝く蝋燭のように、よほどの決意でここまで来たのだろう。


「私は、何故アナタがこの神社で暮らしていたのか知らなかった。神というものを知らず、事情も知らず、得体の知れないアヤカシが不遜に祀られることによって利得を貪っていたのだと思っていた。父の戦死も、騙した貴方のせいだと思っていたのです……っ」
 なぜ言ってくれなかったのですか。
 そう、梢佑は言った。


「死の迎えがやって来る前にと整理していた倉の文献に、貴方のことが載っていました。なぜ云ってくれなかったのですか……貴方が初代月之宮当主の式妖であったことを! これまで子孫の私を神社が廃されても見守ってきたことを!」
「……云う必要などないと思っていた」
 ツバキは、苦々しく呟く。


「一守たちを守れなかったのは僕の落ち度だ。彼らに教えてきたことにも後悔ばかりが残っている。罰せられるべきだと僕だって思っていたし、今でもそう思っている」
「だが、貴方はそこまで力の強い神ではなかった! もっと早くに貴方のルーツが式妖だということを知っていれば、私だってこんな酷いことはしなかったのです! こんな……このように、居場所の神社を朽ちるがままに廃そうだなんて……」


「……そうか」
「私はとんでもないことをしてしまいました。先祖や父が守ってきたこの神社から、貴方という神を追放してしまったのです。一度だって、貴殿が文句を云ってこないことにおかしいと思うべきだったのに、それこそが善なる存在だという証明ではないですか……」


「…………」
「愚かな私は、いつしか大妖怪の貴殿が報復に訪れると思い、ひたすらに剣の腕ばかり磨いておりました。そんな頓珍漢なことばかり考えていたから、その報いを受けたのでしょう。私の血筋には、月之宮家の後継者はついぞ生まれなかったのですから」
 梢佑のセリフに、ツバキは顔をしかめる。


「……八重がいるだろう」
「孫娘にだけは、我が家を継がせるわけにはいきません」
 落胆したように、老人は呟いた。


「あの子は、比喩でもなんでもなしにその血筋から『神様』の異能を持って生まれてしまったのですから。あの子には可哀そうなことですが、ミカドの権威を揺るがすような神の再来に公家である月之宮家を継がせることなんてできないんですよ」
 誇りに思うというよりは、そのことに恐れている口ぶりであった。


「我が家は遠縁ではありますが、ミカドとも親戚関係にあります。敗戦した時に日本は神権政治の要素を撤廃し、ミカドを象徴とすることで国が成り立たせているのです」
「つまり、それが原因で華族の跡継ぎに据えることはできないということか」


「これまで続いてきたミカドの統治を転覆させてしまえるだけの財力を今の月之宮家は有しております。この国を守る為にはそのような恐れ多い真似を生来神の端くれである八重にさせるわけにはいかないのです」
 厳しい眼差しをした老人に、ツバキは考え込んだ。


「そのことを、きっと八重は気付いていないぞ」
「それで良いのです。私はあの子のことを、月之宮の産んだ人外ではなく自分の孫娘として扱ってきたつもりですから」


「そうか」
 ツバキは冷やかな態度をとった。
この老人は、それこそが愛でもあり、自分のエゴでもあったことを分かっているのだろうか。


「……この度は、恥を忍んで貴殿に頼み事があって参りました」
 そこで、老人は地面に膝をついて深々と頭を下げた。
 土下座だ。


「……この老いぼれ最後の願いとして、青火様には八重のことを、よろしくお頼み申し上げたい!」
 衝撃に、ツバキは絶句した。
震えた声の梢佑は、頭を上げない。今更なのは分かっても、もう他に頼れるよすがはないからだ。


「どうして、僕なんだ」
 呆然と呟かれ、梢佑は悲哀のこもった声を出した。


「あの子には、私たちは可哀そうな育て方をしてしまいました」
 しぼり出したのは、後悔の念だ。
 死ぬ間際の懺悔だ。


「アヤカシに惹かれるあの子に、殺しを教え、その役目を無理強いし、霊力と異能で逆らわないようにと投薬でコントロールしようとしてきた……それで本当に良かったのかと迷いながら、あの子が暴れたりしないことに安堵して参りました」
「……だから、なんだ」


「どうか。私が死んだ後に残されたあの子を、助けてやってください」
 この言葉に、ツバキは頭にきた。老人の胸倉を掴むと、奥歯を噛みしめてこう言った。


「だったら、今更後悔するぐらいなら、なんでそんなことをしたんだ!
お前は何も知らないだろうが、この神社で八重が何度泣いていたと思ってるんだ!」
「ですから! もう青火様しか頼れる方がいらっしゃらないのです!」


 くしゃりと顔を歪めた八重の祖父が、命がけの懇願をした。
そのことに、ツバキは怒髪天の思いになったが、寸でのところで爆発を避けた。


「……云いたいことはそれだけか」
「もう一つ、ございます」
 胸倉を掴まれた老人は、瞳を伏せて告げた。


「青火様、今まで本当に申し訳ありませんでした」
「黙れ。僕は謝罪など不必要だ」


「つきましては――」
「黙れ」


「――これは祖父としての願いなのですが、八重のことを、幸せにしてやって下さいませ」
「…………」
 忌々しそうに、ツバキは舌打ちをする。


 手に込めていた力を抜くと、自由になった老人が微かな光りを目元に宿して跪いていた。妖狐から冷たく見据えられながらも、梢佑はこの願いが拒まれないことを確信している。
月之宮家直系であり、人外の力を持ち、恋人さながらに惹かれあっている孫娘のことを、この妖狐は切り捨てることなんてできないだろう。
それができるくらいなら、青火はこのような場所に留まってなどおるまい。月之宮のことを忘れられるほど器用な性質もしていない。
 それを理解した梢佑は、己の行いを悔いながらもこの勝負に勝ったことを知った。


「……本当に貰ってしまうぞ」
「私の死んだ後でしたら、孫娘の気持ち次第でいかようにも」


「僕はアヤカシだ。九尾として神の座についたことはあっても、神そのものである八重に釣り合うとは到底思えない。……ましてや、僕の主の血を引いた姫君だ。このような気持ちは許されるわけがないと思っていた」


「……誰が許さなくとも、祖父である私が許しましょう。月之宮の為に生きてきて、私のせいで苦渋を味あわされた貴方は幸せになるべきだ。
それに、一説には九尾の狐は神獣とされております。まんざら釣り合わぬ縁談でもありません」


「では、本当にいいんだな」
「はい」
 年老いて、カサカサの肌になった老人の手をとったツバキは、その軽さに眉を潜めた。これほどに痩せているところを見ると、何か良からぬ病に侵されているかもしれない。
顔色は土気色で、髪は灰のように白い。目じりにはシワがあり、これまでこの梢佑がどれほどの苦労を重ねてきたのかが伺えた。


「……お前に許される日がくるなんて思っていなかった」
 ツバキが呟くと、老人となった梢佑が静かに微笑んだ。








 最後の映像は、どうやら真冬の季節だった。舞い散る雪に、制服の上にコートを着、マフラーを首元に巻いた少女の姿が見える。
鳥居の手前の石階段に座った彼女は、どんよりとした瞳をしており、隣にいたツバキに何かを話している途中のようだった。


「……ねえ、ツバキ。……あたし、なんだか生きることに疲れちゃった」
 唐突な彼女の言葉に、好物のビーフジャーキーを分け合っていた妖狐は返事をする。


「そうか」
「何かね、おじいちゃんとおばあちゃんが死んでから、何のために辛い思いをして戦ってきたのか分からなくなったの。前だったら薬を飲めば心が麻痺してきたことも、あんまり効かなくなってきたっていうのかな……」


「それは、君の中ではよくないことなのか?」


「……だって、あたしが嫌々アヤカシを狩って平和を守っても、誰に感謝される訳じゃないんだもの。助けた人間には罵られて、怯えて恐怖されてばっかりで、全然正義のヒーローになれるわけじゃないの。詐欺師扱いされるのなんてしょっちゅうだし、胡散臭いって鼻つまみものになることだって多い。
もっと昔みたいに、オカルトが身近なものだったら違ったのかもしれないけど……。
なんの為に、あたしは頑張ってきたのかな」


「報われていないことが嫌なのですか?」
「そういうわけじゃないよ。人助けに自分の損得勘定はしちゃいけないことは分かってる。……でも、心が折れそうなギリギリのところに立ってる感じっていうのかな……」


 溢れそうになった涙を、少女は制服の袖で乱暴に拭う。
真冬の木枯らしが吹き、心配そうに桜は枝を揺らした。辺りに生き物の気配はなく、彼らだけしかいなかった。
 ポツンと世界の喧騒に乗り遅れたような寂しさがあって、2人は寄り添いながら会話をしていた。


「あたしね、このまま高校生になるのが怖いよ」
「君が不登校になったら、僕は何のために勉強をして君の志望校に入学したと思ってるんですか」
 皮肉めいた口調になったツバキの肩に、少女の肩が当たる。
 接近した距離に、苦笑した彼女の声がした。


「……ツバキって本当に変だよね。なんで慶水高校の同級生じゃなくて先輩でいることにこだわるのかな」
「こんなに歳が離れているのに、今更同じ学年になるのもどうかと思いまして」


「学校、楽しい?」
「ちっとも面白くないですね」
 少女が訊ねると、妖狐は本音を吐露する。


「同じ学年に那須っていう男がいるんですけど、それがまたうるさいんですよ。年がら年中くだらないことしか考えてないくせに、やたらと騒ぎたがるんでウンザリしているんですけど」
「……那須、か」
 思い悩む目つきになった少女は、ずっとこのところ考えていた思い付きを言葉にした。


「あのさ、ツバキ。『那須』って苗字は元々地名の一種だってことは知ってる?」
「知っていますよ、有名ですからね」


「……そこでできたっていう殺生石のことも?」
 伺うように言われた言葉に、ツバキは頷いた。


「上皇に寵愛されていた玉藻前と呼ばれていた九尾の狐が退治された時にできた毒石のことでしょう。各地に散らばり、人間や動物を死に至らしめるという昔話ですね」


「……あたしね、残っているならそれを探してみたいんだ」
「何のために?」
 怪訝な面持ちになったツバキに、少女は制服のスカートを直しながら、ひそやかに笑った。


「もしも人間の部分だけを殺す毒石なのだとしたら、半端モノのあたしが飲んだら完全な神様になれるかもしれないって思わない?」
「……自殺行為でしかありませんよ」


「構わないわ。色々文献で調べてみたけどこれって結構勝算のある案だと思うの」
「そんなに、ヒトに混じって生きているのが苦しいのですか」


「…………うん」
 寂しそうに、少女は肯定した。そこに色濃くにじむ苦悩が見え隠れしていた。


「……もう、刀を振るってアヤカシを殺すのが嫌なの。頑張ってきたけど、踏みとどまってきたけど、もう今度こそ限界だよ。
人の為に殺さなきゃいけない命もあることは分かってるけど、どうしてあたしが血濡れでみんなを守ってきたのか見失っちゃった……」
 消えていく語尾に、妖狐が少女の肩を引き寄せた。引き締めた表情で、真剣な目になる。少女の顔が自己嫌悪で歪む。


「ツバキ……、あのさ、あの約束って……今でもまだ守ってもらえるのかな……」
「はい」


「高校に入って、ツバキと一緒に学園生活を過ごしてもさ、それでもダメだったら……。この惨めなあたしが何も変わらなかったら……そうしたら、その時はあたしと一緒に殺生石を探す旅に出てくれますか……?」
「当たり前だ」
 だが……、とツバキは一言だけ付け足した。


「僕が君を浚うのは構わないが、その殺生石を飲むのはもっとよく安全を考えてからにして欲しい。……僕がずっと考えていたのは、家出をした君と出雲で一緒に暮らすことだ」
「出雲?」


「ああ、あの地には神々が集うんだ。あそこなら、君は人間らしく振る舞うことを強制されずに生きていかれる。人外の自分を否定する必要なんてなくなるんだ」
「それって……」
 少女が息を呑む。押さえつけられていたこれまでの抑圧がなくなることに気付き、瞳を揺らした。
 妖狐は、薄く笑って見せた。


「きっと上手くいく」
「ツバキ!」
 バッと勢いよく少女は妖狐へ抱き付いた。黒髪がなびき、バランスを崩して押し倒しそうになる。踏みとどまった彼に泣きそうな笑みを浮かべた少女が、その頬に唇を当てた。


「な……っ」
 頬にキスを受けたツバキが絶句すると、少女は嬉しそうに叫んだ。


「――きっと約束よ! 破ったら許さないんだから!」
 そのよく通る声は、寒々とした2人きりの神社に響き渡った。







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