悪役令嬢のままでいなさい!
☆157 神龍の見送りと桜の記憶 (3)
映像が切り替わる。立ち眩みが起こりそうになりながらも目を見張ると、今度はそこまで月日が経過していないらしい。
若葉の揺れる神社の石段に腰かけた女の子が、不安そうにこう洩らした。
「あのね、ツバキ。あたしにね、お兄ちゃんができるんだって」
「……弟や妹ではなく?」
「違うよ。年上のお兄ちゃんだよ」
惑うように長い睫毛を震わせながら、女の子は白い帽子を深々と被り直す。その常ならぬ態度に妖狐は怪訝な面持ちになった。
「それはどういう……」
「おじいちゃんが決めたの。分家出身で霊能力がある男子を、うちの養子にもらうんだって。……跡継ぎのはずのあたしがこんなんだから、ちゃんとした正真正銘の人間が本家に必要になった、から……」
「それは違うだろう。お前の祖父はそんな男ではないはずだ」
「ツバキは何も知らないんだよ!」
少女は叫んだ。
帽子で目元を隠し、自分を責める口調でこう続ける。
「おじいちゃんは、月之宮家を守ることだけ考えて生きてきたの! 戦争で生き残った自分の人生を、みんな月之宮の復興に捧げたんだよ!
アヤカシのことを憎んでるし、半端モノに生まれたあたしが期待外れだから、分家の男子を貰ってこようとだなんて考えたの!」
「推測でしかないことで自分を追い詰めるな」
「……だって、あたしには陰陽道の才能なんてない! 純粋な人間とは違うから、難しい術は全部てんでダメだったんだもの!
あたしはアヤカシを殺すことしかできないのに、こんなにツバキのことが大好きなんだものっ」
ひっく、ひっくと女の子は泣きじゃくり始めた。その瞳から溢れた涙を、ツバキは持っていたハンカチで拭おうとする。
「憧れてたことと全然違うの。アヤカシを殺すのが陰陽師の仕事だなんて、あたし分かってなかったの……」
「泣くな。八重」
涙に押し当てられたハンカチは、どんどん雫を吸収していく。
うああ、と我慢しきれずに泣き出してしまった女の子に、妖狐は黙って見守ることしかできなかった。
次の映像に出てきた少女は、ぐんと身長が伸びていた。
見た感じでは、一気に小学校四年生ぐらいになっている。ランドセルを背負い、私にも見覚えのある名門私立校の制服を着用していた。
時刻は放課後の夕暮れだろうか。
「……どうしたんですか。ふさぎ込んで君らしくもない」
泣きっ面でこの神社へ駆け込んできた少女に、ツバキは心配そうに訊ねる。明るく朗らかだったのが嘘みたいに、彼女の様子に陰りが見え始めていた。
「友達と思っていた人間に裏切られた」
「ほう?」
「クラスのみんなが仲良くしてくれたのは、全部うちのお金目当てだった」
「珍しいことではありませんね」
「……あたしだけが、よく分かってなかったみたい」
泣きそうになりながらも、少女は小さく笑う。
その気の毒な姿に同情を誘われたのか、妖狐は考えながらもこう言った。
「これで二回目ですか……、君が人間に落胆するのは。前回は確か……」
「うん。また失望した。最初は確か、雑妖に襲われていた友達を助けようとして、霊力を使っているところを見られて罵られたときだったね。正確には、『元』友達だけど」
少女は、年齢には似合わぬ難しい言葉を使っている。
「その時に、普通の人間には期待しないって話していたのを僕は覚えていますよ。もう友達は、日之宮の令嬢以外には作らないと決めたんじゃなかったのですか?」
「あたし、ね。……どうしても、『人間』に期待することを諦められなかったんだ」
寂しそうに、少女はポツリと呟いた。
「今度は大丈夫なんじゃないかって思ってたの。そうやって、何度も失敗してしまうのに、いつか『月之宮の化け物』なあたしでも受け入れてくれるヒトが見つかることを祈ってしまうの。いつか、本当の友達みたいになれると思いたかったの」
「本当の友達、ですか」
また難しいことを望みますね。
ツバキも、そう呟いた。
「こないだも、アヤカシを殺したの。沢山、沢山殺してしまったの」
自分の手のひらを眺めながら、少女は囁いた。
「命乞いをされたけど、殺すしかなかったんだ。だって、人間に被害が出ていたから。あたしは人間の味方をしなくちゃいけないから。
……きっと、あたしの手のひらは赤く染まっているわ」
「君の手が赤くなっているのなら、……これまで手を汚してきた僕はどうしたらいい?」
「ツバキは普通のアヤカシだもの。悩む必要なんかないわ。あたしみたいに正体が人間なのか人外なのか分からないような、中途半端な立場にいるわけではないもの。
……笑っちゃうわよね。あたしがやってることって、考えてみたら人間へのご機嫌とりばっかりだわ」
「それは仕方ないでしょう」
「……ねえ、あたしが限界になったら浚ってくれるって前に云ってたでしょう? それって、本気に受け取ってもいいの?」
「……勿論」
不安そうな顔をしている少女に、妖狐は目を細めた。
「今じゃないの。まだ、頑張れる。……でも、いつまでアヤカシを殺すことが受け入れられるか分からなくなっちゃった」
「無理をする必要なんてないんですよ」
「でも、ここで踏ん張らなかったらお父さんとお母さんのそばには居られなくなっちゃいそうで……、悪いアヤカシから人間を守り続けていれば、いつかは褒めてもらえるかなって、これもそうだけど期待しちゃうっていうか……」
「君の努力を無視するような者を、親と慕うのは止めた方がいいのでは?」
「でも、血がつながったお父さんなんだよ。どんなに分からずやでも、あたしが人間のフリをして生きていればいつかは認めてもらえるかもしれないし……」
虚しく笑った少女の姿が、やけに印象的だった。
顔を歪ませたツバキの映像に、突然切り替わった。今度もまた、中学生になった少女は泣いている。
どうやら、話を聞いていると彼女は外国人に友達と一緒に誘拐されそうになったらしい。そこから命カラガラ逃れたとのことだった。
「あたしのせいだよ……、何もできなかったあたしのせいで、代わりにななちゃんが人間を刺さなくちゃいけなくなったんだ……っ」
嗚咽を洩らしている。
「誘拐犯への自己防衛ですから、未成年である日之宮の令嬢が罪に問われることはありません。戦闘訓練を受けていた彼女が外国籍の人間を2人も殺めてしまったことは大変なことですが、今、関係者がもみ消し工作に走っています」
ため息をついたツバキが、宥めようとこう言うと。
「でも、あたしがもっとちゃんとしていれば、誰も死ななくて済んだのかもしれない! ななちゃんだって、人殺しなんかしなくて済んだ!」
「ですが、あの時点ではやりすぎとはいえそれしか助かる方法が無かったと聞いています。……よく聞きなさい、八重」
真剣な表情をした妖狐は、号泣している少女へこう言った。
「誘拐犯を殺したのは、アヤカシの僕がやったということにすり替えなさい。目撃者の君がそう云い張れば、あの子の経歴を白紙に戻すことができるはずです」
涙を流している少女が、衝撃に言葉を詰まらせる。それを見ながらも、妖狐は視線を合わせたまましゃがみ込んだ。
「分かりましたか? 八重」
「……そんなことしたら、今度はツバキが……」
「大丈夫。僕との関係は今までと何も変わることなんてありません。君のおじいさんが全てを良きように取り計らってくれることでしょう」
落ち着かせる為に少女の頭を撫ぜていると、
「……巻き込んでごめんなさい、ツバキ」
と彼女は小さな声で謝った。
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