悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆156 神龍の見送りと桜の記憶 (2)



 視界が、揺らぐ。
今の女の子の正体に私が息を詰めると、思い悩む間もなく次の記憶へと出来事が切り替わった。


「ツバキー!」
 リュックサックを背負った女の子が、嬉しそうに石階段を駆けてくる。
その呼びかけに、着物姿の妖狐は振り返った。先ほど見た時よりも存在感が濃くなっていて、幽霊じみたところはなくなっている。


「八重――、そんなに急ぐと……」
「ひにゃ!?」
 最後の一段を踏もうとした女の子が、踏み外して盛大にスッ転ぶ。手のひらと膝をすりむいて半泣きになった彼女に、ツバキがため息をついた。


「いひゃい……」
「……忠告をするのが遅かったか」
 近づいたツバキが助け起こすと、女の子は涙ぐんで立ち上がった。少しだけ身長が伸びており、走ってきたのか、あどけない頬は赤らんでいる。


「そんなに慌てて走るからこうやって転ぶんだ。僕はそこまで急がないと云ってあったろうに」
「だって、早くここまで来たかったんだもん……」
「全く、大体いつだって君は不注意で――」


 そこで、たしなめるように言いかけた妖狐は、何かに気付いたように暗い表情となる。視線を逸らした彼は、
「……いや、僕が偉そうに云えたことではなかった」
とくぐもった声で呟いた。


「?」
 女の子が、不思議そうに瞬きをする。そして、朗らかに笑った。


「……あのね、ツバキと一緒に遊ぼうと思って、お花見の道具を持ってきたんだよ!」
「ああ、花見ですか。確かにもうすぐでここの桜も咲きそうだ」
 振り返ったツバキが、神社に生えている桜の木を見て薄く笑う。その樹木は、誰にも注目されないままに桜色の蕾を今にも咲かせる寸前となっていた。


「でも、少しばかり早かったな」
 桜吹雪を見るには、3日ばかり早そうだ。
苦笑したツバキに、女の子がふふんと自慢そうに笑った。


「これでいいんだよ」
「これでいい?」


「だって、ツバキとは花が咲く瞬間を一緒に見ようと思って来たんだもん。この桜には、次にあたしが来るまで咲かないで待っててねって、お願いしてあったの!」
 怪訝そうな面持ちになったツバキは、瞳を伏せるとその片手を女の子の額に当てた。


「熱でもあるんじゃ……」
「もう! そんなんじゃないってば! 周りの誰も知らないけど、ツバキにだけだったら秘密を教えてもいいかなって思ったの!」


「秘密? 何だそれは」
「絶対にみんなには内緒だからね……。
――あたし、実は植物とお話しができるってことに気付いたの!」
 得意満面に宣言され、ツバキは嫌そうな顔になった。


「……こんなことを云い出すなんて、やっぱり熱があるんじゃないか。外遊びなんてしないで、ゆっくり休んだらどうだ?」
「……信じてないんでしょ」


「誰かに騙されでもしたか? それとも、ごっこ遊びでもしたいのか?」
 子どもを見る眼差しになったツバキに、女の子はふくれっ面になる。むうっと拗ねた彼女は、彼の手を引っ張って桜の傍に近づいた。


「ほら、見てよ」
 女の子がそっと指先で触れた桜の枝が、淡く輝く。そこに渋々視線を合わせた妖狐は、艶やかに開き始めた桜の花々に驚いて絶句した。
まるでビデオで早送りでもしているかのように色づき始めた桜の木は、嬉しそうに7分咲きへと変化していく。


「それからね、こんなこともできるんだよ」
 楽しげに少女が手のひらをお椀型にすると、何もなかったはずのそこに1輪の桜の花が具現する――言葉を失ったツバキの前で、虚空から出現させた花々を女の子は彼の白金髪へと飾り始めた。


「…………っ」
「ツバキって、冬のお花の名前なんだってね。でも、髪に飾るには桜の花も可愛いと思うんだ。ちょっと茎が短いけど……」
 呑気にそんなことを言っている女の子は、やがて季節を無視した花々を出し始めた。ひまわりにポピー、シロツメクサに蓮華草、トゲのない野薔薇。
気ままに髪弄りをしながら遊んでいた彼女は、ふと視線を上げると豪華に咲き誇った桜の木に気が付き、満面の笑顔になった。


「わあ……、やっぱりここの桜が一番綺麗だね!」
 驚きながら枝を揺らした桜の木に、少女はにこにこ微笑みかける。


「あたしはね、桜は見るのも食べるのも好きだよ。サクランボも、桜餅も、桜茶も。えへへ、なんでこんなに綺麗なのに、みんなは幽霊桜だなんて避けるのかなあ……」
「…………」


「もしかして、ここに出るって噂の幽霊はツバキのことなんじゃないの? ……わ、やっぱりそうなんだ。いい迷惑だよねえ、もっと文句言っちゃっていいんだよ」
「…………八重」


「ん、なあに? ツバキ」
 なんてことなさそうに笑いかけてくる少女に、妖狐は顔を引きつらせた。


「これはとんだ計算違いだ……。もっと普通の月之宮だと思ってたのに……君、なんで今までこれを僕に知らせようとしなかったんだ」
「だって、こんなことができるってあたしも気付かなかったんだもん。なんかね、成長するごとに、だんだん分かってきたっていうのかな……」


「みんなには秘密にしているって云っていたな。何人だ。君の周りで何人がこの異能のことを知っているんだ」
「えっとね、おじいちゃんとおばあちゃんとツバキだよ」
 こてん、と首を傾げた彼女に、ツバキが虚ろな笑みを浮かべる。


「おかしいと思ったんだ……たかが人間に僕が一目惚れをするなんて、そこからおかしいことに気付けば良かった……っ」
「これ、みんなにも言った方がいいと思う?」


「――死んでも内緒にしておきなさい」
 物騒な気配を出したツバキに、女の子がコクコク頷く。
 そこで、咳払いをした妖狐が真剣な顔をして彼女に向かい合う。


「君のその異能は、人外の領域に入っているものだ」
「じんがい?」


「アヤカシや神様が使う力を君は使っているんだよ。普通の人間には逆立ちしたってできないし、たとえ陰陽道の修行をしたって使えないものだ」
「そういえばね、そろそろ修行をさせてもらえそうなんだよ! ずっと憧れてたから、楽しみで……「八重、ちゃんと話を聞きなさい」」
 こちらの気も知らずに話の腰をポキッと折ろうとした少女に、妖狐は頭が痛くなってきたのを辛抱した。


「その力はね、人間には使えないものなんだ。そういうものは、隠しておかないと危険だということを分かって欲しい」
「でも、八重は人間だよ?」


「もしかしたら、君は僕の仲間なのかもしれない。……もしくは、月之宮家の血脈に遠く流れる神の類か」
「……神様?」
 唐突に、女の子の顔に不安の影が差した。


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。大事なのは、君が人間たちに迫害されないようにすることだ」
「ツバキの云ってること、難しくてよく分からないよ」


「秘密を知っている者以外の前で、もう異能で花を咲かせたりしてはいけないよ。君の両親がそれを知ったら、……怖がられてしまうかもしれないからね」
「そんなにいけないことなの?」


「人間は、ひどく臆病だから」
「ねえ、じゃあどうして……」
 女の子は、とても悲しそうに呟いた。


「なんで、そんなに見られたらいけない力が、あたしにあるのかな……」
 自分へ怯えるように洩らしたその言葉を聞いたのは、妖狐と桜の2人だけだった。





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