悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆151 ダンスパーティー会場にて



 まあ、八重様がいらしたわよ。……と、広いパーティーホールに踏み込んだ瞬間、誰かが囁いた。


――八重様、今日も素敵ね。あのような大胆なドレスが着こなせるなんて。
――月之宮家のご令嬢のお隣にいらっしゃる男の子はどこのご子息かしら? 可愛らしいわ。
――あの小さな女の子、なんて人離れした美しさだこと。金の瞳だなんてお伽噺みたい。水色の髪はどこで染めていらっしゃるのかしら?
 好奇の視線と崇拝の眼差し、そこに加味された人々の羨望のため息が漏れ聞こえる。


 肩で風を切って進んでいく父の背中に続いて歩いて行くと、人ごみの向こう側に日之宮家の当主が談笑しているのを見つけた。


「……ああ。これはこれは、月之宮家の方々」
 かけられたのは、まるで能面のような微笑だった。観察してみた感じでは私の父より5歳ばかり年上だろうか。


「此度は、奈々子様の誕生の祝賀にお招きいただき、まことに光栄の至りでございます」
「我らの間に堅苦しい挨拶など不要だ。
天高き太陽も月も両者が揃ってこそ輝きを放つものだからな。
だが、折角の月之宮家のご当主どの直々のお言葉、ここは有難く頂戴しよう」


 低くのっぺりとしたセリフは、単調にこの場に響く。差し出された手のひらに私の父が握手を交わすと、目の細い日之宮家のご当主は扇を広げて口元を隠した。


「……幽司君の姿が無いようであるが」
 そう問われ、父が苦い表情になった。


「あの愚息は、留学でイギリスに行ったまま帰国してはおりません。婚約者である奈々子様のお祝いにも駆け付けることができないとは……面目の次第もないことであります」
「いいや、よい。奈々子もそのことについてはさして落ち込んでもおらぬ。私も才能のあり努力家な彼のことは買っているつもりだ。近頃では見かけない一本気で気持ちのいい青年だと思っておるよ」
「日之宮の貴方さまにそうおっしゃって頂けるとは……」
 扇で口元を隠したまま、日之宮家の当主は笑いシワを深くした。それに引き換え、父は苦み走った顔になっている。
 暗に自分のことを無能呼ばわりされたからだ。


義兄のことをここまで評価している日之宮家の目は節穴だと思っているに違いない。私もそれに同感だ。妹を敵陣に放置して、喜々として悪びれもなく自分だけ海外逃亡したような人間を、『勤勉』といった好意的な観点で見ることができない。
いや、確かに陰陽道の術の修行や英語以外の勉学態度はまあまあマジメだった気がする。アヤカシを殺すことにも長けていた。そういった面を抽出すれば、幽司兄さんは一本気でさっぱりとした好青年に……なるのかしら?


 うーん……。
私にとっては卑怯者って印象しかないけど……。


表情に出さずに困惑している私をよそに、父とご当主の会話は表面的には盛り上がっている。だが、互いに牽制しあっているようにも思え、気を抜くことができない。
 日之宮家のご当主の隣にいるのは、3人の夫人たちだった。彼女たちは全員もれなく裏世界の出身の女性で、公式には1名が、非公式には追加で2名が妻として日之宮に嫁いできていることを私は知っていた。
術の実力は陰陽師を名乗れるほどではないにせよ、もれなく陰陽道で名をはせた家の血を引いている。その3番目の奥方の産んだ娘が奈々子だ。


 ようやく挨拶から解放された私が、松葉を伴って両親の傍から離れる。ご馳走に一目散にとんでいった蛍御前を叱責しようとした時、


「「「「「八重様!」」」」」
と頬を薔薇色に染めた私よりも年下の令嬢の軍団に突進され、行く手を阻まれてしまった。
 年齢層は、中学生から高校生ほどだろうか。


「本当にお美しいですわ! まるでハリウッドの俳優さんのよう!」
「あちらにいらっしゃる殿方がお分かりになられて? 奈々子様のお祝いに、歌手の方が呼ばれてらっしゃるの!」
「……あの、私、デビュタントの前からずっと憧れておりましたの。もしよろしければ私とダンスを踊って下さいませんか?」


「まあ、貴女図々しいわよ!」
「そうよ、八重様はみんなのものって決めたじゃない! 抜けがけは禁止よ!」
 ピーチクパーチク集合した小鳥のように騒ぎ立てる令嬢方は、皆、上流階級の御家柄の出身だったはずだ。
それなのに、今ではすごい威圧感を出して私に迫ってくる。
しかも、いつもいつも見間違いであって欲しいと思うのは、彼女たちの瞳が恋する乙女のように潤んでおり、恋の鞘当てに使う香水をたっぷりまとわせていることだった。
 その気迫にたじろぎながらも、私はそれを心に押し隠し、皐月の風のような爽やかな笑顔を見せた。


「まり江様、晴香様、お久しぶりでございます。唯様はますますお綺麗になられましたね、かすみ嬢はデビュタントを済ませれたとのこと、おめでとうございます。
トノ子様、かすみ嬢にそこまで御怒りにならないで。私は、皆様にお会いできてとても嬉しく思います」
記憶に入っていた名前を引っ張り出して涼しい笑みを返すと、みんなはますます熱い眼差しで頬に手を当てた。


「やっぱり素敵でございますわ……八重様」
「ますますお麗しくなられて……私の名前、覚えていて下さったなんて」


「殿方なんて八重様と比べるまでもございませんわ。いついかなる時でも、私の恋のお相手は八重様以外考えられません」
「ふとした時の横顔の凛々しさ……、すらりと高い身長、剣技の艶やかさ、気さくさ、まるで同性のような心遣い、このようなイケメンは他にいませんもの……」
 いや、私は女なんですけど。お忘れじゃなければあなたの同性で間違いじゃないんですけど。


「何故八重様は女にお生まれになられてしまいましたの……いいえ、たとえ同じ性でも私の婚約者にはやはり八重様しかいないわ! お父様を説得しなくちゃ!」
 血迷っている令嬢も1名出現しそうになっていた。
どこかの異世界の巨人のように法律の壁を乗り越えてきそうなところがすごく怖い。奇行種? 捕食してくる通常種?
毎度のことながらドン引きしている私に対し、エスコート役のはずだった松葉の表情が無くなっていた。


「……八重さま、コイツらって……」
 口端を引きつらせている松葉に、ご令嬢方がムッとする。


「まあ、なんて口の利き方をなさるの! どこのお家の方なのかしら!」
「横柄な態度!」
「私たちは八重お姉様を心からお慕いする『月之宮八重様のファンクラブ』でございますわ!」


「汚らわしい男の身で会員の末席に加わりたいのであれば、そこにひれ伏しなさいな!」
「そうよ、そうよ!」
 騒ぎ立てる小鳥令嬢の口撃に、一斉に浴びせられた松葉が引き気味の姿勢になった。
 きっと、予想外の出来事すぎたのでしょう。
目元が影になり、呆気にとられて口はへの字になっている。


「……いい加減、その変な活動は止めてもらえないかしら」
 頭の痛い私が止めに入ろうとすると、彼女たちが酷く悲しそうな眼差しでこちらを見てくる。


「「「「「これは私たちの生きがいでございますのよ!」」」」」
「……そうですか」
 この勢いには閉口するしかない。
生き生きとなさっているのは結構だけど、その分、当事者の私のストレスが倍増しているのは気のせいかしら?
迷える子羊たちに、周囲の人々は暖かな眼差しを向けている。
一度は罹る麻疹のような扱いを受けている気がして、私はどこか落ち込む場所を探したい気持ちになった。
……って、それじゃあ私は病原菌か。
この娘さん方を滝行にでも突きとばせば正気に戻って帰ってくるだろうか。




「――見苦しい騒ぎだこと」
 てんやわんやの彼女たちに、冷たい氷のごとし言葉が浴びせかけられた。キッと睨み付けようとしたファンクラブの面々が、顔色を悪くする。そして、我先にと駆けて蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまった。


「……奈々子」
 このパーティーの主役である高校生令嬢の陰陽師。日之宮奈々子が蔑みの色を湛え、そこに圧倒的な存在感を放って1人で立っていた。
 鮮烈なほどの赤と黒の本格的なゴシックロリータの衣装ドレスに身を包み、ドレープとフリルで装飾されている。折れそうなほどに細い腰に、パニエの膨らみが人形じみた印象を見た者に抱かせる。
ロングブーツに分厚いヒール。
頭にはヘッドドレスを装着し、爪先は真っ黒。唇はワインレッドの赤いルージュが引かれてあった。
 主役であるはずなのに供を付けられておらず、かといってその堂々たる立ち姿は引け目があるようには感じられない。


「あんな低レベルな連中、相手にすることなんてないわ。あたし、八重ちゃんが来るのをずうっと待っていたのよ? なのに、ちっとも連絡をくれないんだもの」
 ――夏休みは、楽しかった?
奈々子の唇がこう動いたのを視認して、私はゾッと寒気がした。


「ええ……」
「白波さん、だっけ? 知り合ったばかりのあの子と一緒に色々なところに行ったそうじゃない? ねえ、どうして昔馴染みのあたしも誘ってくれなかったの? そうすれば、もっと、もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと面白いことになったのに……」
 毒を含んだ奈々子の言葉が、つま先から全身を這いまわる。ぞわぞわと鳥肌が立ちながらも、私は慎重にこう言った。


「奈々子には関係のないことよ」
「あら、ヒドイわ。でも八重ちゃんだって、あの子に関わる必要なんてないじゃないの」
 ケラケラと狂ったような笑い声を上げた奈々子は、耳元でこう囁いてきた。


「……いくらあの学校で死人がでようと、フラグメントが死のうと、生徒が死のうと、アヤカシが殺し合いになろうと、そんなのどうでもいいことじゃない?
そんなところで儲ける必要はないじゃない。仕事なんか選べばいいじゃない。もっと楽すればいいじゃない!
自分が一番大事で、大切で、甘くて、弱くて、情けなくて、泣き虫で、無様で、生き恥で、劣等で、負け組で……そんな八重ちゃんでも、あたしは全部受け入れて愛してあげる」
 ……アタシだけハ卑怯なアナタをユルシテアゲル。
バッと弾かれたように、私は奈々子から身を離した。
こちらを汚染していく負の言葉に……こちらの醜い部分を抉る甘言に、恐怖を覚えたからであった。


「……こうして、逃げる前の兄さんにも何か云ったの?」
「……何のこと?」
 鳥肌の立った自分の肌をそっと撫ぜる私に、奈々子は薄っぺらい笑顔を浮かべた。


「あなたがそそのかしたの? 奈々子!」
 私が剣のある眼差しを向けると、奈々子はつまらなそうな表情になった。


「あたしを悪者みたいに云わないでくださる? 勘違いしないで欲しいわ。あたしは、日之宮の立場で八重ちゃんの味方をしているだけなんだから」
「……私の気持ちなんて分かってないくせに」


「それはお相子でしょ。八重ちゃんだってあたしの気持ちを分かってない。人間同士だったらいつか分かり合えるなーんて嘘よ。……ましてや、根幹の構造から異質なアヤカシとなんて上手くいくわけがない」
 奈々子の小さなセリフに、耳のいい松葉が反応した。
強く睨み付け、「八重さまに変なことを吹き込むな」と威嚇をした。


「……あらァ? アヤカシ風情に何ができるというの? 人間というイキモノは同種の人間の誰かに愛してもらえるまでは満たされることはないのよ。今の八重ちゃんが幸福だと思うなら、それは錯覚でしかないわ。
あたしのところに来るまでは、八重ちゃんは幸せになんかなれない。
……だって、この近辺の陰陽師の仲間は幽司様とあたししか存在しないんだから!」
 そう断言した奈々子は、不気味に口端をつり上げた。
――陰陽師として育った私の仲間は、兄さんと奈々子しかいない……。
ぐらぐらと足下の地面から転覆し、ひっくり返るような思いになった。それは正論だ。霊能力を持っている私の同類なんて、兄さんと奈々子しかいないのだ。
 この世において私の仲間は、たったの2人しか存在していない――。
それだのに、アヤカシに依存しようとするなんて私は一体何を考えていたのだろう。
血の気が引いていく私に、奈々子は満足そうに微笑んだ。


「……では、また後でね。あたし、まだ挨拶周りがあるから一旦失礼するわ」
 ホホ、と高笑いをした彼女が去っていく。
長いみどりの黒髪とレースが揺れ、コロンの匂いが薄くなっていき……。
その後ろ姿に、松葉があかんべえと舌を出した。


「……ボクと踊ろうよ、八重さま。あんな気味の悪い女のことなんか忘れた方がいいって」
「…………」
 いくら構造の違う異種であるアヤカシに愛されても、月之宮八重は人として幸せになんかなれない。
その予言めいた言葉が喉につっかえた小骨のごとく痛む中、私はダンスフロアに立つために黙って松葉の手をとった。







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