悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆147 酸っぱい苺と堕落の種



 八月も終わったのに、身体にまとわりつくような暑さと湿気は変わらないままだった。半袖の制服の下に着たキャミソールがうっとうしくて仕方がない。
新学期早々の振り返り小テストでは、予想通りというべきか鳥羽の主席は揺るがなかった。今回も敗れた私(学年二位)はもう落ち込む気も無くなった。
 鳥羽は授業もマジメに聞いてないくせに、どうしてテストで結果がでるのか不思議でしょうがない。遊んでいるように見せかけてがり勉とか、そんなオチだろうか。


 現在、教室で28度設定になっていたエアコンの温度を勝手に弄って下げている鳥羽の姿に、私はしかめっ面を浮かべる。
 地球環境にとても優しくない。
彼が操作した途端に涼しい風を吐き出し始めた空調機に、周りにいた男子が鳥羽とハイタッチをしていた。
地球環境には優しくないけれど、夏バテしそうな人間には優しい設定温度だ。
ああ、なんだか堕落しそう……。


「八重ー、ちょっと私が休んでた分のノート見せてくれない?」
「いいけど……」
 久しぶりに見た友人の顔に、私はだらけたいのを堪えて返事をする。
あの放課後の買い物以来、希未は3日間も学校を欠席した。何となく父親と用事があったのだろうことは察しがついたけれど、公には葬式があったということにされていたようだ。


「お葬式だったんですって?」
「んー、その辺のインタビューにつきましてはマネージャーを通していただかないと困りますねえ」
「どこの大物芸能人ぶってるのよ」
 声色を変えてそんなバカなことを言っている希未に、私は冷たい眼差しを送った。落ち込んでいるかと心配していたのに、いっそ呆れてしまうほどにいつも通りのノリの親友だった。


「はい、コピーをとるなら早くしてね」
「ほいほい」
 彼女が休講した分のノートの束を机から出して手渡すと、希未はにししと笑顔になった。窓からの日光に、ツインテールが赤茶に照らされる。


「ところで、前の買い物のときから気になってたんだけど。八重ってさ、いつからネット小説にはまってたの?」
「う~ん、夏休みの前ぐらいからかな。でも、どうして?」


「へえ、やっぱり最近読み始めたんだ。書籍化とか結構されてるみたいだけどさ、液晶で読むと目とか疲れたりしない?」
「そうね、乱読とかするとかなりくるかも。……ただ、玉石混交で集まっているから、埋もれた名作を発掘するのが意外と楽しくって……それでハマっちゃってたの」


 最強チートとか、無双ものとか、悪役令嬢転生とか、VRとか面白いテンプレは数え出せばきりがない。
悪役令嬢ものとかは、自分も同じ立場だから余計に感情移入してしまって、気付けば指が勝手にブックマークを大量に増やしていた。
 ネット小説というのは未完の作品が多いので最近はいくつまで平行して読み進めることができるのか無駄な限界に挑戦していたりもする。多分、私は元からこういう肩の凝らない作風が好きなんだろう。


「間欠強化の法則ってやつだね。気を付けなよ~、ギャンブル依存症の始まりみたいなものだから。ネット小説の読み過ぎでテストの結果とかに影響でてないよね?」
「元から読書はする方だったから、勉強時間は減らしてないわ。そこはセーフだと思いたいわね……」
 やれやれ、と希未に言われたセリフに、私は半笑いを返した。


 そうはいっても。そろそろマジメに進学を考えるのなら、こういった娯楽は手放すべきなのだろう。一流大学を目指すのだったら、勉強時間はいくらあっても足りないからだ。
ううん……新着更新された分だけのチェックに切り替えた方がいいかしら?


「え? 読書時間を確保してての学年次席なの?」
「そうね」


「じゃあ、最初から全力で勉強に励んでいれば、鳥羽から首位奪還できるんじゃん! なんでそうしないのさ、勿体ない!」
「奪還もなにも、私が学年トップだったことなんて一度もないわよ。……それに、私の場合はどんな学校に行こうともう就職しているようなものだから」


「うっわー、言葉の端々からにじみ出る余裕が憎たらしい! これが格差社会ってやつだ!」
 このセレブめ!と希未が叫ぶ。




「……裏を返せば、周りの期待を裏切ってあの家を出ない限りは私や兄さんに将来の選択権なんて用意されてないようなものなのだけどね」
 その点、どさくさに紛れて義兄は上手く逃げたものだと思う。
 ポツリと私が呟くと、


「今、何か云った?」
「なーにも」
 首を傾げた希未に、私は自嘲するような笑みを洩らす。


 有名一流大学への進学は望まれていても、夢を追いかけるような私の自発性は望まれていない。跡継ぎのポストの座にいたはずの義兄が奔放に国外へ逃げ出した為、もしもこのまま海外に移住されてしまった場合はどうなってしまうのだろう。
 優良企業を束ねた一大財閥の司令塔の地位は、とてもやりがいのある仕事だろう。いくらでも金は手に入るし、名誉欲だって満たされる。
きらびやかな世界だ。圧倒的に恵まれた場所。貧困とは無縁なそこでは婚姻もまた、周囲が斡旋するままに動いていく。
 ……ただ一つ失われるものがあるとすれば、それは『自由』というものだろう。


「……ねえ。ねえ、八重ったら」
「……ん? なあに?」


「白波ちゃんが呼んでるよ」
 物思いにふけっていた私に、希未が笑って呼びかけてきた。
視線を移すと、俯きながらも上目遣いで近づいてきた白波さんがいた。黒目が捉えているのはどうやら私のようで、大きな深型のタッパーを持っている。


「あら」
 私は、口角を持ち上げる。
気まずそうな笑顔になった彼女はカラメル色の髪を揺らしながらこう口を開いた。


「……あの、月之宮さん。前に湖で、私に云ってくれた言葉を覚えてる?」
「……えっと」
 白波さんの問いかけに、私はぎくりとした。
……そういえば、あの時に何か余計な一言を喋ってしまったような気がする。彼女には神子フラグメントの欠片を手放すように説得しなければならないのに、その障害になるようなセリフを言ってしまったような……。


「……もしかして忘れちゃいました、か?」
 目に見えて萎れそうになった白波さんの様子に、私は慌ててこう言った。


「忘れるわけないじゃない! たしか苺が食べたいってお願いしていたことでしょう!?」
 さっきまで忘却の彼方にあったことは内緒にしておかなくちゃ。


「あの、ですね。実は……」
 そこで、白波さんは落ち込みながらも持っていたタッパーの蓋をぱかっと開けた。そこに入っていたのは、ひどく大きな果実だった。ハムスターよりも二回りも大きな真っ赤に染まったジャンボ苺が容器の中で艶やかに君臨している。
 希未が感心した声を出した。


「へえ、すごいじゃん! これって白波ちゃんが作ったってことでしょ!?」
 私も驚きに目を瞬かせた。


「これって……」
「約束してあった……私の育てた苺です」
 手作りの苺を差し出しながらも、白波さんは困ったように口をへの字にさせた。その顔色に不思議に思いながらも、それに気が付かない希未ははしゃぎながら彼女の背中を叩く。


「すごいじゃん! 白波ちゃんでもやればできるんだね!」
「そ、それが……」
 何か事情がありそうだ。悲しそうな表情になった白波さんに、流石の希未も怪訝な面持ちとなった。


「ん? なんか元気がないね……」


 そこに、ため息と一緒に頭の痛そうな鳥羽が現れた。
「……白波が育てた苺、俺も食ってみたけど全然甘くねえんだよ」


 じろり、と動いた視線が私の方へ向く。その目つきが雄弁に語っているのは、白波さんへ神様の欠片を活用しろなどと、ろくでもないことを言った私を責めているのだ。
 怯んだ私。ジト目の鳥羽。
その間に流れている緊張を孕んだ空気に、白波さんが落胆した声を上げた。


「大きくしようと思ったら、代わりに甘さが殆どなくなっちゃって……。しかも、なんだか家にある苺の苗が枯れそうになってるんです」
「それはそうよ。植物の潜在的に持っているエネルギーだって無限にあるわけじゃないんだから」
 パッと頭に閃いた私が思わず答えると、白波さんが驚きに目を見張る。


「笹が大きくなったのは、元々が伸びやすい植物だったからってのと同時に備蓄してあった最後のエネルギーが使われたの。ミドリムシは巨大化した後に、手近なエネルギー源を取り込もうと人間に襲いかかったでしょう。
異能で植物に無理をさせるのなら、水分だけじゃなくて養分を与えないと株が疲弊していくだけよ!」
「あっ……」
 思い当たるふしがあったのか、白波さんが気まずそうな表情になる。


「味だって、どんな肥料を与えたかでどんどん変わっていくはずよ。酸味のある甘さ、砂糖のような甘さ、酸っぱい苺……」
「じゃあ、これから慌てて肥料をあげればあの苺の苗は元気になってくれますか!?」


「効果の早い液体肥料を入れてみたらどうかしら」
 ずっと曇っていた白波さんの顔が明るく変わる。苺の苗を枯らしそうな罪悪感に苦しんでいたらしい。




「……やけに詳しいな。月之宮」
 何か引っかかるものを感じた鳥羽が、私に呟いた。
「これぐらい、誰だってすぐに分かるわよ。理科的な知識だっていらないわ」
 私が苦笑すると、納得のできない表情の天狗は考え込む。




「あああ、あの! 月之宮さん! また作ってきますから、良かったらこの苺も食べてあげてください!」
「じゃあ、一個ちょうだい」
 伸ばした白い指先で、ジャンボ苺のへたをつまむ。そのまま口に運ぶと、強烈な酸味が一杯に広がった。どちらかというとジャム用になりそうな、野生味の感じられる味だった。


「これはこれでありなんじゃない?」
 甘いものが苦手な男性とかに需要があるかも。


「本当!?」
「え、私も貰っていい?」
 希未も嬉しそうに苺に手を伸ばす。そうしてかじりついた瞬間に、酸味にぎゅっと眉を寄せた。


「すっぱあ~~~~っ 鳥羽も食べてみなよ! 甘くないってか、マジで酸っぱい!」
「いや、俺は遠慮しとく」
 あっさり首を振った鳥羽は、にこにこ笑っている白波さんを厳しい眼差しで見ていた。


「……白波。お前、欠片を使ってみて身体とかに異変はないか。すごく疲れたりとか、熱が出たりとかしてないだろうな」
「? 別に大丈夫だよ?」


「その欠片を使うこともほどほどにしとけよ。アヤカシに襲われる危険があることは変わらねーんだから。もしも手放せるようなら、長生きするために分離してフラグメントを辞めることも将来的な視野に入れておけ」
「…………え……」
 きつい言葉を投げかけられた白波さんは、浮かれかけていたのが嘘みたいに顔色を悪くした。


「まさかお前、そんな得体の知れないことに巻き込まれているのに、自分が特別みたいに思ってたわけじゃねえだろうな」
「だ、だって……」


「それはあくまでも本来は生来神のものだった力だ。これから先、どんなに甘い苺ができたところでお前の実力じゃねえ。もしもその力の持ち主が現れて、名前を返してほしいと云ってきたときのことを考えて生活しろ。
お前が泥棒になりたくなかったらな」
「…………はい」
 鳥羽に睨まれた白波さんは、現実を突きつけられてどこか泣きそうな顔をしていた。







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