悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆132 憂いの浴衣と無邪気なあの子





 赤く染まった夕暮れが露天風呂から見える。海はオレンジ色に変わり、あれほど賑やかだった浜辺にもカモメが飛んでいるだけになっていた。
海から上がった私たちは、宿泊先の旅館で温泉にゆったり浸かることにした。身体についた塩や砂を洗い流し、シャワーと石鹸で汗を流す。混浴なんてものは当然ながら存在するわけなんてなくて、なかなかに安心できていいお湯だった。


「……あれ? これって浴衣ですか?」
 髪を乾かした白波さんが、女子部屋の座敷に広がっている色とりどりの布に目を見張った。風呂敷の上に並べられているのは、それだけではなくメイクボックスや帯飾りなどのアクセサリー類まである。まるで、お姫様のところに行商人がやって来たかのようだ。
 それを旅館の仲居たちに指示を出していた山崎さんが笑みを深くする。


「そうですよ、白波さん。これらは全部、月之宮家の奥様が整えてくださった和装一式になります。お嬢様だけでなく、あなた方の分まで御貸ししましょう」
「私にも!?」
 ぱあっと花開いた白波さんに、希未が唇を尖らせた。


「ふーん、なんかけっこう高級そうな浴衣だね。本当にこれ、着ちゃってもいいの? 空も曇ってきたし雨で汚しちゃうかもよ?」
「構わないわよ」
 私は悠然と微笑んだ。
それで怒るような母ではない。むしろ、彼女たちが楽しんでくれたことを喜ぶだろう。


「妾は日常的に着ておるからさして珍しいとも思わんのう。まあ、せっかくじゃしの」
 蛍御前は斜に構えた態度だ。


「……これって、どれくらいの……」
「20万ぐらいかしら」
 私が答えると、遠野さんが唾を呑み込んだ。白くなった指で浴衣の生地を撫ぜている。
余りに高価すぎれば借りる人が困るだろうと思って、そこそこの値打ちに抑えて一式を準備しておいた。


「これを着てどこにいくの?」
 白波さんが不思議そうにしている。まだみんなには話していなかったから仕方ない。


「今日の夕方からね、この近くの神社で夏祭りがあるの」
「お祭り!?」
 みんなが呆気にとられたように私を見た。


「疲れているようなら、ここで休んでいても構わないけど……」
 どうする?と私が訊ねると、彼女たちは揃って笑顔になった。


「にしし、そんなの決まってるじゃん?」
「水臭いですよ、直前まで秘密にしてるなんてっ」
「祭りなら妾が行かん道理はないわ」


「……浴衣でお祭り……つれない先生とイチャイチャする大チャンス……」
 若干1名が頭でソロバンを弾いているけれど、その意思は全員で同じらしい。山崎さんが安堵した表情でこう言った。


「皆さま、途中で気分が悪くなったらすぐに云ってくださいね。あと、アルコールはほどほどにしておくこと!」
「えー、お祭りなのにい?」
 希未が不満そうに頭の後ろで手を組んだ。蛍御前も似たような反応をしている。


「お祭りだからです! こういう所にはどんな輩がウロウロしているか分かったもんじゃありません!」
「山崎さんのケチ」
 ちょっと拗ねた顔をした希未に対し、白波さんはどことなくホッとした表情になる。私は少しだけお酒を飲んでみたかったので、残念な思いになった。


「あっ、この浴衣とっても綺麗!」
 白波さんが見つけたのは、白地に大振りな華柄の1枚の浴衣だった。するすると引きだされたそれに、山崎さんが息を呑んだ。
……あの浴衣は、たしか。


「白波さま、その浴衣はお嬢のために奥様が……」
「これ、すごく可愛いお花模様ですね! 着てみたいかも~」
 確かにそのピンクと薄紫の花が散らされた浴衣は、肌の綺麗な白波さんにも似合うことだろう。想像しなくても分かることだ。
きっと、黒髪の鳥羽の隣にもよく映える。
それが【私のために用意された浴衣】でさえなければ、何も問題のないことだったはずなのだけど。
 白波さんは友達だ。コミュニケーションが苦手な私にとって、大事に尊重しなくちゃいけない存在であり、壊したくない関係を持った人だ。


だとすれば、言わなくちゃいけないことなんて1つだろう。
――私の本心は殺さなくちゃ……。


「そうね、そうしたらいいんじゃない」
「いいの!? 月之宮さん!」
 白波さんに悪意の影はない。ただ、ひたすら無邪気にこの1枚を気に入ってしまっただけのことだ。…… だったら、そうなのなら……。
寂しい気持ちを押し隠して、ぎこちなく笑い返そうとした時のことだった。


「ねえ、ちょっと! その柄って、よく見たらメインになってるのは八重の桜じゃないの?」
 そこで、口を挟んできたのは希未だった。


「八重桜の浴衣ってことは、それって私の親友のものでしょ! ダメだよ白波ちゃん、いくら素敵だからって八重からとっちゃ!」
 え!?と、その言葉を突き付けられた白波さんが慌てた表情になった。何度も見返して、今言われたことが真実だと気付いたらしい。
「……ホントだ、これって」


 見守っていた遠野さんと蛍御前も頷く。
「……白波さん、返した方がいい」
「そうじゃの」


「……はい」
 首を竦めた白波さんから謝罪と一緒に返ってきた浴衣に、私はどうしていいのか分からなくなってしまう。
だって、これを気に入ってくれていたのに。
もしかしたら、私より似合うかもしれないのに……。


 山崎さんがホッとしたように言葉を重ねていった。
「すみませんね、一緒に置いといたこちらの手違いです。これはお嬢様の為に奥様自らがデザインしたものなんですよ。これを着られた写真を欲しがっておられたので、申し訳ありませんが……」


「わ、私の方こそごめんなさい。あまりに綺麗な浴衣だったので……」
 少し名残惜しそうにしている白波さんに、私は苦笑した。


「……いいわ。山崎。白波さんには私の浴衣をお貸しして」
 無理やり吹っ切った発言をすると、山崎さんが驚きに口ごもる。困ったように眉根を寄せ、こちらを見た。


「しかし! お嬢様……。それでは」
「いいのよ。いつも同じ八重桜の柄を着なくちゃいけない法律なんかないわ。それじゃあ飽きちゃうじゃないの。それとも、私が普通の浴衣を着こなせないとでも思って?」
「そうは思いませんが、お嬢様の為にあつらえたものをご友人に貸してしまわれるのは、余りに勿体ないかと……」


「その私がこー云ってるんだから!」
 ため息をつくような山崎さんのセリフに、私は軽く腕組みをした。


「あ、あの……。本当にいいの?」
「いいわよ」
 こちらの顔色を窺っている白波さんに、強引に八重桜の浴衣を押し付ける。そうして、笑顔もオマケにつけた。


「あーあ、貸しちゃった」
 親友の希未は呆れた眼差しをしている。


「……じゃあ、私はどれにしようかな……」
 早速、遠野さんは自分の分を物色していた。


「お嬢様…………」
 俯いた山崎さんは、チラリと他の布に視線を移す。
「……でしたら、今度はこちらにしましょう! そうですね、お嬢様には違う柄の浴衣もよくお似合いになるかと!」
 実に切り替えの早い運転手だった。


明るく掛けてきた声に、部屋の中にいた全員がずっこける。斜めによろめいた私が目眩を感じそうになると、山崎さんは興奮しながらテキパキと浴衣を選んでいく。


「いっそのこと、青色にでもしてみますか! 山吹色の古典柄もありますが、お嬢様にはちょいと派手ですかねえ!」
「……反対してたんじゃないの?」


「よく考えてみれば、若いのに同じ柄だけでは勿体ないでしょう! 八重様もマンネリを感じられるのは仕方がないことですからね!」


 困り顔の白波さんは視線を伏せると、
「本当にこれ、着ちゃっていいのかな……」
と迷える子羊が呟いたのが印象的だった。






 着付けは私もできたけど、仲居さんも手伝ってくれた。勿論チップは支払ってある。
 結局、私が着たのは水色の花火柄の浴衣で、色とりどりの模様が綺麗なものを選んだ。帯は薄いクリーム色で、赤紫の帯留めを合わせる。淡水パールの髪飾りも何個か重ね付けをしてみた。


 希未は山吹の古典花模様に、緑色の帯。遠野さんは撫子の流水柄の浴衣に三尺だった。蛍御前は赤い金魚の浴衣ドレスだ。


 そして、涙で目を潤ませながら白波さんが身にまとった八重桜の浴衣は、ヒロインの面目躍如と言わんばかりの出来に仕上がった。
紅色の帯を腰に締め、カラメル色の髪はアップに結い上げられている。トンボ玉のついたかんざしがまばゆい首元にシャラリと垂れ下がった。
固い動作で彩られた化粧が、いつもよりも彼女を大人びた雰囲気に魅せている。
とても借り物とは思えず、むしろ白波さんの為にあるかのように八重桜の浴衣はよく似合っていた。


「……本当にこれ着ちゃっていいのかな」
 まだそれを言いますか。


「今になってからぐずぐず云わないでよ! しゃっきり歩く!」
 希未にほっぺたをつねられた白波さんが、わたわたと返事をした。


「ひゃい!」
「あー、もう! 文句を言うつもりだったのに可愛い! なんで八重の浴衣なのにそれなりに着こなしちゃってんのよ、もう! 丈とか引きずるかと思ったのに!」
 確かに私の身長は白波さんよりも非常に高い。おはしょりで調節するにも無茶なことかと思ったけれど、この旅館の仲居さんは魔法でも使えるのだろうか。
 ビビデバビデブー。
 彼のアヤカシの姿を思い浮かべながら、私は物憂げなため息をついた。


「……お嬢様」
 そこで、着替え終わった合図と共に部屋に入ってきた山崎さんから声を掛けられる。


「何?」
「せめて、この髪飾りをお付けください」
 差し出されたのは、妖狐から貰ったプラチナの髪飾りだった。ぶっと噴きだした私に対し、我が家のお抱え運転手はマジメそのものだった。


「ななな、なんでこの髪飾りがここにあるのよ! 家のクローゼットに置いてきたはずなのに!」
「はて。私は奥様からしっかり預かって参りましたが」
 おほほ、と高笑いをした母の顔が頭をよぎった。思わずのけぞった私をよそに、周りはその髪飾りを中心に盛り上がる。


「なんじゃこれは! また凄いものを出してきたのう!」
「すっごーい! こんなの八重持ってたんだ!」
「……絶対似合う。……月之宮さんはつけた方がいい」


 怯えているのは白波さんだ。ちょっと目を合わせてみると、ブンブンと頭を横に振る。余りの必死な姿に、「つけてみない?」という冗談は呑み込んだ。


「……そういえばこれ、奥様が不思議がっていましたよ。自分たちは買い与えた覚えがないと」
 どこで手に入れたんです? 綺麗ですねえ。と山崎さんが首を捻りつつ呑気なことを言うものだから、私は言葉に窮した。


「八重。これはアヤカシの関わったものではないか? 花弁に微弱な思念を帯びておる」
 鑑定をしていた蛍御前がこう言うと、みんなが沈黙をした。


「……つけたら、呪われたりとかします?」
「いや、むしろお守りになるかもしれんな。純粋な好意によるものじゃろう」
 神龍の言うことなら信用がおけそうだ。


「ははあん?」
 ニヤニヤしだした希未に、私は顔を背けた。


「私、誰から貰ったか分かったよーな気がするなあ? アレでしょ、きっとしのの――「つけるわよ! つければいいんでしょ!」」
 私が口走ると、山崎さんは微笑ましそうに手を打った。


「そうこなくては。お嬢様は、どうも引っ込み思案でいけませんからね」
 そうして自分の耳元に触れた髪飾りの金具は、ひんやりと冷たかった。







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