悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆119 怪物大乱戦





「うわ……、窓から湖の景色見えるんだ」
 寝室に荷物を運びこんだ希未は、口笛を吹いた。
今回の私の相部屋は彼女である。二階から見下ろした赤木湖は、緑がかった青色でさざ波を立てていた。
 窓を開けると夏の風がカーテンを揺らし、網戸にしようとしたところで地上に鳥羽を見つけた。細長い釣竿とクーラーボックスを持っており、これから何をしようとしているのかは容易に想像できた。


「湖に釣りにでもいくの?」
 笑いながら声を掛けると、屋外にいた鳥羽が振り返った。


「――……月之宮か」
「ええ」
 二階の窓辺からくすりと微笑むと、鳥羽は口端を上げる。


「大した得物はいないだろうけどな。昔やってたから、久々にいいかと思ったんだ」
「そうね……赤木湖にいるのはブラックバス程度じゃないかしら。ワカサギの季節でもないし……」


「まあ、それくらいでも楽しむには充分だろ」
「釣ったら責任もって食べてちょうだいね? キャッチ&リリースでは、生態系が乱れる一方だもの。少しは数を減らした方がいいと思うわ」


「わーってるって」
 鳥羽がポニーテールを揺らして、くっくと笑う。その笑顔に何だか妙な心境にさせられて、私は唾を呑み込んだ。一瞬だけ考えた後に、そわそわしながらこう訊ねた。


「あの……、1人でいくの?」
 よく言った! 自分。
勇気を出した私の言葉に、鳥羽は押し黙った。


「いや……、一緒に行きたいわけじゃないのよ! ただ、純粋な興味っていうか、えっと……そうね、ただ、鳥羽が寂しいんじゃないかと思って!
そりゃ、1人の釣りも趣があって悪くはないことはなんとなく分かるわよ? け、経験は釣り堀しかないけれど、そーいうのも醍醐味なのかもしれないし……」
 余計なことまで喋った私のセリフが響くこと、響くこと。
 その空回り加減に撃沈しそうになっていると、
間を置かずに「鳥羽君、待たせちゃってごめんなさい!」と玄関先の辺りから可愛らしい女子の声がした。


玄関が閉まる音と同時に、地上へサンダルで駆け出したのはカラメル色の髪をツインテールにまとめた、麦わら帽子に森ガール風のワンピースを着た白波さんの姿だった。


「ああ、白波」
「待った? きっと待ったよね、ごめんね?」
「いや、そこまでじゃねーし。……月之宮、なんでそんな変な顔してるんだ?」


 うるさいわね、そこは放っておいてよ!
衝撃に二の句が継げなくなった私に、鳥羽がデリカシーのないことを言う。よっぽど思ったことをぶつけてやりたいけれど、それをしては負けだろう。
いや、勝ち負けの問題じゃないはずなのだけど……、そうよね? まだ負け組なんかじゃないわよね?
 思わず手のひらで顔を覆った私は、潰れた蛙のような声でこう言った。


「何でもないったら……、早く2人で湖に行けばいいんじゃないの」


 第三者の存在を感知した白波さんが天を仰ぐ。そうして、二階の窓から顔を出していた私を発見すると、愛らしいえくぼを作った。


「月之宮さん!」
 手のひらを振られて、私もおざなりに振り返す。
 幸福そうに笑った白波さんは、先に歩き出した鳥羽の後を追いかける。そうして遠ざかっていく2人を眺めて、失墜感を覚えていると希未が私に話しかけた。


「ん? 今、白波ちゃんの声はしたけど……、鳥羽と一緒に出かけたの?」
 旅行鞄から日用品を取り出していた希未が首を傾げる。


「まあ……湖に向かったみたいね」
 鳥羽がこちらの心境に気付いてなければいいのだけど……いや、この際むしろ少しは勘づいてくれた方がマシなのだろうか。
この好意の行く末を決められないままに憂鬱なため息をつくと、希未は不思議そうな表情になった。
 手提げ鞄の中に念のために入れてきた小刀の感触を手のひらで確かめる。何度か触りながら、この物騒な得物を持っていくか悩んでいると、
「八重! 早く湖に行くぞえ!」と叫んだ蛍御前が寝室に飛び込んで来た。


「…………」
 驚きで反射的に真顔になるが、目を輝かせた蛍御前は開け放したドアの前で立っている。
 喜色満面といったところか。


「山は飽きたんじゃなかったんですか?」
「ふん、そう云ったかの」
 言うことがコロコロ変わる神龍で困る。
その態度は到底モチベーションに欠けているようには見えず、私たちを振り回す気が満々だ。


「……やっと準備できた! 八重、私たちもそろそろ湖に行こっか?」
 荷物整理を終えた希未が軽くなったリュックサックを背負う。


「ほら、ぐずぐずするでない。時間は有限、楽しみは無限じゃ!」
 聞き覚えのない格言のようなものを喋りながら、せっかちな蛍御前は床をつま先でトントン叩いた。


「……分かりましたって。急がせないで下さい」
 やっと私が返事を返すと、神龍はにっこり笑った。






 よくよく考えてみれば、鳥羽と2人で出かけていたとしても、皆が向かう先も同じ湖になってしまうのは必然のことだった。
この近辺に遊べるような場所は赤木湖しかなく、その他を選ぶとするならば車で移動するしかない。……ということは、結局屯する候補は一択しかないのであった。
鳥羽と2人っきりになれたはずもなかったわね。
 玄関から屋外に出て小道を歩くと、日差しが照り付けてくる。方向感覚は、二階から湖の位置を確認してあるから大丈夫だ。


「やあ、八重」
 木陰の小道で、東雲先輩が私に微笑った。彼はワイシャツに黒いジーンズを合わせてあり、ブランドもののスニーカーを履いている。


 私と一緒に歩いていた蛍御前が、こう口を開いた。
「おや、狐。お主も湖に行くところかの?」


 東雲先輩は、その言葉を肯定した。
「安直だと思いますか?」
「まあ、館の中に閉じこもるよりは健康的でいいのではないか? こんなにいい天気じゃしのう……」
 水色の髪をした蛍御前が空を見上げると、丁度雲の中に太陽が隠れるところだった。快晴ではないけれど、ほどよく晴れた青空だ。


 私の隣にいた希未が、こちらをつっついてくる。
「ちょっと八重! ……東雲先輩1人だよ! せっかくだし、一緒に行動してみたら?」
 小声のつもりだろうけれど、あまり抑えきれていない。


「そんなこと云われても……」
 東雲先輩にも都合があるだろうし?
 私が逡巡していると、希未が更に顔を近づけた。
「今、距離を縮めなくていつ接近するの! 夏・バカンス・イケメンのNBI三拍子だよ!」


 残念ながら私の知っているNBIは内視鏡検査の一種だ。
 どうしてこの友人は、妖狐を押してくるのかな……。
不可解なものを感じながらも苦笑いしていると、希未の声が聞こえたらしい東雲先輩も似たような顔をしていた。


「では行きましょうか。八重」
 自然と差し出されたのは、妖狐の左手だった。びっくりして先輩の目を見つめると、そこには優しさと恋情があった。
……こんな、みんなの前で繋ぐことなんて……っ
 狼狽して固まっていると、東雲先輩は強引に私の手のひらに自分の手を重ね、握りしめた。互いの指と指が絡み合っていないのはまだいい方だということなのだろうか。


「……あ、ちょっと!」
 そのまま歩き出した彼に引っ張られ、足を踏み出す。希未はしてやったりといった具合で、蛍御前と笑い合っていた。
 木々の間の小道を無言で歩いていると、靴に土がつく。それも気にせずに進んでいると、5分くらいで林から湖の畔へと抜けた。
まるで小さなボスポラス海峡のようだと思った。赤木湖の対岸には、林や車道、別荘の家々が立ち並んでおり、湖の碧青を彩っている。


 夏休みだというのに、観光客は少ししかいない。その大体が白鳥のボートに乗って楽しんでいた。


 鳥羽の姿はすぐに見つかった。岸辺で釣り餌を針に通している。白波さんはその隣で穏やかに水辺の風に吹かれていた。


「よお、東雲さん。月之宮も一緒か?」
 先に着いていた柳原先生がにかっと笑顔を見せる。ベンチに置いてあるのは、なんと理科の授業で見かけそうな顕微鏡だった。
ギンガムチェックのミニスカートに白ブラウスの遠野さんも、薄く微笑んでいる。


「これは……、双眼実体顕微鏡ですか?」
 理科で中学校の頃に習った覚えがある。
 私の質問に、柳原先生は得意そうに言った。


「微生物の観察でもしたら面白いかと思ってな。家で埃を被ってたのを久しぶりに持って来たんだ。カッコいいだろう? このフォルム!」
 こだわりの一品らしく、先生は顕微鏡に酔いしれていた。


「お前の専攻は国語だろうに……。何でこんな日常生活に役立たないものを持っているんだ」
 東雲先輩の呆れに、私も雪男に訊ねた。


「これ、幾らぐらいしたんですか?」
「こいつは3万円ぐらいだな。そこまでスペックは高くはないが、ちょっと遊ぶにはこれで丁度いいんだ」


「へー……」
「見てみるか? 月之宮。さっき採取した湖の水で、ミドリムシを観察していたところなんだが……。けっこう可愛いぞ~」
 ……ミドリムシ。
 勧められるがままに顕微鏡に目を近づけると、小さな微生物がプレパラートの上に載っていた。気のせいか緑色がかっているように見える。


「……ミドリムシって、確か動物なのに葉緑体を持っているんですよね?」
 しばらく眺めた後に顕微鏡から離れると、私の言葉に柳原先生は頷いた。


「ああ。動物と植物のあいの子みたいな生命体だな。遠い昔に、ミドリムシの祖先が入り込んだ藻と共生するようになったのが起源とされているんだ。人間の体内にミトコンドリアがあるようなものだ。
最近では、綺麗な環境で増やして食う技術も確立されてきたみたいでな、これまた栄養価が高い未来食と話題に――――」


 べらべら喋っている柳原先生の声を聞き流しながら、私はもう一度双眼実体顕微鏡を覗き込んだ。
その微生物の姿が可愛いとは思えないけれど、なかなかにたくましい存在だとは感じる。


「……先生、ミドリムシって、……他の微生物を食べたりしたっけ?」
「おお、食べるぞ~。光合成でも栄養を補給することはできるんだけどな。自分より小さい単細胞生物を取り込んだりもするんだ」


「……勉強に、なりました」
 遠野さんは嬉しそうだ。


 私たちの近くにいた希未と蛍御前も、興味津々の態度を示す。
「先生~、私にも見せて見せて」
「妾も見たいのう……」


「いいぞ~。くれぐれも危ないから太陽は見ないようにな」
 特に蛍御前のはしゃぎ方はすごかった。この神龍は学校に通った経験がなかったようで、希未の指導の元に顕微鏡を興奮しながら操作していた。
やがて、賑わっている私たちの側に、鳥羽の下を離れた白波さんがやって来た。


「何をやっているんですか?」
「顕微鏡で微生物観察」


「え、何それ面白そう! 私にも貸してください!」
 喜々として食いついた白波さんに私が訊ね返す。


「鳥羽は何か釣れた?」
「うーん、小さいのが1匹……」


「へえ、すごいじゃない。確かこの湖って釣れないポイントなのに」
「そうだったの!?」
 ええ。そうなの。
 希未と蛍御前の手を離れるまで辛抱強く待機した白波さんは、ようやく巡ってきた順番に喜んで顕微鏡を使ってミドリムシを観察した。


「……細かくてよく見えないよぉ……。ミドリムシって、虫の仲間じゃないんですね」
 目を瞬かせる白波さんに、一同が笑いだす。


「そりゃ、微生物ですから」
「もうちょっと大きければよく見えるのに……」


「そんな無理難題を云ってないで、ピントを調節すればいいことでしょ――」
 ――ん? 何か嫌な予感。
白波さんの無邪気な発言に、気が付くと私たちは凍り付いていた。
 離れた場所でウキを睨んでいた鳥羽が、慌てて立ち上がった。その様子に、急いで湖へ視線を走らせると、次第にその水面がどんどん緑がかっていた!


「ヤバイ、アオコがどんどん増えていってやがる!」
 柳原先生の険しい言葉の通り、植物プランクトンが急激に大繁殖を始めていた。私がたじろぐのをよそに、その内の何体かがぐん、と怪物映画のように膨張していく。
 顕微鏡で観察した小さなミドリムシが、その姿そのままでマンションくらいの大きさに巨大化していた。




 きゃああああああああああああああああっ


 それに出くわした観光客の悲鳴が辺りにこだました。
幾体もいる巨大ミドリムシから逃れようと、人々は全力疾走で走り出す。
 東雲先輩は、そんな中で落ち着いた口調でこう言った。


「まずいですね……。ミドリムシは植物とも呼ばれていますからフラグメントの言葉に反応したのでしょうが、同時に動物の性質も持ち合わせています。
自分より小さい細胞に食らいつく習性も普段なら危害ではありませんが、今は僕たちの方があの巨大怪物より小さい多細胞生物というわけです」


「そんな悠長なこと云ってないで、早く湖にとり残された観光客を助けるのじゃ! このままではミドリムシに取り込まれてしまうぞ!」
「本来なら植物の神の云うことをきくものですが、この様子では暴走しているといっていいでしょう。白波小春如きの器では、やはり神の欠片を使いこなすことはできないようですね」


 湖の中でゆっくりと動いているミドリムシたちに、私は肌があわ立った。小刀で衝撃波を飛ばそうにも、飛距離が足りない場所がある。
水の属性の蛍御前でも有効打は放てないだろうし、松葉は別荘でふて寝をしていてここにいない。さりとて八手先輩は……。


「……やっとオレの出番が来たか」
 不敵に凄みのある笑顔を浮かべた八手先輩は、持ち歩いていた木刀を片手で真っ直ぐ構えた。そこから迸るのは己の力を振るえる歓喜だ。
漏れ出す妖気が、彼の足下から煙のように立ち上っている。


「――――ハッ」
 鋭く木刀から放たれた斬撃が、湖の縁から上陸しようとしていたミドリムシの身体を一部切り裂いた。
その剣技に見惚れていると、上空から鳥羽の声がした。


「おい、月之宮! 俺はあっちで戦ってくるから白波たちを頼む!」
 見上げると、空に黒いツバサをひろげた天狗が焦ったような顔をしていた。ようやく小刀を取り出した私が必死に頷くと、天狗はボートに乗っている観光客を助ける為に湖のど真ん中へ羽ばたいていった。


「希未! 白波さん、遠野さんも私の傍から離れないで!」
「いーや。月之宮。そこまで心配しなくても、教え子には一匹だって近寄らせないさ。お前さんも大人しく守られておきな」
 湖に浮いたミドリムシに向かって、柳原先生が口から冷気を送る。その場に足止め状態になって凍り付いたプランクトンたちを東雲先輩が跡形もなく燃やしていた。


「八重の手は煩わせませんよ」
 妖狐が手を動かす度に、炎の一線が水面に走ってアオコを燃やしていく。


「先輩……」
「所詮は微生物。僕の敵ではありません」
 青い炎が揺らめいた。
 遠くで、観光客に襲いかかろうとしていた巨大ミドリムシを鳥羽が細切れにしているのが目に入った。
その反応速度や技のキレといったら凄まじく、いつかの共闘よりも明らかにパワーアップしているようだった。何手も先を読んでカマイタチを使っていく姿は、疾風怒濤の勢い。
 感服するほどに天才的な戦闘センスだ。
 ……もしも、今の残留思念核が回復してきた鳥羽と戦ったら私は彼に勝てるだろうか?
その想像をしただけで、不意に私は恐れに張り裂けそうになった。


「やるのう……、あの天狗。1人だけで何体倒すつもりじゃ」
 蛍御前が感嘆の声を上げた。


「鳥羽君……」
 ポニーテールを翻しながら生き生きと戦闘に夢中になっている天狗に、何もできない白波さんが切ないため息を洩らした。
 活躍しているのは鳥羽だけではない。切断された巨大ミドリムシの欠片や、これから巨大化しようとしているミドリムシを渦巻く炎で消し去っていく東雲先輩も、ゾッとするような薄笑いを浮かべていた。


「柳原先生、湖全体を凍らせて足場を作ったりできないんですか?」
 私の言葉に、柳原先生は困った顔をした。


「すまん。そいつはオレだけじゃ無理だわ。せめてもう1人くらい氷系統の異能者がいれば話は別なんだがな」
「そうですか」
 ……ということは、しばらくこの地獄絵図は続くということだ。




「――異装、ヤイバ」
 霊力を解放した私は、無表情のままでこのミドリムシ退治の現場に参戦した。
 守られているだけでは、悪役令嬢わたしらしくないから。







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