悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆108 神龍の突発的な要求







 神龍がその要求を突き付けてきたのは、突然のことだった。
アンニュイなロックバンドのCDを聞いていた私の部屋に入ってくると、かんしゃくを起こすように叫んだのだ。


「妾はやしろが欲しい!」
 は?
 部屋の中に飛び込んでくるなりそう叫んだ蛍御前に、CDを聞き流しながらネット小説を読んでいた私は奇異な視線を向けた。


「……社ですって?」
「そうじゃ。どうもここの屋敷で暮らしていては神気の潤いにかけるのじゃ! どこか適当な場所の土地神から住処の社を奪ってくることはできんかのう?」
「無茶なことを云わないでください」
 とんでもないことを提案してきた蛍御前に、私は白い目を注いだ。
そのままCDのボリュームを上げてスルーしようとすると、蛍御前はヒステリーを起こす。


「略奪じゃ! はよう妾の為に買収してくるのじゃ!」
「そんな無駄なお金はありませんよ。社が欲しいのなら、自分の住処に帰ってください」
「頼む~、八重~っ」


 両手を組んで金の瞳を潤ませられても、無理なものは無理だ。神社を建てるには時間がかかるし、土地もない。この近辺の神社なんて聞いたこともないし……、
 そこまで考えたところで、私はふと気が付いた。
そうだ。この辺りには確か、東雲先輩が祀られていた廃神社が1つあったはすではないか。あの場所がどんな持ち主の手に渡っているかは知らないけれど、こっそり蛍御前を連れていくぐらいのことならできるかもしれない。
……これは、東雲先輩に連絡しなくちゃダメかな?


「………………」
 あの妖狐に自分から連絡をとろうとすることを思うと、少しだけ気まずい。仮にも告白をしてくれた相手だし、最近は一緒にいると心臓がおかしくなりそうな時があるのだ。
 だんだんアヤカシに惹かれていく感覚は、正直、辛い。
 いつかはその関係を自分から断ち切らなくては、拒絶しなくてはならないのだと思うと、余計に辛く感じることがある。
無言で悩んでいた私だけど、背後の蛍御前の圧力に負けて渋々スマホを手にとった。






 何度も言うようだけど、我が家は陰陽師の総本山のはずだ。
なのに堂々と月之宮家に顔を出した妖狐は、滅多にないほどに機嫌が良かった。


「まあ、男の子が八重ちゃんのところに訪ねてくるなんて珍しいこと!」
 玄関に現れた東雲先輩の姿を見た母が、嬉しそうに微笑んだ。おっとり頬に手をあてている。


「初めまして。三年の東雲といいます」
 私服でやって来た東雲先輩は、穏やかに笑みを浮かべる。我が家の廊下からそれを見た松葉が、迷わず威嚇した。


「ここはボクのテリトリーだぞ! お前なんか来なくていいから、早く回れ右して帰ってよ!」
「僕は八重に呼ばれたんですよ。ただそこに居るだけの無能なお前とは違って、ね」


「あらあら、松葉ちゃんったら東雲君と交流があったの?」
 2人の間に吹き荒れる大寒波に気付いているのかいないのか、母が呑気なことを言った。
 私がぎこちなく笑いながら玄関先に立っていると、東雲先輩が紙袋を手渡してきた。


「これは手土産のロールケーキです。花でもいいかと考えたんですが、八重はこういうものの方が喜ぶかと思って」
 実利的な私の性格が見抜かれている。
 渡されたギフトからは、僅かに甘い香りがした。


「まあまあ、まあ! 娘のためにわざわざご丁寧にありがとうございます。ささ、どうぞ上がってちょうだい」
 母が瞳を輝かせた。東雲先輩を捉えたこの感じからすると、お眼鏡に叶ったらしい。


「いえ、どうやらこれから八重と出る用があるみたいなので、僕はここまでで結構です」
「本当にしっかりしてるわねえ……」
 ため息をついた母に、東雲先輩が笑顔を向けた。その時、リュックサックを持って廊下から駆けてきた蛍御前がひょっこり現れる。


「準備はできたかの? 東雲!」
 ぱあっと花咲くような笑顔を浮かべた神龍に、東雲先輩は苦笑した。


「どこまでお助けできるかは分かりませんが」
「まあ、小難しい話は後じゃ! 八重もほら、早く神社に向かうぞえ!」
 下駄をつっかけて玄関から飛び出した蛍御前に、私は乾いた笑みを浮かべる。そのまま雨傘を掴むとスニーカーを履いて外に出かけようとした私に、母がそっと囁いた。


「すごくカッコいい人ね、東雲君。こんな男の子を虜にしちゃうなんて流石私の娘だわ。この子なら、八重ちゃんの旦那さんになっても私は全然OKよ!」
「ちょっと、何云ってるのよ!」
 私の反発にも関わらず、母はニコニコしている。
 何を言ってもダメだと思ったので、私はこみ上げてくるものを呑み込んで屋外に出た。
庭先の空は分厚い雲に覆われて、今にも雨が降り出しそうだ。湿気た空気が鼻の奥につんと匂ってきて、なんだか不安な心境になる。


「さて、と。すぐ近くですし、歩いて行きましょうか」
 東雲先輩が微笑むと、私の後を追ってきた松葉が嫌そうな顔になる。


「なんでお前が仕切るんだよ!」
「へえ、不満か?」
「偉そうに云われなくたって、どうすればいいかぐらい分かってる!」
 そう言った松葉に、蛍御前は荷物を押し付けた。


「そうか。それは好都合じゃの。そこまで云うのなら、この菓子でも持ってくれ」
「え、ちょっと……!」
 戸惑った松葉に赤いリュックサックが渡される。意外にも大きなサイズだったので、すっぽりとカワウソの顔が隠れてしまった。


「うん、実にちょうどいい荷物持ちじゃな」
「こんなに何持ってきたんだよ!」
「じゃから、菓子だというておろう。社で広げてみんなで食べるのじゃ」
 蛍御前は松葉に鼻で笑う。この神龍は、ピクニックでもしたかったのかしら?
いまいちこの神様のしたいことがよく分からないけれど、ひとまず廃神社に行ってみれば何か分かるのかもしれない。
 歩き始めた東雲先輩を追いかけると、彼は嬉しそうに告げた。


「まさか、この夏休み中に八重から本当に連絡が貰えるとは思いませんでした」
「……ちょうど、用事があったので」
 少し不愛想に返事をしたけれど、東雲先輩はそれでも笑顔だ。


「八重の自主的な行動だというところが、僕には嬉しいんですよ」
「蛍御前がうるさかっただけですから」
「分かってますよ」
 ……絶対に、私の言いたいことは伝わっていない気がする。


 妖狐は眦を緩めながら、こんなことを喋った。
「例えば、君は春の時点では決して僕に話しかけようとしなかったでしょう。遠くから警戒して、姿を消してしまいました」
「だったら、何なんですか」


「それなのに、今回は君から連絡をくれた。これは大きな進歩ですよ。分かってますか?」
 それを指摘された瞬間、私の頬がカアッと赤く染まった。
気付かないうちに、自分はこの妖狐を内輪に受け入れていたということだ。


「な、な……」
 私の動揺にも関わらず、東雲先輩はこちらに優しく笑いかけた。


「……それに、今だってこんなに可愛い態度を見せてくれている」
「そういうことは白波さんに云ってください!」
 可愛いとか、剣を振り回す私にそんな言葉は似合わない。


「そういってはぐらかさないで、八重」
 東雲先輩の攻勢に私がしり込みしていると、荷物を抱えた松葉が苛立って叫んだ。


「狐に惑わされるぐらいなら、八重さまはもうそいつと離さないで下さい!」
「……惑わすだなんて失礼なことを云うな。僕はいつだって八重には誠意を示している」
「だから余計に鬱陶しいんだよ!」
 松葉の怒気に、私は身を竦ませる。今は人間に従っているとはいってもこのカワウソは立派な大妖怪で、発露されている妖気は酷くとげとげしい。
 もう余計なことは言わないでおこう。
 口を控えた私は、機嫌悪く勇み足になった松葉から視線を逸らした。







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