悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆99 女は愛するより愛された方が幸せ





 二手に分かれて乗ったヘリコプターは、大きな音を立てながら本州を離陸した。なんとなく鳥羽や白波さんと一緒に乗るのに抵抗があって、私は蛍御前や希未と一緒のヘリを使った。当然のように松葉や東雲先輩もこちらについて来たので、ちょっといつもではあり得ない組み合わせになる。


 ヘリの内部は希未の噛んでいるスルメの臭いで充満していて、それに松葉は嫌そうな顔をした。


「お前、ちょっとは周りのこと考えたら? このヘリコプターがスルメの臭いで一杯になってんじゃん」
「えー、八重は迷惑だって言ってる?」
 希未に目を合わせられた私は、静かに苦笑した。……まあ、私としては別に構わないんだけどね。


「ほら、大丈夫だってさ」
「八重さまが優しくても、常識的にあり得ないだろ!」


「このカワウソ、ただ私に文句つけたいだけなんじゃないの? 頭を下げるならこの美味しいスルメを分けてあげてもいーけど?」
 希未の清々しいほどの上から目線に、松葉のこめかみが引きつった。2人の会話を聞いていた東雲先輩はにっこりと笑顔で、
「まあ、常識的にはこういう密閉空間でスルメを食べているのはどうかと思いますけどね……ですが、カワウソ相手の嫌がらせならどんどんやりなさい。見ていてスッとします」


「東雲先輩、ありがと~」
「いえいえ」
 東雲先輩と希未のやり取りに、松葉が盛大に嫌そうな顔をした。


「八重さま! こいつらの性根は腐りきってますよ! なんでこんな女と友達なんかやってるんですか!」
「……成り行きかしら」
 そう簡単に友達を増やすような性分でもないけれど、希未にはいつの間にか鉄壁のガードをすり抜けられてしまったのだ。私が目を逸らすと、松葉は尚も食い下がった。


「こんな女とはとっとと縁を切っちゃいましょうよ! ボクがいるから寂しくなんかないし、むしろそうすればボクとの時間や密着度も増えるくらいで……うわボク、天才じゃね?」
 不埒な表情で頬を赤らめた松葉に、希未が手で追い払う仕草をした。


「天才なんかじゃないし、アンタの存在自体が目障りだから。八重の汚点だね」
「全く同感ですね。八重の優しさに付け込んだ小蠅は自分の立場を自覚したらどうなんです」
 東雲先輩は青い目を座らせた。


 彼らのやり取りに、蛍御前は面白そうな顔をする。そして、ちょっと慎ましやかに会釈をしてみせた。
「知っておるとは思うが、妾は八重のところに滞在している蛍御前じゃ。そなたたちは、皆アヤカシの正体ということで構わないのかの?」


 蛍御前の言葉に、妙な空気が流れる。苦笑した希未が、ツインテールを振って否定した。


「いや、私はどー見えたか知りませんけど八重の親友ってだけで普通の人間ですから。あとの2人は知りませんけどね!」


 蛍御前は不思議そうに首を傾げた。
「ほう、そうかの。それでは、松葉と残りの金髪の男がアヤカシなのか。皆も知っておろうが妾の正体は……」
「神なる水龍ですよね。勿論聞いていますとも。僕は九尾の狐の東雲椿です。どうぞお見知りおきを」
 東雲先輩のやんわりとした言葉に、蛍御前は睫毛を瞬かせた。


「むう……先に言われてしもうたわ」
「お言葉を奪ってしまったようなら、申し訳ありません。あなたのような高貴な方とお会いできて光栄に思います、蛍御前」
「ほう! 妾からにじみ出る高貴さが伝わっておるのか……、ほう、ほう、ほう!」
 むふふ、と蛍御前が口端を緩めた。明らかに彼女は有頂天になっており、私は東雲先輩の態度にちょっと引いた。……誰よ、この人。こんな先輩を見たことがない。


 蛍御前は、長い自分の髪を振り払って笑みを作った。
「もしも見当違いなら別にいいのじゃが……、そこの九尾はもしや八重に気があるのかの? この娘は妾の友人も同然の待遇を受けておる身でな……良かったら聞かせてたもれ」
 友人も同然の待遇っていうか、ただのしもべにされてるように思うんだけど。蛍御前の言葉に、希未がぎょっとした。


「八重……、ちょっと八重! いつの間に神龍となんか友達になってるわけ? 私、全然聞かされてなかったんだけど……」
「いや……その、蛍御前の中ではそうなってるだけっていうか……」


「八重の一の親友が私であることは疑ってないけど、そんなんで大丈夫なの?」
 大丈夫かどうかは分かりません。
 私の引きつった雰囲気で希未もどこか察したらしい。くちゃくちゃスルメをかじりながら、小袋の中身を差し出してきた。


「まー、八重も食べなよ。今日はまだ長いんだし」
「……ありがたく頂くわ。私、キシリトールガムを持ってるから後で一緒に食べましょうね。希未」
「あれ食べると、なんかスースーするんだよ……」
 私と友人のやり取りに、東雲先輩が肩を竦めた。


「見事に僕のことを忘れてくれていますねえ……。ああ、ご質問の答えですが、僕が昔から一方的に八重のことを好きなんですよ。八重からもそうなってもらえたら幸せなんですけどね」


「ふーん、そうか。……で、そこのカワウソも八重のことが好きなのじゃな。忘れておるようじゃが、この娘は陰陽月之宮家の生まれぞ。その姫に手を出すということがどういうことか忘れておるのではないか? いつか親族から報復にあうかもしれんぞ?」


「ボクが八重さまのことが好きなのはもうしょうがないじゃん! でも、八重さまが心の綺麗な陰陽師だからボクは初恋に巡り会えたんだ! だからもう、そこはマイナスになんか思ってないし!」
「僕は八重が陰陽師の生まれだということは忌々しく思っていますよ。それさえなければ、こんなに僕らが回り道をすることもなかったわけですから。そのカワウソが式妖として八重の傍に居ることもないわけですし」
 アヤカシ2人の全く違った回答に、蛍御前はふむ、と頷いた。


「そうさの。何も感じない方がおかしいのじゃ。アヤカシと陰陽師というのは見て分かりやすい障壁じゃし……、当人たちが良くても周囲が八重という存在を手放してくれるかが問題じゃ。霊力があるからといって人外の世界に迎えるには、反対するものが居てもおかしくはない。
――それさえなければ、すぐにでも人間社会からさらってしまえるのじゃろう?」
 蛍御前の不穏な言葉に、東雲先輩は凄みのある笑顔を向けた。会話を聞かなかったことにしようとしていた私は、その気配にぶるりと震える。希未が背中をさすってくれて、蛍御前に反抗した。


「ちょっと! 八重を怖がらせるようなことを云わないでよ! 浚うだのなんだって……これだから人外は!」
「それは悪かったの。じゃが、場合によってはそちらの方が生きやすいかもしれぬぞ? 勝手気ままな人外の世界は普通から逸脱しがちな霊能力者の肌に合うかもしれぬ。保守的な只人の偏見に振り回されることもないし、自分の気持ちを誤魔化すこともせんでいい」


 ヘリコプターの暗がりの中から聞こえてくる蛍御前のセリフが、胸にのしかかってくるようだった。その誘惑は私の闇をくすぐって、それが少しだけこたえた。


「行きません……、私は人外になんてなりません!」
 つまんでいたスルメが、指先からすり抜けた。他でもない私がこう言ったことが、神龍には意外だったらしい。


「……なんでじゃ? そなたには力がある。その神通力の使い方次第では、そなたはもっと自由になれるかもしれないのに?」
「私は人間です。月之宮の化け物かもしれないけど、だからこそ人間の社会で普通に生きていたいんです」
 なるべくハッキリと答えた。私の肩を抱いた希未が優しい表情をする。ささやくような声で私を見つめてきた。


「いいんだよ、八重。やりたいことはそうしたいって言っていいの。我慢する必要なんかない。私はどんな八重でも友達だし、いくら神様の誘惑だって言いなりになることなんてないって」


 それはそれで結構過激な慰めだと思う。社会や周囲の迷惑になるような、誰かを煩わせてしまうような発言は口に出すだけで罪なのではないだろうか。


誰かの足を引っ張るようなことはしたくなくて、みんなのいい子でいる時間が長いほどに孤独に弱い自分が誤魔化せるような錯覚に陥っていく。


ましてや人間には嫌われたくなくて、守らなくちゃダメな存在で、私は彼らに支配されているのかもしれなくて、その為だったらいくらでもアヤカシの肉体や関係を傷つけることができるだろう。


自分の心も殺害できて、間違いだって正当化することができる、かもしれない。
……それって、カワウソと手を組む前の遠野さんの状態とどこが違うの?




「八重、自分を化け物だなんて云わない方がいいですよ。そうでないと、本当の化け物である僕らはどうしたらいいんです」
 東雲先輩は浅く息をついた。私の落としたスルメの食べ残しを拾うと、ゴミ箱の中へと放り投げた。綺麗な弧を描いたそれはゴミ箱に着地する。
「君は化け物というには美しすぎる」
 苛立ちながら東雲先輩は言った。私は呆けたように、その言葉を受け取った。


 美しすぎるって……、ええ!?


「な、そ、お……」
 なんだって、そんな、大げさな。その頭文字だけをもごつきながら発声した私は頭がパニックに陥った。
 今まで褒められたことはあっても、ここまでストレートな言葉はあっただろうか。東雲先輩の不機嫌な眼差しはどこまでも青くて、それが正直なセリフだったことを伝えてくる。
……この人が私を好きだというのは、本気なのだ。
 今まで目を背けていたことを自覚した途端、鳥肌がたった。これまで意識していなかった身体の距離とか、密閉空間とか、相手と自分の吐息とかで胸が一杯になって、途方もない恥ずかしさが自分に襲いかかった。
 東雲先輩への捨てたはずの恋心が微かな存在を主張するように疼くのが分かった。


「……みんなで妾を悪者のように扱いおって……」
「そう簡単に、八重さまが陰陽師の連中と縁を切れると思わない方がいいって。ボクは少なくとも側に居られるポジションだから問題ないしー」
 ふてくされる蛍御前に、松葉がぎゃは、と笑った。水色の髪をした神龍は、私の姿を目視して首を捻る。


「どうしたんじゃ、八重。いきなり頬を赤くしおって……」
「え!? そ、そんなことないし……」
「いやいや、その顔はどう見ても…………」
 そうして何かを続けて言おうとした蛍御前は、ポカンと口を開けて目を丸くした。そうして、私の赤面から憮然とした東雲先輩の姿に何度か視線を移すと、そのままニヤニヤとしだした。


「なんじゃ。そーいうことかの。九尾ならあのスカした天狗よりよっぽど良さそうな縁組ではないか」
 小声でみんなに聞こえないように呟いた蛍御前は、八重の未来を思ってにんまりとした。


「女は愛するより愛された方が幸せというしのう……」
「?」
 蛍御前のたちの悪そうな雰囲気に私が訝しく思うと、彼女は幼い笑顔に金の瞳をくるりと輝かせた。









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