悪役令嬢のままでいなさい!
☆95 現代のハレの日
きっかけになった松葉がモグラを捕まえてきたくだりから、それを畑に逃がしたこと。入浴中に蛍御前がやって来たことや、彼女が強引に我が家への滞在を決めたことまで話し終えると、少しだけ精神的に落ち着いた。
とにもかくにも、これらの出来事は私1人で抱えるには大きすぎて、随分なプレッシャーになっていたらしい。
「……お前って奴は……なんで、早く俺たちに報告しないんだよ!」
話を聞くうちにだんだん顔が険しくなってきた鳥羽が、私に向かって開口一番に吠えた。思わず私の首がきゅっと竦められる。
「まー、まー。鳥羽! 八重にも悪気があったわけじゃないし……」
番茶を飲み終えた希未が鳥羽を宥めようとする。白波さんは頭がショートしてしまい、真っ白になっていた。
「悪気があるとかないとか、そういう問題じゃねえ! 情報を共有しておかないと、もしも神龍が暴れたときに月之宮だけじゃ抑え込めねえじゃねーか!」
「――情報の共有って、鳥羽……。よりによってアンタが云えることだっけ?」
そう言った希未がしらっと冷たい目になった。魔法陣の謎が解けた途端にたった1人でカワウソを倒しに特攻した天狗の前歴のことを指摘したいようだ。
「……あの時は月之宮が戦力になるって知らなかったんだよ」
「あっそ。で? 八重に勝てない相手が自分になら倒せるとでも思ってる訳?」
希未の容赦のない言葉に、鳥羽が渋面を作った。
「俺は思念核が傷つく前ならそれなりに強かったんだ」
「何それ、信用できなーい」
口でなら何とでも云えるしい。と希未がイヤミったらしく語尾を伸ばす。ちょっと蔑んだような目をしていて、なんていうか……無能を見るような感じの雰囲気だ。
「何もできないただの人間は黙ってろ」
「えー、口ばっかの鳥羽よりはマシだしぃ。常人の私だって八重の手助けはできるもん。ね?」
希未にそう振られ、私は曖昧に頷いた。明るい茶髪のツインテールが左右に揺れている。先端のカールがくるりと回転した。
「てめえ……。結構言うじゃねえか」
無能呼ばわりされた天狗が忌々しそうにしている。喧嘩でも勃発しそうな彼らの雰囲気に、我に返った白波さんが慌てて口を開いた。
「こ、ここで喧嘩しても何にもならないよ! それより、これから先にどうするかを決めた方がいいって! 相手はすっごく偉い神様なんだよ?」
無意識に鳥羽の着ているワイシャツの裾を掴んで静止している。きっと松葉の一件で『そういう類のモノ』に苦手になっていてもおかしくないというのに……、随分とまあ前向きな発言である。トラウマを覚えていられないほどにバカなのかもしれない。
「この街から追い出すことはできないの?」
希未が呟いたので、私が平淡に答えを返す。
「……それは無理ね。戦力も足りないし、松葉の時のような都合のいい異世界でもない限り、戦ったら周囲に甚大な被害がでてしまうもの」
「無茶苦茶に強かった東雲先輩とかさぁ……」
「あの人だって、今度は勝てるかどうか分からないじゃない。生まれついての神様だって言ってたし……相手はその、伝説の『龍』なのよ? この街が怪獣大決戦になっちゃうじゃない」
神龍がどれくらい強いかは見たことはないけれど、沢山の伝承が残っているから話に聞いたことならある。大岩を破壊したとか、雷を落としたとか、空を舞ったとか……。それを想像するだけでも、蛍御前との戦闘はなるべくなら回避したくなってしまう。
「でも、今回の件は東雲先輩にもちゃんと相談するんだよ? 八重! 逃げたら承知しないからね!」
「……分かったわよ」
潜在意識の内にあの妖狐を避けたくなっているのが、友人にはしっかと見抜かれていた。私は思わずしかめっ面になる。……ハッキリ言って、すごく憂鬱だ。
白波さんが、私の表情を見ておずおずと喋った。
「あの……月之宮さん? 東雲先輩は、そこまで悪い人じゃないと思うよ?」
「そうかしらね……」
腹黒さしかないと思うのだが。
「その神龍さんは退屈しのぎをしたいだけなんでしょ? ちょっと怖いけど、何かみんなで考えて楽しませてあげればいいと思うんだけど……」
いや、『退屈しのぎ』って言葉の時点で物騒さを感じるのは気のせいかな?
白波さんからの提案に、みんなは死んだ目になった。
「じゃあ、白波ちゃんは私たちに神様の奴隷になれって考えてるんだ」と希未。
「ええ!?」と白波さん。
「私たち、蛍御前に飽きるまで遊ばれるのね……」と私。
「それって、すんげー嫌だな」と鳥羽。
一同、互いの顔を見合わせてため息をついた。だんだん各々に諦めという感情が到来しつつある状態で、私は昨日からうっすら考えていたことを口にした。
「この近辺を観光に巡るのなら、遊園地はどうかなってちょっと思ったんだけど……」
あの人ごみに蛍御前を連れ出そうなんて自殺行為だろうか。
鳥羽が意外そうな顔になる。
「遊園地? どっかアテでもあるのかよ」
「月之宮と日之宮で経営している遊園地があるわ。クリスタルレインっていうテーマパークなんだけど、知ってる?」
「クリスタルレインねえ……」
あんまり聞いたことないのかしら?
微妙そうな鳥羽に対し、白波さんがぱあっと顔を明るくした。後光が指したかのようだ。
「私、そのテーマパーク知ってます! お金持ちしか入れない遊園地で、一日券だけで4万円もかかるの! 確か、東京近海の無人島にあるって聞いた事がある!」
「全く近くねえじゃねえか! どこがこの『近辺』の観光だ!」
白波さんの言葉に鳥羽が全力でツッコミを入れる。私は、不思議そうにみんなを見た。
「関西に行かないだけまだマシじゃない?」
「八重はお嬢様だからいつも高速ヘリコプターで移動してるからそう思うんだ……。庶民にとって無人島は全然近くないんだよ……」
希未が自分の頭を押さえた。お目めをキラキラさせた白波さんが、興奮したように身を乗り出す。がっしり私の両手を掴むと、こうまくしたてた。
「私、みんなでそこに行きたい! お願い、月之宮さん! そこに連れていって!」
「お前は単に遊びに行きたいだけだろ!」
呆れた鳥羽が息を吐くと、白波さんの後頭部をバシンとはたいた。富里産のスイカのような音が鳴る。中身が詰まってるかどうかは判断しかねるけど。
「……貸しきった方がいいかしら?」
「東雲先輩に聞いてみろ。俺はもう何も云いたくない気分だ」
どうやら、このメンバーで遊園地に行く流れになっているらしい。本当にこれでいいのか迷いながら視線を動かすと、希未がバッと手を挙げた。
「どうせなら、みんなでデートした方がいいと思います!」
何を突拍子もないことを真顔で宣言しているんだ、この友人は。周囲の反応を確認することもなく、希未はリストアップしていく。
「まず、鳥羽と白波ちゃんは確定でしょー。あとは、東雲先輩と八重。柳原先生に、遠野ちゃん。このメンバーでデートするってのはどう?」
「……その場合、松葉と希未が組みになると思うんだけど」
私が何とも言えない気持ちで反論すると、希未は盛大に嫌そうな顔をした。
「うげっ、なんで私とカワウソでデートすることになるのさ! それくらいなら、神龍の相手をしてた方がまだマシだね!」
ついでに、八手先輩と夕霧君が勘定に入っていないけれど、それはいいのだろうか。……まあ、蛍御前はすぐにボロを出しそうだし、何も知らない夕霧君が除外されるのも無理はないか。八手先輩がどうするかは分からないけれど、何だか嫌な予感がする。
「なんで俺と白波がデートすることになるんだよ」
天狗は天狗でそうつっけんどんに言った後に、小さな声で「……ま、行ってやらないこともないけどな」と付け足していた。心を動かされたのは明白でただのツンデレだった。
遊園地に行くのは間近に迫った終業式の翌日と決めたところで、授業が終わる鐘が鳴った。戻ってきた保健の年老いた先生によってみんなは追い出され、私は全ての授業が終わるまで簡易ベッドの中でずっと眠っていた。
途中でクラスに戻されるかと思ったけれど、普段からマジメな私には学校側も案外優しくて、すっかりそれに甘えてしまった。もしかしたら、月之宮家の娘だから温情措置があっただけかもしれないけれど。
終業になると、何故か私を迎えに来たのは学年が違うはずの東雲先輩だった。希未から連絡を貰ったらしい。
「倒れたんですって? 栗村さんから報告を貰って驚きましたよ。八重」
襟足にかかった白金の髪をした妖狐は、いかにも憂い顔で現れた。ブルーの瞳が陰っている。
いつもの美麗な見た目も手伝って、胡散臭さが抜群だった。
「まあ……はい」
「どうやら面白いことに巻き込まれているようですねえ……。一番に僕に相談がなかったのは実に不愉快ではありますが」
東雲先輩は目が笑っていないまんまで、自分のスマホを見せてきた。どうやら、アドレス交換をしたのに活用されなかったことに苛立っているらしい。
「文明の利器も使わなければただの金属の塊ですよ」
「その……ごめんなさい」
あれ? 私、なんで謝ってるんだろう?
妖狐は静かにため息をついた。
「……あの、東雲先輩って希未と仲がいいんですか?」
「よく情報提供をしてもらっていますよ。彼女は僕の偵察係みたいなものですから」
「ちょっと待ったーーーーっ!」
いつの間にか友人が買収されてやがった!
「まあ……利害が一致する限りは仲がいいんじゃないですかねえ……」
「どーいうことになってるんです!」
「どーいう関係かって……君のことが好きな者同士で結託しただけですよ。栗村さんは女の子ですから、恋愛的な意味では大切にできないでしょう」
東雲先輩は意味ありげに視線を動かすと、クスクス笑い始めた。
「意外に元気そうで安心しました」
そのまま、穏やかに微笑まれる。そのスマイルを受けて、私はしどろもどろになった。
「えっと……、その……、」
「無理に喋らなくても結構ですよ。ご友人から伝言です。『東雲先輩はそこまで悪い人じゃないから、ちゃんと相談に乗ってもらうように!』……だそうで」
「…………!」
策士な希未のてへぺろ顔までが頭に浮かんできた。わけもなく怒りが湧いてくるが、それをぶつけられる相手がいない。このまま部活に行こうかとも思ったけれど、とてもそれができる体調ではなかった。
「大体の事情は、もう鳥羽から聞きました。月之宮家にやって来た神龍のことも、夏休みの最初に遊園地のある無人島へ行くことも」
「……あの、そのことなんですけど……」
これは、やっぱり聞くべきか? 先輩も折角ここまで来てくれたんだし……。
「その日の遊園地って、無人の貸し切りにしてしまった方がいいんでしょうか? 他のお客さんに危害が及ぶんじゃないかって怖くて……」
「そうですねえ……」
東雲先輩は悩ましげな表情になる。
「それは、止めておいた方がいいでしょう」
「どうしてですか?」
「遊園地という場所は、現代のハレの日だからです」
……ハレの日?
「神というものは、大概の場合にして祭りというものを好むものです。それが大きければ大きいほど彼らは喜びます。現代の遊園地というのは、それに当てはまるといって差し支えないでしょう。
八重は、誰もいない祭りに存在意義を感じますか?」
「……いいえ」
「でしょう? だったら、やはり他の客もいた方がいいのではないでしょうか。……安心なさい、何かあったら止めに入れるように僕も一緒に行くことにしますから」
いつにも増して頼れる大人の発言だった。見た目は高校生でも、とっくに成人している東雲先輩は私よりも色々なことの器が大きい気がする。
「それに、八重とのデートというのも珍しくて魅力的ですからね」
私は、黒く笑った妖狐に少々引いた心地になる。
「そこはバッチリ忘れてくれて構わないんですけど」
「実に楽しみですねえ」
結局、自分も楽しむ気満々なんじゃないか。真剣に悩んでいた私は何だったんだろう。心の底から願ってやまないのは、遊園地当日の色んな意味での身の安全だ。
――夏の日差しが、ゆっくりと暮れていく間の会話だった。
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