悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆94 神経性胃炎





「うぷっ」
 気のせいかと思っていたけれど、やっぱり気のせいじゃない。ずっと張りつめていた精神が学校に辿りついたことで緩んでしまったらしい。キリキリした胃痛のせいで、吐き気まで催しかけている私は、堪えきれずに授業中に手を挙げた。


「……おー、どうした? 月之宮」
「先生……、お腹が痛いので保健室に行って来てもいいでしょうか」


「そりゃ大丈夫かい?」
 黒板の前でチョークを持った柳原先生が眉を潜めた。それに作り笑いを返すと、私はふらつきながら椅子から立ち上がる。


「誰か付き添いでもいるか?」
「いいえ……、1人で大丈夫です」
 可愛げのない自分。誰かに頼ることに慣れない私。


 隣の席にいる鳥羽は振り返ることもなく、己の席で爆睡している。その寝顔はいかにも幸せそうで、明け方の悪夢の片鱗はどこにも見えない。
もしも保健室に向かうのが白波さんであったのなら……、彼は率先して手助けしようとするだろうに。
 一方通行の想い。
悪役令嬢の私は、決して鳥羽のヒロインになることはないのだ。


「……先生! 私が付き添ってもいい?」
 単調な講義の最中、気だるそうにノートに落書きしていた希未がガタリと立ち上がった。私と目と目が合うと、ニヤッと口端が動いた。


「わ、私も! 私も月之宮さんに付き添いたい!……です」
 なんと、白波さんまで立候補してきた。そろそろと手を挙げようとしていた遠野さんが腕を引っ込める。少しだけ悔しそうな顔をしていた。


「じゃあ、栗村と白波。保健室まで月之宮を連れて行ってくれ。随分と顔色が悪いから、むりするんじゃねーぞ。月之宮」
 柳原先生は首を傾げると、心配そうな顔で手をひらひらと振る。いつでも出て行って構わないということらしい。鳥羽は相変わらず昼寝に沈んでいる。アンタはとっとと起きなさいよ。
 この授業態度で主席をかっさらおうっていうんだから不遜にもほどがあるというものだ。がり勉派の私としては呆れるしかないわね。


 なんだか、目の前が歪んでいるような気がする。ぐらぐら……。


「嫌だ! ――ちょっと、八重!?」
 席を立った私に、大きな目眩が襲いかかる。意識しない間にストレスが積み重なっていたのか、あっという間に視界は暗転し、ふつりと意識がとんだ。
 有り体な言葉でいえば、私は気絶をしたのだ。






 ……ふと気が付くと、誰かにおぶわれた状態で私は目を覚ました。どこかに向かって運ばれているようで、景色がゆっくりと流れていく。
 私を背負っている人物は一体誰なんだろう。
 意識は失っていたけれどそれほど長い時間は経過していないはずだ。体感的には、3秒も経っていない感じがしている。


「…………?」
 柳原先生……ではない。目の前の後頭部は黒髪をしていて、グレーの髪ではないからだ。さらりと長いポニーテール。銀色の組み紐で結われている。
これまでちゃんと観察してこなかったけれど、この結わい紐は細い幾つもの繊維が加工されてできていて、誰かの手作りかもしれない。


「………………とば……?」
 月之宮八重をおんぶしているのは、隣の席にいた鳥羽だった。これでは表情が見えないけれど、どうして鳥羽が私を運んでいるのだろう。近くには希未と白波さんがいて、2人とも私の漏らした声を聞きつけて顔を明るくした。


「あっ 月之宮さん、目が覚めたみたい!」
 長い睫毛を瞬かせた白波さんがカラメル色の髪を揺らして、ニコッと笑いかけた。どこか人を安心させる笑みだった。


「八重~~! 心配したんだからね!」
 希未が腰に手をあてて、ぷんすか怒っている。キレるというほどではないけれど、わざとらしく頬を膨らませてみせた。


「ごめん……、その……」
 この態勢は、すごく恥ずかしい。授業中なので人通りがないのがせめてもの救いだ。


「謝るんじゃねえよ」
 仏頂面を想像させるような、鳥羽の声がした。


「陰陽師のお前でも、倒れることがあるんだな。すっげー意外だわ」
「わ、悪かったわね……!」


「もっと鋼のような女だと思ってた」
「冷徹って云いたいわけ!?」
 思わずかっとなると、鳥羽がゲラゲラ笑いだす。


「普通の女は剣で衝撃波なんて出さねーからな。白波ならともかく、まさかお前が倒れるとはねー」
 その無遠慮な言葉にちょっとだけ傷ついた。脈なしどころか女とすら思われてないなんて。


「ま、たまには俺たちを頼ってもいいんじゃないか? そんなに悩み事抱えてるくらいなら、吐きだしちまえって」
「な…………っ」
 見透かされたセリフに、動揺を覚えた。思わず反射的に鳥羽の首を抱きしめて密着してしまう。


「なんでそんなことが分かるのよ……」
「バレバレだっつーの。朝から妙にピリピリしてるし、眉間にはシワが寄ってたしな」
 ハッと鳥羽が笑った。


「後、お前、あんまり密着すんのは止めてくれねえ? その……なんだ、月之宮の胸って結構でかいだろ? さっきから俺の頭に当たってるんだよ。そういうのは好きな奴にでも楽しませるものだろうし」
「はぁ!?」
 鳥羽のアケスケな言動に、身を引きながら私は絶句した。急速に脈拍が速くなっていく。
 好きな奴にでもって……!


「クックロビン、アンタって最低だよ――」
 希未が冷やかな目線を天狗に送った。そして、真顔でこんなことを云い放った。




「――八重の胸は東雲先輩のものなのに!」


「えっ、そうだったの!?」と、白波さんがぎょっとした。
「違うから!」と、私が反射的に否定する。
 突拍子もないことを云わないで欲しい。やけに東雲先輩をプッシュしたいようだけど、それは希未の勝手に過ぎないのだから。


 私はアヤカシとは結婚できない立場だし、好きにもならないって決めたのだ。鳥羽の首にまわしていた私の手が震えた。ショックを受けたわけではない……と思う。


「あーそうかよ」
 鳥羽の低い声がする。彼の匂いに包まれながら、その背中で私は睫毛を伏せた。
 あんな悪夢を見た後だというのに、どうしてこんなにも――。鳥羽と一緒にいることで私は安心してしまうのだろう。
 ただの同級生クラスメイトの範疇を超えそうなほどに。






 私立慶水高校の保健室に到着すると、鳥羽は私を白い簡易ベッドに降ろした。安いスプリングがきしみ、花柄の掛け布団にお尻を乗っける。
 辺りを見渡した希未は、唇に人差し指をつけた。


「保健の先生、どっかに居なくなっちゃったみたいだね~。誰もいない空っぽだわ」
 どうしようか?と希未が肩を竦める。


「月之宮さん、胃炎って言ってたよね?」
 白波さんが薬戸棚にあったビオフェルミンの瓶の外箱を確認しながら呟いた。鳥羽が呆れたため息をつく。


「……整腸薬で胃炎が治る訳ねーだろ! このバカ!」
「ええっ 家では具合の悪いときはなんでもこれ飲んでるよ!」
 ビオフェルミンはエリクサーではありません。


「ほら! 八重! とりあえずこれでも飲んでみたら?」
 希未が無断で胃炎の薬瓶と水の入ったコップを取り出して持ってくる。ありがたいことは確かなのだけど、先生の許可をとっていないことに若干の不安を感じた。


「これって勝手に飲んじゃっていいのかしら……」
「そんなこと気にしてる場合!? 失神するくらい痛いくせに、胃に穴が開いたら大変なんだよ!?」


「う……分かったわよ」
 希未の迫力に押され、吐き気を感じている私は素直に何錠かの薬と水を口から呑み込んだ。それを眺めた希未が満足そうな表情になる。
 近くの設備を確認していた鳥羽が、顔を上げてこう言った。


「おい、ここにあるポットから茶が飲めるみたいなんだけど、月之宮と栗村は何か飲むか? まあ、インスタント珈琲は止めておいた方がいいと思うけどな」
「じゃあ、オレンジジュース出してよ」


「……栗村。俺はドリンクバーでもないし、四次元ポケットも持ってないからな?」
「にしし、八重は白湯で、私の分は適当に淹れておいてよ」
 勝手に決められた。
まあ、異存はないから別に構わないけれど。


 オカルト研究会のお茶くみ係である白波さんが、手慣れた手際でみんなの飲み物を準備していく。それをやりながら、ポットの温度表記を眺めて不思議そうに呟いた。
「これってなんで98℃なんだろ? 100℃の方がきりがいいのに、いつ見ても98℃なの」


「耐久性の問題だろ。白波は98℃設定で不便を感じたことがあるのか?」
「カップラーメンとか……」
「98℃でも作れるから安心しろ」
 白波さんの可愛い頭が鳥羽によってはたかれる。ハーフアップにまとめられたふわふわのロングヘアが綺麗なカラメル色をしていた。
2人が仲良く触れあっている光景に、少しだけ胸がざわめく。悪夢に出てきた鳥羽の悲痛なセリフがうっすらと蘇った。




『なあ、月之宮……、人間とアヤカシって一体何なんだろうな。……俺、コイツと一緒に居ちゃいけなかったんだ。同じ姿になれたからって、同じ生き物になんかなれるわけがなかった……っ』


 現実の白波さんと鳥羽がああなるわけがないのに、私はすごく悲しい気分になった。この世界はもう乙女ゲームのシナリオからは脱線していて、あの廃人になりかけていた鳥羽アヤカシと出会うことはないと分かっていても……、それでも、人間とアヤカシの私たちは同族にはなりえないのだ。


 胸が締めつけられて、天井を仰いだ。沢山の規則的な四角形が並んでおり、それを数えるだけでも時間つぶしはできそうだ。
 どうして、アヤカシは人間を模倣するのだろう。
 誰に訊ねても答えは返ってこないだろうけれど、その習性がどうしようもなく気の毒に思えた。この世界が乙女ゲームであろうとなかろうと、私と出会う化け物が不格好で哀しいことは変わらない――。


「八重! 抱えてる悩み事が何なのか、そろそろ聞かせてくれない?」
 番茶をすすりながら、希未が目玉をこちらに向けた。椅子で脚をのばし、完全にこの空間でくつろいでいる。


「別にいいけど……、関わったら後悔するわよ?」
「後悔なんかするわけないよ! 私は八重の役に立ちたくて、ここにいるんだもん!」
 ……言ったな。
 彼らを巻き込むことに躊躇を覚えながらも、いつの間にか私は、聞き上手なみんなの誘導で自分に降りかかったトラブルを全部喋っていた。
 規格外の神龍――蛍御前がこの街に今、やって来ていることを。







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