悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆93 明け方の悪夢





 ――頭の中で考え事をしながら布団に入ったせいか、明け方に悪夢を見た。
 その世界では、私はいつもより鋭い眼差しをしていて、神剣の野分を携えてどこかに向かって歩いているようだった。辺り一帯は暗やみに満たされていて、ほの寒さが首筋をくすぐってくる。


 私は1人だった。独りでもあった。単騎で何かを討伐しようとしている。何を――いや、誰を殺そうとしているのだろうか?それは分からない。分かりようもない。
 孤独に暗中を歩いているというのに、不思議と怖くはなかった。いずれこうなることを確信していたみたいに、心には迷いはなく、かといってそれを歓迎しているわけでもない。


 怒り。そうだ、私は怒っていた。
ある対象に対して、心の底からの怒りを感じていた。


 次第に景色は私立慶水高校の廊下へと突入したが、そこで私は歩くのを止めて駆け出した。息を詰め、あのアヤカシを一刻も早く殺す為に……。
しいんと静かだった空気から、ぴちゃり……、ぴちゃりと音が鳴る。それに耳を澄ませ、発生源を突き止めた私は二年Bクラスの引き戸を勢いよく開け放った!


 むわっと内包されていた空気から漂ってきたのは、教室中に飛び散った血だまりの鉄臭さだった。人の死んだ香りに、私の顔が引きつってしまう。
ギタギタの――ズタズタになっていた。
 床に転がっていたのは、1人の見知った女子の遺体の一部で、その周辺には持ち主を失ったカラメル色の髪が散乱していた。
このゲーム世界のヒロインであった『白波小春』のものである。
そして、どこか茫然と血まみれで立ち尽くしていた犯人アヤカシは、その骸を抱えた状態で大きな黒い翼を広げていた。


 彼のポニーテールを束ねていた銀色の組み紐がくすんでいる。


「……どうして、こんなことをしたの?」
 険しい詰問が、月之宮八重の口から飛び出した。
徐々に距離を縮めて、彼らはいずれ恋愛関係に至ることもできただろう2人だった。人間とアヤカシの垣根を超えて、つい先ほどまで笑い合っていた仲だったはずなのに――。今、白波小春は明らかに鳥羽杉也によって殺害されていた。


「違う……、違う、ちがう!! こんなことをするつもりなんてなかった! こいつを食べるつもりなんてなかった!」
 鳥羽杉也の泡を食ったような否定の嵐に、私は自分が落胆するのが分かった。結局、この天狗は己の過激な本能に負けて、好意を抱いていた人間を手に掛けたのだ。奇跡が起こるのではないかと、見逃していた陰陽師たる自分の落ち度でもあった。


「白波……っ 白波!」
 天狗の声に少女の骸が答えるはずがない。気の毒に……哀れな彼女の肌は失血で青白く染まっており、その遺体は死した今でも可憐で美しかった。


「こうなった以上、私がすることは1つしかないわ」
 野分を無言で異装すると、月之宮八重は銀色の刀先を本性を現した天狗に突きつけた。むせ返るような血の臭いを吸い込んで、私は本音を叩きつけた。


「残念だったわ。鳥羽杉也。アンタなら、あと少しで人間とアヤカシの恋愛という奇跡が起こせたかもしれないのに……、一度でも信用していた自分がバカみたい」
「月之宮……」


「私ね、白波さんのことがこれでも好きだったのよ。だからこそ、幸せになって欲しかったのに……、人間とアヤカシが共存するなんて、不可能なことだったんだわ!」


 頭は熱くなり、こみ上げてくる悔しさに涙が滲んだ。
戦慄き声の糾弾は止まらない。幾つもの信頼が粉々に砕かれた以上、もうこのアヤカシに期待することは何もない。
いくらコイツが人間によく似た姿をしてたって、もうそんなことは関係ないのだ。


「感謝しなさい! 無様なアンタはここで私が殺すわ。お互い、元の関係に立ち返って……殺し合いましょう」
 爛々と輝いた天狗の瞳が、刀を構えた陰陽師を捉えた。


 この少年の精神はすでに死んでいた。好きだった人間の少女を衝動的に手にかけ、その有様を俯瞰した時に死んだのだ。ここに残っているのは……、ただ狂気に身を任せた化け物でしかない。


「なあ、月之宮……、人間とアヤカシって一体何なんだろうな。……俺、コイツと一緒に居ちゃいけなかったんだ。同じ姿になれたからって、同じ生き物になんかなれるわけがなかった……っ」
 翼が広げられ、焦げ茶の瞳の瞳孔が開く。


「来いよ、陰陽師。ぶっ殺してやる」
「いくわよ、アヤカシさん」


 もしかしたら、私も白波小春に恋をしていた。幾度か刀を振るいながらそれを自覚したところで、私の命は天狗のカマイタチで刈り取られた。
 あの子と同じギタギタのズタズタになっているのに――どうしてこんなにそれが嬉しくて仕方ないんだろう。
お揃いだから?
 鮮血をまき散らしながら、私の意識は無限の闇にブラックアウトした。






「――――はあっ、はあ、はあ……」
 ばっと目を開いた私は、全身に汗をかいて起床した。外では小鳥がチュンチュンと鳴き、朝日がカーテンの隙間から寝室に差し込んでいる。
 気温も暖かく、とても過ごしやすそうな陽気の朝だった。登校日。


「……今の、夢は……」
 良かった。どうやらこっちが現実らしい。
なんて寝覚めの悪い夢を見てしまったんだろう、私。
思わず自分の全身のパーツが揃っていることを確認し、五体満足なことに安心して深く息を吐いた。


「朝からなんっつー夢を見てんのよ……縁起でもない」
 冷静に現実に戻ってから考えてみると、明け方に見た悪夢は乙女ゲーム『魅了しましょう☆あやかしさま!!』の鳥羽杉也ルートのバッドエンディングの内容だった。実際の白波さんはまだ健在だし、私は白波さんに恋なんてしてないし、どちらかというと鳥羽の方が白波さんに好意を持っている。現実の私の状態とシンクロなんてしてないし、不安に思う必要なんてないはずだ。


 ……そう、だよね?
だらだらと冷や汗が流れる。あれ?いつの間に私ってこんなに鳥羽を信用するようになっていたんだろう。これって陰陽師として失格なんじゃない?


「それに、私は鳥羽のことが……」
 ……いや、好きではない!そんなことがあるわけがない!どんな恥ずかしい思考に辿りつこうとしたのよ、自分!!
 思いっきり羞恥に壁に頭を打ち付けると、幻覚だけど蒸気が見える気がした。
 あんな奴に恋なんてしているわけがないんだから!






 紺色のパジャマの裾を引きずりながら自宅の階段を下りていくと、リビングからは淹れたての珈琲の香りが漂っていた。キッチンのコンロには熱いフライパンが乗っており、その中にはベーコンエッグが入っている。
 リビングのダイニングテーブルには、松葉と水色の髪をもった幼女が座っており、もう先に朝ごはんに手をつけていた。
 父はもう出勤したらしい。


「おはようさん。よく眠れたかの?」
 乾いた白の上衣と浅葱色の袴を着た蛍御前が、にっこり笑顔になった。


「まあ……、はい」
「なんじゃ、顔色が悪いのう……。ちょっと貸してみい」
 箸を置いて、椅子から飛び下りた蛍御前はこちらにやってきた。そして、背伸びをしておでことおでこをくっつけてくる。彼女からは清廉な甘い香りがした。


「……熱はないようじゃの」
 神龍は首を傾げる。その光景を見た松葉が、嬉しそうにぴくんと動いた。


「あっ、ボクも八重さまの熱を測ります!」
「必要ないから」
「だって、貴重なシチュエーションだし……、上手くいけばそのまま唇にキスできそうな顔の距離だったし! 八重さま、任せて下さい!」
 何か小声で言っていると思ったら白い歯を見せて、楽しそうに立候補された。


「いや、……遠慮しとくわ」
 喋っていた中身は聞こえなかったけど、なんか嫌な予感がする。身震いすると、松葉が不満そうに口を尖らせた。


「むう……ご主人様とのラブラブシチュが……!」
「そもそも、八重ちゃんと松葉ちゃんとの間にラブはないんじゃない?」
 そう言った私の母が苦笑していた。


 洗面所で顔を洗い、髪をブラッシングすると、母に用意してもらった朝ごはんをいただく。カリカリに焼けたベーコンエッグとダシのきいたお味噌汁、白いコシヒカリに、ベビーレタスとトマトのサラダだ。
 目玉焼きの黄身を箸でつつくと、トロトロの半熟の中身が溢れてくる。そこにお醤油を垂らしてかき混ぜると、いいご飯のおかずになった。玉子のコクとしょっぱい香ばしさが絶妙に絡み合い、そこに白米の穏やかな甘さが包み込む。
 うん、とっても美味しい。


 先に朝食を平らげた蛍御前が、テーブルに頬杖をつく。甘い珈琲牛乳をぐるぐるかき混ぜていた。
「今日はそなたと何をしようかのう……」


 あれ?もしかして、私がこれから学校だって分かってない?


「何をするかって……、八重さまとボクはこれから学校なんだけど」
 胡乱気な眼差しを松葉が送った。そのセリフに蛍御前は愕然とした表情を返した。


「なんじゃと!?」
「うわ……、コイツマジでめんどくさいんだけど。だ~、か~、らぁ、ボクと八重さまはこれから学校があるからお前の相手はしてらんないの。分かる?」
「それでは、妾は一人ぼっちではないか!」
 わなわな震える蛍御前に、母がたしなめた。


「私といっしょにお留守番していましょう? 蛍ちゃん」
「ぐぎぎ……」
 私は、何か云いだされる前に先手を打った。


「あ、学校には付いてこないで下さいね。高校に小さい子を連れていくわけにいかないので」
「妾は幼児ではないわ!」


「そうよね~、蛍ちゃんは我慢がきく子だものね?」
 猫なで声で、母が微笑む。この月之宮家の女主人からは蛍御前もどこか逆らい難い威圧を感じたらしく、むっと黙り込んでしまった。珈琲牛乳の入ったコップの縁に口をつけて、少しずつ飲んでいる。


 制服を着て、鞄を持った私が玄関を出るとき、松葉に囁いた。
「……機嫌を損ねたかしら?」


「居候なんだからあれくらいは我慢させた方がいいですよ。八重さま」
 淡々とそう言った松葉は、私に向かって笑いかけた。







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