悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆92 神様といっしょ (2)



 『八重さまを1人で行かせるわけにはいかない』と頑なに主張した松葉も同行して、私たちは月之宮家の五棟ある離れのうちの1つに移動した。空き家の1つである。
管理していた執事長が鍵を開けたドアをくぐり、シャンデリアの飾られた広い玄関で靴を脱ぎ、ベッドルームに案内すると幼女はとても嬉しそうな顔をした。


「これは凄いのう!」
 白を基調に設えられた寝室は、いつでもホテルのスイートルームのように整えられている。絨毯はふかふかだし、真っ白なシーツはパリッと糊が効かせてあるし、窓もピカピカに磨かれている。
こらえきれずに衝動に身を任せた幼女が、部屋の中央にあったキングサイズのベッドに行儀悪くダイブした。スプリングがきしみ、大きくバウンドする。着ていたワンピースがめくれて細い太ももがはだけた。


 ……気に入っていただけたようで何より。来客用にセッティングされた部屋なので、例え神様によってメチャクチャに調度品が破壊されたとしても損失は少ないだろう。


「……お前、何の目論見があってここに来たんだよ」
 我慢の限界に達した松葉が、厳しい眼差しで口を開いた。アーモンド形の瞳が不機嫌に細められる。


「目論見、などと人聞きの悪いことを云うでない。 妾は、風の噂に聞いた【竜に縁あるモノを救いし乙女】のもとを旅行の途中で訪ねたかっただけじゃよ」
「竜に縁あるモノだって?」
 松葉が苛立たしげに目を眇める。天井から橙色の灯りが照らす中、幼女はベッドの上にあぐらをかいて座り込んだ。


「そうじゃ。土の竜……そう書いて、広くは土竜モグラと呼ぶ生き物の命を最近、そなたたちはアヤカシから助けた覚えがないかえ?」


 ……あっ。
幼女の言葉を聞いた松葉の表情が変わった。私と同じで思い当たる記憶があったらしい。私の隣に居る、ついこの前モグラに襲い掛かったアヤカシ(はんにん)は、こうなることを予想だにしていなかったに違いない。


「……そ、それがどうしたっていうんだよ!」
 弱弱しくも反発した松葉に、幼女は笑顔になった。


「ほう。その様子では心当たりがあったのじゃな。感心、感心。その命を救われたモグラはひどく人間の乙女に感謝しておってのう!
誰かに代わりに恩返しをして欲しいと思念を方々に伝えておったんじゃ。その声を旅行中に拾った妾が、同じ【りゅう】の漢字を持つよしみとして叶えてやろうと思い、わざわざ霊能力の強いというその乙女を探して水渡りをしたのが事の発端じゃ」


「はあ!? たったそれっきりの事で!?」
 松葉が幼女の説明に呆れた声を上げた。私は、事態のきっかけとなった松葉をじろりと睨んだ。お前がそもそもの原因じゃないの。


 結構ツッコミどころの多い話だったけれど、私には聞き逃せない情報が今の長セリフに含まれていたように思える。
同じ、りゅうの漢字を持つモノとして――叶えてあげようとしたですって?
 だとすれば、目の前のこの幼女の正体は……。


「最初は暇つぶしのつもりだったんじゃがのう……ここまで乱れた運命サダメを持つ娘だとは思わなんだ。まあ、どうせ旅行中であったわけじゃし、しばらくここに滞在してみるのも良かろう。
妾は、水の神龍じゃ。歳は140を超えた頃から数えなくなってしもうた。そなたたちは妾のことを蛍御前とでも呼ぶとよかろう」


 蛍御前と名乗った幼女は、気楽な口調でこう言った。抑えていた彼女の神気が一瞬だけ解放され、弱者である私たちはそのせいで急に息苦しくなる。金色の瞳は瞳孔がぐっと開き、壮絶に蛍御前は微笑んだ。


「は……神龍だって!?」
 そんな中で松葉が、私を庇うように前に出た。ミルクブラウンの髪はわずかに逆立ち、龍に向かって威嚇している。


「そうだとしたら、お前、水妖のボクの上位存在じゃないか! それも、生まれながらの選ばれし神、生来神だということに……!」
「まあ、そういうことになるの。……なんじゃお主、隠しておった本性はカワウソか」
 雑魚じゃの。とつまらなそうに水龍は呟いた。その言葉にカチンときた松葉のこめかみがひくひくする。


 松葉を雑魚といってのけた水龍に、私は身も凍る思いがした。計り知れない戦闘能力を有した異形のモノが、我が家の離れのベッドでくつろいでいる――それは、悪夢にしか感じることができない。


「あの……」
 私は、恐怖を押し殺して口を開いた。


「神様、ということは人間に対して友好的だと捉えてもいいんですか?」
 背筋が伸びて、自然と敬語になった。退屈そうな表情をしていた水龍は、「そうじゃの」と返答する。


「妾のような生まれついての神は、己を保つための信仰自体を必要としないのよ。じゃから、人間に迎合しようとも考えてはおらん。友好的といえばそうかもしれんが、どちらかといえば敵対するだけの利得を感じぬだけじゃ」


 幼い見た目に反するように知的な眼差しでこう言った水龍は、この場に振りまいていた威圧を解除した。私の肩にかかっていた重圧のようなものが溶けて消え失せる。生まれついての神、というものがどういうことかは理解らないけれど、それは今度訊ねればいいだろう。


「そうですか……」
 水龍の語った内容は安心できないものだ。私の中の警戒レベルが引き上げられるのを感じる。姿形は人間を模していても、この蛍御前と名乗った神の本質は人外なのだ。
 ……しかも、私の心をさざめかせるのは、彼女の名前のどこにも植物が入っていないこと。つまり、そこから推測される事実は、蛍御前は乙女ゲーム『魅了しましょう☆あやかしさま!!』の登場キャラクターや脚本に含まれていない場外の存在アンチワールド・キャラクターってことになるわけで……これほど深刻なエラーがあるだろうか。隠しキャラの可能性もなくはないけれど、もしもそれに当てはまるとすれば夕霧君や幽司兄さんや奈々子の方が当てはまるような気がする。


 そりゃ、物語の冒頭の春でストーリーを脱線させようと考えたのは私だ。そういう風になることを願って日ごろ気をつけて行動してもいた。
けれど、もしもそのせいで水の神龍といった全てをぶち壊しかねない規格外の存在をストーリーに呼び込んでしまったとすれば、これは私の因果応報になるんだと思う。


「じゃが、妾にも例外というものはある」
 鮮やかな水色の髪を梳きながら、蛍御前は笑いを洩らした。


「乙女や。そなた、名はなんというのじゃ?」
 名前を訊ねたのはどう考えても私に対してだろう。そのことに戸惑いながら、怖々乾いた口を開く。


「……月之宮、八重といいますけど……」
「ほう。八重桜の八重か。それとも、アジサイの方かえ?」


「多分、桜の方だと思います」
「なかなかに雅な名をしておるの。幾重にも運命が重なったそなたを暗示しているようでもある」
 思わせぶりなことを云った蛍御前は、「そなたのこと、気に入ったぞ」と告げた。


「人間にしては、勢いのある澄んだ霊力をまとっておる。心根が悪しくない証拠じゃ。妾の友人とするには些か不安でもあるが、素質は充分じゃの。安心して妾のことをひざまずいて崇め奉るがよい」
 堂々と上から目線で、満足そうに水龍は頷いた。丈の短いワンピースなのに、あぐらをかいている。一歩間違えば売り出し中のフィギュア型観音像に見えなくもない。けれど、当人の口にしている内容にありがたみはまるで無く、私が蛍御前のお世話係に任命されたことだけはよく分かった。


「幾重にも運命が重なったって、どういうことだよ?」
 松葉が疑問を洩らす。その辺りはあまり問い詰めないで欲しい。多分、乙女ゲームが展開する予定だった各ルートが重なって見えているとか、そんな感じのことだと思うから。


「そうさのう……。妾がこうして視る限り、一見問題ないただの人間に見えるんじゃがの? よく視ると色んな必然が幾重にも重なってしまっておるんじゃ。まるで、悪いことを故意に先送りして生きてきたような、のう?」


「何それ、意味不明なんだけど」
 蛍御前の言葉に、松葉は眉を潜めた。


 動転しそうな私の心拍数が上がっていく。妙な緊張が走って、どこか空恐ろしい思いになる。水龍の指摘した内容は、もしや私の回避してきた無数の死亡フラグのことではないだろうか。何も事情は知られていないはずなのに、そこまで初見で当てられてしまうと寂寞とした不安が自分に襲い掛かってきた。


「この様子では、日々生きていくのもしんどかろう」
 少々の憐れみを向けられて、私は息が詰まった。苛立った松葉は、うんざりしたように呼吸をする。どうやら、この蛍御前に関してうさんくさく感じているらしい。


「生来神がどれだけ偉いか知らないけどさあ……ご主人様に適当な言葉を吐かないでくれる? いきなり現れたお前に、八重さまの何が分かるってんだよ」
「いいのよ、松葉」


「よくないですよ、八重さま。神様だ何だっていったって、今の話に大した信ぴょう性なんかないんだから」
 松葉を宥めようとしたけれど、さほど効果はなかったらしい。イライラとしているカワウソは、今の言葉を忌まわしく思っているようだ。


「信ぴょう性、か。確かに、それはないの」
 水龍は機嫌を損ねるわけでもなく、浅くため息をついた。首をまわしてリラックスしている。その態度を見た松葉が、辟易したように蛍御前をずいっと指差す。


「八重さま。こいつ、追い出しましょう。すぐ追い出しましょうよ」
「無理よ。私にはそんなことできないわ」
 聖女らしさを気取ってるんじゃなくて、本当に私はこの神様を追い出す手段を思いつかなかった。只の陰陽師は雑妖怪を追い払うことは得意だけど、神様レベルの実力者クラスになると無力な只人同然なのだ。カワウソの松葉ですら倒せなかったのに、龍に喧嘩を売るなんてとてもできない。


「じゃあ、ボクがやるか……。おい、お前。ボクのテリトリーに侵入してタダで済むと思ってんの? 神様だとか生来神とか嘘つくのもいい加減にしなよね」
 こいつ、思いっきり喧嘩売った!?
 怖いもの知らずの松葉は、指先に水球を浮かべながら唾を吐いた。ハッキリ言って汚い。それが頭に振りかかった水龍は、無表情になった。


「お主ほどバカな身の程知らずに会ったのは久しぶりじゃ……っ どちらが格上か見せつけてくれるわい」
 金色の瞳の瞳孔が一気に開いた。おさめてくれていた殺気が水龍からとび出す。その過密な神気に呼吸が止まった私は前のめりになって喉元を掴んだ。


「……うっ」
 荒く呼吸が乱され、目がチカチカする。
 表情が無い蛍御前は、人差し指を松葉の具現させている水球に向けた。


「水龍の前で水を出すとは……妾に乗っ取ってくれと言わんばかりじゃのう!」
 その言葉を聞いた松葉がびくっと身を引いた。水龍にぶつけようとして出していたゴルフボール大の水の球の支配権コントロールが神に奪われたのだ。泡だった水球は形を変え、鋭い針のようになった。それは量を増大させると、あっという間に渦を巻いて松葉に襲いかかり、彼の喉を窒息させていく。


「己の分を弁えぬ水妖風情が、神に立てつくか! 妾は殺しには躊躇せぬぞ……二度はないと思うのじゃな!」
「――松葉っ」
 私は思わず声を上げた。


 カリスマ的な存在感を発揮しながら、水龍は指一本動かしただけで松葉を絨毯の上に叩きつけた。水妖怪だというのに自分の得意な水を使われて窒息させられたカワウソは、ぜえぜえと荒く呼吸をしている。


「……お前、まさか本当に……」
「じゃから神だと言うておろう。神気を浴びてもそれも分からんのか、ほんにダメなアヤカシじゃのう」
 慄く松葉に、蛍御前はうんざりしたように舌を鳴らした。隠してあった神気が露わになっている為、元から神秘的だった容姿に拍車がかかって見える。水色の髪は艶やかにきらめいているし、肌は抜けるよう。金色の瞳は鮮やかさを増し、神々しいという言葉がぴったりだ。
 見た目の整ったアヤカシに囲まれて麻痺していたはずの私の美的感覚にも、訴えかけてくるものがある。


 これが、本物の神様ってやつなんだ。


 この存在と比べてしまったら、異世界の学校に君臨していた松葉はレプリカだったことがよく分かった。限りなく神に近かったけれど、まがい物でしかない。それが、闇に巣食うアヤカシの身で神に成るということなんだろう。
私は、ぞっと鳥肌が立った。


 こんな――無理だ。このような規格外の存在に刃向うなんてできっこない。信仰を必要としないというのは、恐らく本当だろう。人間を自然にひざますかせることができるほどに、この蛍御前という存在は気高くて美しかった。


 人間の私は従属するしかなかった。抵抗することすら無駄だと思った。それくらいに、私と蛍御前の存在値に格差があるように感じた。


「松葉! 大丈夫?」
 水を吐いている松葉に声を掛けると、私の式妖は無言で返事をした。とても悔しそうに眉間にシワが寄っている。そんな心境になるのも当たり前だ。このカワウソは一等に負けることが嫌いな性格なのだから。


「…………」
 何か言いたげな蛍御前は殺意を収めて顔を逸らした。水色の長い髪が背中で揺れる。部屋に充満していた緊迫感が少し軽くなった。


「あの……、松葉が失礼をしてすみませんでした」
「そなたが謝ることはない」


「でも……このカワウソは、私の式なので……」
 なるほど、陰陽師の式使いのことか。と蛍御前は呟いた。松葉を見下した蔑むような目線に、土竜モグラを襲った犯人がバレたような気がする。


「あの! 蛍御前さまは、私たちに何を望んでいるんですか?」
「『さま』はいらん。蛍御前だけでよいわ」
 決死の覚悟でした私の質問に、蛍御前は不機嫌そうに笑った。


「そうさのう……。旅行の途中じゃが妾はしばらくこの地に滞在しようと考えておる。じゃから、しばし退屈せぬように取り計らってもらえると嬉しいの」
「た、退屈しないようにって……」
 アバウトな指定だ。


「例えば、妾はゲームなどが好きじゃ。具体的には、毎日ポ○モンのクリ○タルバージョンをやっておる」
「はあ……」
 何世代か前のソフトの名前を出され、その時代遅れっぷりに私の目が点になった。この神様、今時のゲームが3Dになることを知ったらどんな反応をするんだろ。


「……まあ、うちの系列にゲーム会社がありますから、いくらでも用意できますけど……」
 ぽろっと私がそんなことをこぼすと、蛍御前の目が大きくなった。


「なんじゃと! そなた、今なんと申した!」
「ですから、ゲームならいくらでも用意できるって……」
「なして、そなたの家がゲーム会社と繋がりがあるのじゃ!?」


 起き上った松葉がすごく呆れた顔になった。
「そりゃあ、八重さまの父さんは、月之宮財閥の家長だもん。あるいは、総帥?ってやつ」


「ひえええっ」
 それまでふてぶてしかった蛍御前が初めて仰天したリアクションをとった。途端にそわそわし始め、天井の豪奢なライトや壁にかかった絵画、床に敷かれた安めのペルシャ絨毯辺りを指差した。


「やけに立派な家だとは思うたが……、まさか、ここが財閥一家だとは思わなんだわ」
「陰陽師の月之宮家の名前は聞いた事がないんですか?」


「裏の意味ではよう知ってはおるが、まさか今の世では財閥を運営しておるとはのう……。時代が変われば、変わるものじゃの」
 この神様、こんなに世間知らずで大丈夫かしら?
 同行者もつけずによく今まで旅をしてきたものだと、私たちは絶句してしまう。それにも構わず、蛍御前はにこにこしていた。


 それにしても……、ゲームを用意するくらいならお金でいくらでもどうにかできるけど、観光案内ねえ……。遊園地とかでいいのなら月之宮と日之宮で経営しているテーマパークがあるけれど、それでいいのかしら?
でも、そういうのって少人数で行っても楽しくないと思うし……。肝心の蛍御前が大人しく楽しんでくれるか分からないし……。
 不確定要素の残る悩み事に、胃が痛くなりそうになった夜だった。







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