悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆91 神様といっしょ (1)



 日が暮れて、いつものように軽自動車で我が家へと帰宅した私は、自分の部屋で課題を片付けた後にバスルームで入浴した。お風呂掃除をした後にスイッチ1つで白い浴槽にはたっぷりの湯を注ぎ、その中に発泡性の入浴剤を落とす。シュワシュワいいながら溶けていくそれを茫洋と眺めながら、なんだか色んな肩の荷がおりた私はため息をついた。


 着ていた制服を脱ぐと、脱衣籠の中に収める――髪の毛もブラッシングしなおして、裸になった私は入浴を楽しむことにした。


 まず、浴槽に入る前に全身の埃をおとす。山桜の匂いがするシャンプーのポンプを押して、洗髪をする。鼻歌を歌いながらシャワーで泡を洗い流している最中のことだった。その事態が突然起こったのは!
 私の髪から離れたシャボン玉が空気へ浮遊する。浴槽の上に漂っていたそれは、気が付かない間に膨らみ始めた。耳に伝わってきたのは甲高い超音波で、その音に眉間にシワを寄せた私はそのシャボン玉に振り返った。
……と、その時!


――――パアンッ


 それは弾けた。予想もしてなかった質量がシャボン玉からこのお風呂場へと飛び出してきたからだ。なんてこったい、私の心臓はこんなことを予想もしてないのに!
 いつかの神化していた時の松葉のように、何者かがこの場に水を媒介にしてテレポートしてきたらしい。バシャアアアアンッと大きな音を立てて浴槽の中に落っこちたその人物のせいで、ためてあったお湯が洗い場に飛び散った。せっかく入れてあった入浴剤の炭酸ガスが一気に空気へと抜けていく。気のせいか色も少し薄くなった感じだ。


「ぶはっ、げほっ――なんじゃこのお湯は! けったいな味がついておるではないかっ!」
 口からお湯を噴きだした乱入者は、とても見事な水色の髪をしていた。見間違いかと思ったけれど、ウィッグでも何でもなくどうやら地毛の色彩らしい。
 浅葱色の袴と白の着物に身を包んでいるけれど、それは入浴剤の入ったお湯のせいでぐしょぐしょに濡れていき、ついでに肩は少しはだけていた。
 幼女だ。スーツケースを担いだ10歳ぐらいの幼い女児だ。


「…………き、きゃああああっ」
 遅ればせながら、風呂場への乱入者へ悲鳴を上げた私のおでこから、白い泡が滑って落ちた。驚愕にとりおとしたシャワーヘッドから、噴水のようにお湯が飛び散る。


「悲鳴を上げるでない。騒々しいのう……」
 長い前髪をかき上げた幼女は、一般家庭よりも広い月之宮家の浴槽にぷかぷか浮きながら泰然とこんなことを口にした。金色の瞳が、しっかりと私をとらえていた。


「だだ、だって!」
 この子どもは一体誰だ。
記憶を探るまでもなく、私には水色の髪の知り合いもいないし、金色の瞳をしている人類も見たことがない。というか、幼児と喋ったのも遠い昔だ。


「遠方から『水渡り』で空間を繋いだら、偶然にそなたの入浴にかち合ったのじゃ。人間にとっては水渡りを見たことがないのも無理ないが……、まあ、神として生まれた妾にとっては簡単な技術よ」


 ふふん、と口端を上げた子どもは、ドヤ顔をしていた。茫然としている私の耳に飛び込んできた発言を聞く限り、どうやらこの幼女は人外の類ということだ。……ちょっと待って、今、この子自分のことを神とか言わなかった?


 ひゅ、と息を吸いこみ、私に戦慄が走る――。脳裏にまざまざと蘇ったのは、別世界の学校で神になった松葉と死闘を繰り広げた記憶だ。ミルクブラウンの髪色、鋭い爪、水渡り、水で創られた大蛇、切り裂かれたワイシャツ、流れる血――それらの悪夢のような『神』の強さはトラウマとなって私の記憶に焼き付いている。
 血の気が引いていくのが分かった。身をこわばらせた私の反応に、水色の髪をした子どもは首を傾げた。


「どうしたんじゃ、そんなに白い顔をしおって……」
 あどけない唇でそんなことを呟いた幼女は、浴槽にしゃがみ込んだ。縁に手をついて、膝立ちになってこちらを眺めてくる。


「……ほお……そなたの面相、酷くかき乱された運命を持っておるのう……。これでは、さぞ生きにくかろうて」
「…………っ」
 声を失った私は、反射的に身を引いた。


 宝石みたいな金色の瞳がもの言いたげにこちらをじっと見据えてくるが、そこにあったのは獣のような瞳孔の開き加減だ。
 目の前の子供が醜かったわけではない。むしろ逆で、容姿はCGグラフィックでデザインされたキャラクターさながらに和風に美しく整っていた。
彼女の水色の髪はお風呂場のライトできらきら輝き、神々しいばかりに幼い全身を引き立てているし、その黄色みがかった肌は真珠に例えられるだろう。鼻は少し低いけれど、ちゃんと鼻梁は真っ直ぐ通っている。


 黒髪黒目の一般的な日本人とはかけ離れた現実味のない姿の乱入者だけど、どこか雰囲気はアジアを思わせる美少女だった。


 互いに見つめ合ったまま、しばらく沈黙がお風呂場を支配した。そのまま永遠に続くかとも思われたが、それは第三者によって呆気なく破られることとなる。
誰かといえば、それは松葉だ。


「――八重さま、いきなり悲鳴が上がったけどどうしたの!?」
 自分の性別を無視した松葉は大声でそう叫びながら、脱衣所のドアを開けてお風呂場に直接特攻してきたのだ。バアン!と音を立てられて、お風呂場の扉が開け放たれる。涼しい冷気がそこから入って来て、私の裸にしずかに触れた。


「…………」と、呆気にとられた私。勿論、素っ裸。
「…………あっ」と、己のしでかしたことにようやく気が付いた松葉。こちらの姿を目に入れた彼は、だんだんと顔が赤くなっていく。


「こ、これは……八重さまの安全確認をしたかっただけで、わざと風呂場に入ったわけじゃないんだ! ででででも、グッジョブボク! ラッキースケベ! 八重さま超綺麗!」
 弁明をしている途中で、松葉の顔から鼻血が流れた。最後の本音もそうだが、少しは私の裸体から目を逸らすとかして欲しい。


 私は息を吸いこんで叫びながら、近くにあった洗面器を松葉に向かって投げつけた。
「アンタは男なんだから風呂場に入ってくるんじゃないわよ!」


 スコーーンッと結構いい音を立てながら、松葉の顔面に回転した洗面器がぶつかった。「でてけえ! とにかくここからでてけえ!!」と威嚇しながらシャンプーのボトルやらクレンジングオイルの瓶やらを投げつけていると、騒動を聞きつけた母が困った顔をして松葉の回収に現れた。


「……八重ちゃん、大丈夫? あらあら、松葉ちゃんったら。いくらなんでも、もうじき17歳の乙女の入浴は覗いちゃだ・め・よ」
 少し怒っている様子の母は、松葉の目を塞いでこう言った。にっこり笑っているけれど、その裏に含まれているものが怖い。


「早く出てってよ!」
「八重ちゃん、さっきの悲鳴はどうしたの? あんなに大きな声がしたら、脱衣所のドアの前ではりついていた松葉ちゃんが飛び込んだのも無理ないことよ。てっきり虫でも出たのかと思ったけれど…………」
 ドアの前ではりついていた。の部分で私は松葉をきつく睨みつけた。こいつ……変態!
おっとり私に訊ねていた母は、やがてその視線を浴槽に収まった幼女へと向けた。


「…………あら?」
 水色の髪に金色の瞳をした子どもを見つけてしまった母は、びっくりしたように目をパチパチさせた。
コクリ。と、会釈をしたのは幼女の方だ。


「八重ちゃん。この子は一体どうしたの?」
 どうしたもこうしたもない。どうしたのかは私の方こそ知りたい。
私が沈黙を返すと、母は松葉の視界を両手で塞ぎながら途方に暮れた表情になった。この人のこんな反応はとても珍しく、こんな状況だというのに新鮮な気持ちになる。


「今時珍しい恰好をしているのねえ……、この子ったらこんなにびしょ濡れになっちゃって。八重ちゃんの小さい頃のお洋服って残っているかしら」
 天然の気がある母は、こう言った。






 母がウォークインクローゼットから探し当てた水色のワンピースは、幼女の身体にあつらえたようにぴったりだった。私が幼少期に着ていたものだけど、思い出にとってあったらしい。
 幼女は母の手でドライヤーを使われて同色の髪を乾かしてもらっているのだが、不気味に大人しくされるがままになっている。どうやら母はこの子に深く事情を尋ねることをしないことに決めたらしい。だんだん疲れた顔をしてきた私の父は、


「……で、だ。今までの話をまとめると、……君はその、神様だけが使える水渡りとやらで八重の入浴中に風呂場へ転移してきたと主張しているのかね?」
と眉間をもみほぐしながら言った。


「左様」
 非常識な水色の髪をした女児は、そう返答した。


「妾たちのような水にまつわる神々にとっては、これが手慣れた移動法によってな。この家で一番水が溜まっていた場所が偶然にも湯殿だっただけのことじゃ。厠には繋がらないように気を配っておったのじゃがな……」


「非常識だ!」
 忍耐が切れた父は、そう叫んだ。


「いい加減に、本当のことを話したまえ! どうやって風呂場の小さい窓から我が家に侵入したんだ!」
 理解の範疇を超えた女児の発言の数々は、父にとっては受け入れられないものだったらしい。彼が一番知りたいのは、我が家への侵入ルートとこの10歳児(推定)の素性だ。


「我が月之宮家は託児所ではないぞ! まさか、企業スパイか……、それとも、うちが財閥なのをいいことに育児放棄されたか……」
 ……まあ、そういった発想にいく方が普通か。ノーマルではない実の娘ですら、思考放棄したくなっているのだ。常識的ではない単語を羅列された父が全て鵜呑みにするわけがない。


「早く警察に連絡しろ! この子どもがまともな精神をしているとは思えん!」
 父はソファーに座りながら執事長にそう命令した。……だが、肝心の執事長の反応が悪い。何故なら彼は父とは違って月之宮家の裏家業を把握している為、この目の前の存在が人外のものだと察知しているのだ。早々に警察に引き渡していいのか迷っているのであろう。


「しかし、旦那様……。このお客様を警察にお連れしてよろしいものでしょうか?」
「何を迷っているんだ!」


「私の目には、この子どもが嘘を吐いているようには到底思えないのですが……」
 その煮え切らない執事長の態度に、霊能力を持たない父はうんざりして吐き捨てた。


「また、カルトだの陰陽師だの! お前までそんなことをこの期に及んで持ち出すのか! そういった頭のおかしい連中の話は私に関わらせるなと言っているだろう!」
 とにかく裏社会のことは視界に入れたくないんだろう。月之宮家陰陽師の活動を黙認しているだけでも譲歩してくれている方なのだ。
 その本音を父が口にした瞬間、アヤカシの松葉がぴくりと身じろぎをした。松葉は先ほどから初対面の幼女を警戒するように睨んでいる。


「旦那様、しかしですなあ……」
 執事長が判断に迷っていると、ソファーに座って髪を乾かしてもらっていた幼女が突然飛び下りた。何か思いついたのだろうか。


「……なんだ、君はぶしつけに――」
 そして、父の前に来た幼女はおもむろに相手を指差した。私たちが戸惑っていると、幼女はトンボを捕まえる時みたいに指をぐるぐる回し始めた。


「――――――」
 途端に催眠状態に陥った父の目が混濁し、言葉が失われる。口端を上げた幼女は、低く落ち着いた声でこんなことを父に命令した。


「今から妾は、この家の遠い親戚じゃ。しばらくこの地へ留まるが故、歓待すると約束せい」
「――――ハイ、ワカリマシタ」
 正気を失った父がぱくぱくとそう言ったのに、私は仰天した。この騒動がどう落着するかと思っていたら、まさかこんな手段を使われるなんて!


「お前、八重さまの父さんに何をしたんだ!」
 松葉が奥歯を噛みしめると、幼女は気軽そうに喋った。


「なあに、簡単な催眠術じゃ。人間が使う技術の1つじゃよ……。そこまで危害を加えるようなものではないから安心せい」
「……催眠術だって……っ」


 パチン、と幼女が指を鳴らす。これが仕上げになったようで、父はハッと目を覚ました。しばらくぼーっと虚脱している。


「……ほれ、妾はお前の遠い親戚じゃ。久しぶりに会いに来てやったから、喜んで歓迎するがよい」
 父に向かってにっこり笑いかけた幼女に、私は舌を巻く。父は見ず知らずの幼い子供(しかも、常識はずれな水色の髪をしている)を視界に入れた途端、目を潤ませた。


「これは、私がつい最近まで知らなかった生き別れ同然になった月之宮の分家から家出した出来損ないの先祖の末裔が贔屓ひいきにしているキャバ嬢の子どもではないか! よくまあ、達者に育って!」
 ……いや父。突っ込ませてもらえば、その脳内設定では親戚どころか普通に赤の他人だと思うよ。


 私が半目になっているのにも構わず、父はおいおい泣きながら幼女が居たいだけの期間月之宮家で預かるし、実の家庭同然に思ってくれて構わないことを約束し、ついでにその水色の髪はとても素敵だと褒めちぎった。
 母はとても困った顔をしていたけれど、父の様子に諦めをつけたらしい。


「……私にも、同じ催眠術をかけてもらえないかしら? なんだか、頭がおかしくなった方が気楽に見えてきたわ」と、自分から幼女に頼み始めた。


「いや、そなたには必要なかろう。中々に順応力が高そうじゃ」
「あら、残念」
 何いっちゃってんのよ。お母さん。
ふうっとため息をついた母は、ドライヤーを片付けながら執事長にこう言った。


「……こういうことになったみたいだから、この子のことはホームステイ客だと思ってもてなしてあげて。
盗まれて困るようなものは、もう泥棒対策してあるから大丈夫だし……第一、嘘でもあんなに会えて感動している旦那様から引き離したら可哀そうよ」
「了解しました、奥さま」


 とんでもないことを口にした母の順応力が高いというのは本当かもしれない。私としては、この子を月之宮家から追い出そうとしない母の正気を疑っているが、その天然気味な脳内がどうなっているのかは説明されても理解できないだろう。


「…………くっ」
 松葉が白人に攻め込まれた植民地住民がしそうなとても屈辱的な顔をした。その内心の葛藤がおもんばかれて同意したくなる。


 この目の前の存在が本当に神様だとするならば、推定される戦闘力は神化していた松葉の能力と匹敵するだろう。だとすれば、ここで争うのは上策じゃない。
何を要求したくて現れたかは分からないけれど、なるべく相手の気に障らないようにしなくてはならない。そのことに頭が痛くなっている私に、母はこう言った。


「八重ちゃん。もうこんな時間だし、ひとまずこの子は離れに泊まってもらうことにしましょう。いつでもゲストハウスとして使えるようにしてあった家が敷地内にあったじゃない? そこならいくら散らかしてくれても構わないから、案内してあげてもらえるかしら?」
「それはいい! 君、あそこならちょっとしたバンガロー同然だと思ってくれて構わないよ!」
 テキパキとした母の指示に、感涙をぬぐった父が同意した。


「なっ…………」
 引き気味になった私に、幼女がにんまり笑った。水気が拭きとられたスーツケースを引っ張て来たと思ったら、こちらの腕をとった。


「ありがたいのう……。そなたが妾を案内してくれるのか!」
 ちょっと古めかしい口調でそう言われ、私は為すがままに頷いた。







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