悪役令嬢のままでいなさい!
☆70 花崗岩 (3)
夏も終わり、秋がやってくる。
日本軍が優勢であった時も終わり、遂に敵国からの反撃が始まった。
いくらサイコロを振っても、覆せない戦力差。
いくら鏡を覗き込んでも占うたびに悪化していく戦況に、青火も一守も、次第に顔を険しくさせる日が多くなっていった。
誰に相談できることではなかった。
片や狐神は結晶核に負担がかかり、少しづつ身体が透けていく。
もう片方の一守は、徐々に失明に近づいていく両目を抱え、それでも躍起になって毎日勤め先で鏡をのぞき続けた。
信次の容体が良くなることはなく。疑心暗鬼にかられ始めた他の弟たちとの仲は溝ができていた。
そんな中、遂に梢佑の出立の日が決まった。
1942年10月2日。
お手伝いさんを2人も連れて、行き先は長野。はるばる関東から電車で疎開の旅に出る。
「いやだ!いきたくないっ」
「まだ言うか、このガキわ!」
出立当日になり、水筒を首からぶら下げてもまだ抵抗を続けている梢佑の態度に、苛立ちがつのった三津が大声を出した。
「いやだったら、いやだ!」
「一兄があんな態度とっている以上東京は危ないんだって言ってるだろ!お前が早めに疎開しなかったら、どのうちも油断しちまうんだぞ!」
「わかんない!そんなのわかんない!」
梢佑の目からはボロボロ涙がこぼれてきており、だんだんしゃっくりあげている。
――難しい理屈など分からないのだ。何せ、まだ五歳の子どもなのだから。
それを重々承知の月之宮家でも、どう説得したらこの子が動いてくれるか頭を悩ませていた。
「ほら、梢佑。お前の好きなとっときの飴だぞ」
普段なら絶対与えない飴をちらつかせたのは、五季だ。備蓄してあった、砂糖を使った鼈甲飴である。
「……ほしいけど、ぜったいにいきたくない!」
「これは、ちゃんと疎開に行く子のために作ったのだ。もらいっぱなしは許さんぞ」
「だけど、ほしい!」
「矛盾したことを言うな」
飴を手にとったら、疎開に連れていかれることをこの幼児はちゃんと分かっていた。幼いながらも利発で頭のいい子どもである。
「あめ、なめたいよう……」
「舐めればいいじゃないか、舐めれば」
――まあ、俺たちの分はないんだけどな。と、五季は心の中で付け足した。
うぐうぐ泣き出した梢佑の手に飴の棒を握らせると、観念した幼児は舌先でぺろりと舐め始めた。……ああ、羨ましい限りだ。おいしそうに食べている姿にそう思う。
「あ、もったいないことをするな!歯でかじらずに舌で舐めろ!」
梢佑の小さな前歯でパリン、と飴が割れた。
その光景に思わず五季が叫ぶと、背後から別人の声が投げかけられた。
「いいなあ、梢佑は。飴なんか作って貰えたのか」
皆で振り返ると、そこには眼鏡をかけて杖をついた一守が立っていた。仕事の際の事故で視力が落ちてしまったようで、少々目を細めている。
反射的に三津と五季が敬礼をした。
それを目が悪いために無視した一守は、梢佑に言われた言葉に苦笑した。
「とーさまもいっしょにそかいしようよ……。おめめがわるいんでしょ?」
「……それはいい考えではあるがね、我が息子よ。私が疎開するのはお国が許してはくれないよ」
それぐらいに、一守が見てしまった未来は重大な機密情報となっている。態度や身ぶり手ぶりですらそれを匂わせるな。というのが上からのお達しであるのだ。
むしろ、わが軍の士気を下げるような内容の未来予知など、あってはならんのであり、それを青い顔で知らせてきた一守は参謀ながら裏切り者扱いにまでされそうになっているのであった。
「一兄!」
「分かってる。こんな小さな子にべらべら喋ったりはしないさ」
「それもそうだけど……」
梢佑との別れまであと二時間。何をしにやってきた!
父親の一守は、フッと笑って言った。
「月之宮梢佑君に、特別なお願いがあってきたのだよ」
「おねがい?」
「任務ともいえるかな……」
目を丸くした梢佑に、一守はしゃがみ込んで視線を合わせた。
「梢佑には、疎開先の河原で花崗岩と呼ばれる石を沢山集めてきてもらいたい」
驚きの表情になった一同に、咳払いをした一守は梢佑に対してこう続けた。
「花崗岩という石にはね、ここだけの秘密だがダイヤモンドがごくわずかに含まれているんだ」
「……ダイヤだって?」
「ああ、そうだ。みんなにバレると採り尽されてしまうからね。これまで内緒にしてきたのだが、あの中には確かにキラキラ光るダイヤモンドが入っているんだよ」
意味深にそんなことをのたまった一守は、梢佑の柔らかい手を握ってこう迫った。
「梢佑には、それを是非とも沢山持ち帰ってもらいたい」
梢佑が首を捻った。
「どーして?」
「今の時分には軍資金が足りないからね。田舎から花崗岩を持ち帰ってもらえれば、わが軍も多いに潤うというもの!
あーあ、父さんは困っているなー。梢佑の力が必要だなー」
そう畳み込まれた梢佑の瞳に、やる気の炎がともった。
「やるっ!!」と大きな声で宣言をした梢佑の様子に、あちゃあ、と三津が思わず呟いた。
この一守からのお願い、勿論全部嘘八百である。
ダイヤモンドなんか花崗岩に含まれているわけもなく、あのキラキラ光る部分は石英から出来ているのだ。つまりは、この話しは田舎に梢佑を足止めするための作り話……であったのだが、純真な子どもの真っ直ぐな眼差しに部外者の三津の胸が痛んだ。
「おい、いいのか。こんな作り話なんかして!」
「何か問題でも?」
ぬけぬけとした顔つきの一守である。
「私は現に、幼少の頃はあそこにダイヤモンドが詰まっているのではないかと信じたことがある。夢という名の宝石なら、今でも見ることができるのではないかね?」
「そーいって嘘八百を正当化するんじゃないやい」
「嘘だったのか!?」
五季のショックを受けたような顔に、流石にこそこそ話をしていた2人がぎょっとした。庭に視線を走らせて、今にも花崗岩を探しに行こうとしていたらしい。
一緒にいる梢佑は、先ほど泣いていたのもどこへやら。凛然とした表情で、すっくと立ちあがった。
「おとーさま!」
「何だい?梢佑」
「しょうすけは、おくにのために、いなかでかこうがんをたくさんとってまいります!」
「なるほど、そいつは有難い!お前のお蔭で、我が国は多いに助かることだろう!」
なんてバカバカしい。付き合ってられねーぜ。と、三津が思い、ふと辺りを見渡して口を開いた。
「あれ?ところで、青火さまは?」
青火さまは、どこに?
出立直前。社へ訪れた梢佑は、幾分も印象が薄くなった青火と対面して悲鳴を上げた。
「おおおおおお、おばけえ!?」
「アヤカシなんて、元から幽霊みたいなもんだろう」
怯えた梢佑に、そう返事をしたのは身体が透けてきた青火だ。
ぎゃあ、と声を上げたのは、お参りに来た月之宮家の面々である。
四津が、頭が痛そうに尋ねた。
「どれだけ不眠不休で神様業を頑張れば、そんなことになるんだよ!青火さまは気づいてないかもしれないけれど、身体が半透明に透けてるぜ!」
「……それは真か?」
指摘を受けて自分の腕を睨み据えた青火は、青白く半透明になりつつある肌にため息をついた。本当だ。幼子が怖がりそうな具合に、身体が弱っている。
「やあ、青火。忙しそうなところに悪いね」
「案ずるな。戦争ともなれば、この社に戦勝祈願の願いが殺到するのはいつものことだ」
ただ今回は、相手が強大すぎて、サイコロをいくら振っても事足りないだけである。いくら戦勝に向けて確率を高めたところで、わずかスズメの涙にもなっていないのではないか……と嫌な予感がつきまとう。
その結果。心身の妖力の限界まで働きまくれば、青火の見た目にも変化が訪れようというものである。
「ほら、梢佑。青火さまにちらし寿司を差し出しなさい」
「……あおびさま、どーぞ」
父親に促され梢佑の手から渡された包みを、青火はありがたく受け取った。
中身はたかが知れていようと、久しぶりの飯である。ことに、それが酢飯ともあらば、信仰の力になろうというもの。
「上がっていくか?」
「いいや、ここでお参りさせたら、すぐに駅へ向かわせるよ」
「そうか。ならば、梢佑の安全祈願でいいか?」
「それで頼む」
青火が傷だらけになった指でサイコロを振ると――出た目は6・6・6・2。
満足気な顔つきになった一同が、さあ帰ろうかとしているときのことだった。梢佑が、青火にこう尋ねたのは!
「あおびさま!」
「何だ?」
これから、駅で旅だとうとしている幼児は、目を潤ませてこう叫んだ。
「みんなをよろしくおねがいします!」
こう、叫んだのだ。
青火は、腕を組んで呟いた。
「できる範囲ではあるが、健闘しよう」
「はい!」
にこっと笑った梢佑は、お弁当のちらし寿司を抱えて旅立った。
月之宮家の暖かき時代の思い出は、これにて終わりを迎えることとなる。
時代はとんで、1944年の新年は、葬式から始まることになるのだから。誰のものかといえば、ずっと寝込んでいた信次のものである。
その直前、カワウソ集落から買ってきた飲み薬も尽きたころ、青火と生前の信次が最後に会話をしたのは、大みそかの晩のことであった。
その頃になると、戦は負け続けだし、配給も雑穀の混ぜものが入ったりして何だかおかしなことになり始める。いくら新聞が連戦連勝と嘘をついたところで、民草はみな、真実を悟りつつあった。
月之宮家から軍に仕えて、呪いの仕事をやっていた信次は、最後の辺りでは口から血を吐いた。衰弱も激しく、咳も含めて結核を疑われたが、療養所へやるのは家族含め親戚中が反対をした。
人間の病にかからない青火には関係のない出来事ではあったので、なるべく小まめに病に伏せた信次のそばに居てやることが多くなった。
「……ま、た。サイコロを振ってるんですか。青火」
「ああ。まあな」
「……いい、加、減に……しないと、今度は、青火が、こう、なりますよ」
図星の発言を信次からされて、青火は手の中に入れてあるサイコロを、懐にしまい込む。
「そうなったら、そうなったまでのことだ」
「じ、ぶんだって、こうなるまでは、そう思っていましたよ」
「じゃあ、今は違うのか?」
「……人を、呪ったりするんじゃなかった」
ここは、月之宮邸の一室。どんな弱音を吐こうとも、咎めたてる者はどこにもいない。ましてや、もうじき亡者の仲間入りしそうな病人の吐く言葉など、注視する奴はいないのだ。
「……それが信次の本音か?」
「青火さま、人を呪いすぎるということは、ね。身体の内側から腐っていくんですよ。通りで禁術になっていると思ったら……っ」
「いいや、大丈夫だ。お前の身体は腐ってなんかない」
「でも、自分の肺はもう使い物になりませんよ」
「いつか良くなる。その日を信じて待てば、いつかは良くなっていくから」
「青火様、慰めの言葉をありがとうございます」
慰めの言葉なんかではない。
と、言ってやれたら、どんなに良かっただろう。
呪詛の言葉を紡ぎすぎた信次の体が、肺から患ったことにどんな意味があるのだろう。
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