悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆59 柳行李 (1)

 明けて新年早々。
 狐は、聴こえてきた歌に目を眇めた。
己の耳を疑ったが、低い男性の声は確かにこう歌っていた。




 ――オツペケペーオツペケペツポーペツポーポー


「……どこのどいつだ」
 苛立ちながら月之宮邸の庭先に下駄を履いていくと。
日本庭園のど真ん中で、幼児に古い歌を聴かせているスーツを着た男がいた。


「――うわべの飾りはいいけれど、政治の思想がけつぼうだ!天地の真理が分らない、心に自由の種を蒔けっ、あ、オツペケペ――」


 よりによって梢佑に、新年の松の内からオッペケペー節を教え込もうとしているようだ。
 ……それが知り合いのアヤカシだということに気が付き、キレた青火はしゃがみ込んでいる雪男の背中を蹴っ飛ばした。
薄く降った雪によってしけった地面に、そいつはズシャアっと勢いよく転ぶ。


「燃やされたいか、柳原」
「……ちょい待ち、冷静になれって!」


「火葬場に行く手間を省いてやるだけ、心の底から安らかに感謝しろ」
「本当に月之宮本家以外には、あんた鬼畜だな!」
 青火は、叫んだ雪男をげしっと下駄で踏みつけた。
 意味が分からん。


「ほら、頼まれた物を田舎から届けに来たんだから!むしろ褒めてほしいくらいの心境だぞ?」
 雪男が行李こうりを指差すと、


「梢佑のことは、それと別問題だ」
「単にオレをしばきたいようにも見えるんだが……」
「お前を呼んだのが僕自身じゃなかったら、池に沈めて鯉の餌にしていたところだな」


 未来ある子どもの価値観は広い方がいいと思うんだがなあ……と柳原が微妙そうな顔をしていたので、青火はぎろりと睨み付けた。


「それで、うちの梢佑が兵隊の前で無邪気に歌ったらどうしてくれる!馬鹿な人間に酷いことをされると分からないのか」
「……かといって、今の風潮もどーかと思うぞ?戦争になっちまったもんは仕方ないが、すっかり政府が軍に乗っ取られてるのはマズいだろ」


「関係ない子どもを巻き込むな。そういうことは、戦後になってからやれ」
 青火が腕組みをして言うと。


「他所の子に同じことしても大して怒らんだろうに……。
青火さんが月之宮限定で豹変するのはどうにかならんかね……」と、柳原がこっそり呟いた。


 彼が立ち上がって、ズボンについた砂を払っていると――ゴムマリを持った梢佑と目があった。


「……だいじょ?」
「たはは、オッサンは大丈夫だ」
 心配してくる幼児。ほんわかと癒される雪男。


「すごくいい子だな、青火さん」と。
相好を崩して、幼児のほどけたマフラーを巻きなおしてやる。きゅっと落ちないように結んであげた。
 梢佑は白い息を吐いて。舌足らずに、ありがとうと笑った。


「当然だ」
 青火は、少し自慢気に笑う。


「オレにもこういう子どもが欲しいわー、本当に」
「無茶を言うな。アヤカシの子なんて滅多なことでは産まれないだろう」
 独身の雪男が心からの願望を口走ると。狐は冷たく返した。


 長い年月を見てきたが、余程の奇跡が起こらない限りアヤカシの実子は産まれない。アヤカシ同士では絶望的。神族や人間との間で辛うじて、といったところだ。


「確率を弄る芸当ができんのに、なして、こればっかはどーにもならんのかね……」
 ……身体のつくりが、生殖に向いていないのだから諦めろ。
 狐は呆れた。


「嫁を迎える気もないくせに何を言うんだか」
「いや、貰うつもりはあるぞ?……いつも気になった娘さんが、声をかける前に嫁いじまうだけで……」
 雪男は、遠い目で情けないことを言った。


「たかが女に話しかけられないなんて、お前は本当にアヤカシか!このヘタレが」
「遊郭に行けば、そのへんが成長できると思った時代がオレにもありましたよ。お狐様」


「……そこで柳原が身ぐるみ剥がれてから何十年たったと思ってるんだ」


 浅草の辺りで、帰りの旅費がなくなった雪男が行き倒れていたのを発見したのが、この青火と柳原の初めての出会いであった。
 ヘタレ雪男が、百戦練磨な娼婦に反撃することができなかったのが全ての原因である。補足するなら、不健全アダルトなことも全くできなかったようだ。






「ん、お迎えか?」とその時、柳原がひょうきんな声を上げた。
 青火がそちらを向くと、日本庭園に梢佑を探しに来たメイドがいた。かなり慌てた様子で、悪い人間にさらわれてないかと焦っている。


 梢佑は、柔らかいゴムマリをはずませて遊んでいる。
 どうやらこの幼児は、大人の目を盗んで外遊びにとび出してしまったようだ。
 羽織っているコートをよく観察すればボタンが一個ずつずれて、掛け違いになっている。子どもなりに、自分で着ようと頑張ったのだろう。


 元気すぎる梢佑を見つけたメイドは、これまで柳原が面倒をみていたことを悟ると、「すみませんでした!」と大きな声で頭を下げた。
月之宮邸に働いている使用人の中でも、かなり若い娘にみえた。
 柳原がアヤカシだと気付かぬままに、彼女は慌ただしく梢佑を連れて屋敷に戻っていく。




 ……あ、可愛い。
 そのメイドの後ろ姿を眺めて、柳原は久しぶりの胸のときめきを感じた。
旅先の出会いではあったが、白いエプロンの似合う素敵な娘であった。
 この屋敷の人間に詳しい青火にドギマギと訊ねる。


「……あ、青火さんや、あの女の子の名前を教えてもらっても――」


 青火は、妙な表情になる。


「……あれは、今年で40半ばになる女だぞ。旦那と、3人のでかい息子を育てている母親だ」
「………………え」


 木枯らしがひゅーっと吹く。
メイドに一目惚れしかかっていた、雪男の目が死んだ。







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