悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆41 二重空間で男は、ドジを踏んだ





「――――月之宮……」
 鳥羽君は、ぜい、と息をつく。


「…………巻き込んだみたいで、わりい」
 水責めに遭った彼は、ぐったりとしていた。眉間にシワを寄せて、呻く。


「……へえ。悪あがきは、もういーんだ?」
 全身を泥だらけにして、
瀬川は、愉快だと笑って学校のグラウンドに立つ。
 少年、――――チャイルド。
好奇心でアリの巣に水を流すように。カエルの腹を解剖するみたいに。
命を潰す意味を、こいつは知らないんだ。


 私は、唇を震わせて云う。
「……どうして、鳥羽君を殺す必要があるのよ――っ」


「だって」
 瀬川は、冷たい眼差しを私へ向けた。


「コイツ、ボクの欲しいものを、みんな持ってるんだもん」
 瀬川は、口端を歪めて思い切り水たまりを踏みつけた。
泥水が、スニーカーに染み込んで、スラックスの裾をびしょ濡れにする。
マッド、マッド、――――マッド!


「……可愛い女の子とご飯食べて、部活の仲間がいて、クラスメイトに慕われて。ってさあ……アヤカシのくせに、コイツ色々おかしいじゃん。
――なんで、命がけで陰陽師がピンチに助けにくるんだよ、月之宮さんを好きなのはボクじゃないか。
なんで望んでもいない、こいつがボクの欲しいものを全部手に入れるんだよ!!」


 そう八つ当たりのように叫んで、水たまりを蹴飛ばした。
 波打つ。飛沫が散る。


「ボクがスカート脱がそうとした時の態度、見ただろっ……このカラス、月之宮さんに恋してすらいないじゃん!そんな奴におこぼれをやるのは、絶対いやだね!」
「ちょっと、スカート脱がす為だけに殺すわけ!?」
 最終的な結論は、脱衣のためじゃないの!そんな残念な発想で臨終したら、鳥羽君の人生って何だったのよ!?


「だって、こいつボクの知らない月之宮さん、その脳みそに詰まってるんだよ!?絶対青春メモリー異常に充実してそうだもん」
「そのわりに、私を殺そうとしてたじゃないのよ!」
「なんか、かなり楽しかったから」
 てへ、と瀬川は小首を傾げた。


 やっぱり、なんとなくで殺そうとしたんじゃん!
 もう、やだコイツ!


「…………おい、俺帰ってもいーか?」
 鳥羽君が充血した目をこすって、あぐらをかいた。


「案外、月之宮が彼女になってやれば、満足して更生するかもしれねーぞ。コイツ」
 命の危機に、随分余裕な態度ですねえ!
 半目の天狗に、瀬川が頬を膨らませた。


「お嫁さんじゃなきゃ嫌だね」
「だ、そーだ」




「鳥羽君が、友達になってあげればいーじゃないの!」
 私が爆弾をあずけようとしてくる天狗を道連れにしようと、そう云うと。
 カワウソは笑顔でのたまった。


「アホカラスはこの世から要らないよ」
「月之宮。俺、こいつマジでぶん殴りたいんだけど」
 鳥羽君が、引きつって言う。目が本気だ。
その気持ちは、すっごく良く分かる。やるなら、私の分までお願いしたいくらいに。
 というか、友達を選べる身分にあると思ってるのか。このカワウソ。


「そもそも友達ってのは、量より質じゃん。やっぱさあ……、粗悪品ばっか揃えたって、見栄えしないもん」
「……それ、お前にブーメランしてるぞ」
 瀬川の得意気な発言に、鳥羽君がとても嫌そうに言った。


 熱帯魚や野菜の苗を厳選するみたいなことを云うな。それに加えて、倫理観のすこぶる欠如したカワウソ自身は、粗悪品どころのレベルじゃない。
 鳥羽君の言葉を受けて、瀬川はキョトンとした。自覚ないの!?


「え、これって常識だろ?」
 瀬川は、頭大丈夫かよ、といった口調で私たちに言った。
こいつから『常識』という単語を出されると屈辱的な思いをするのは、私だけかしら。
……いや、もう1人。
似たような心境にかられている天狗が、生ゴミを見るような目をカワウソに向けていた。


「……俺、こんな奴に殺される為に生まれたのか」
 ついに鳥羽君が、自嘲気味に呟いた。死んだ魚のごとき瞳になっている。
煮るなり焼くなりって具合に脱力してしまっている!


「喜べよ、名誉じゃん?」
 お前はもう黙れよ!
 カワウソは、凶爪を見せびらかして。ぎゃは、と笑った。


「安心しろよ、苦しまないように首をかき切ってやるからさあ。綺麗なヴァージンロードにしてやるよ」
「……そーかよ」
 猟奇的なセリフ。
 瀬川はゆっくり鳥羽君に近づきながら、目を輝かせて嗤い。




「そうしたら、白いワイシャツ一枚の花嫁さんに素足で踏んでもらうからさ。多分すっごい絶景にな――――、」
 私が叫びそうになって、凶行を止めようとした瞬間――――。


 ――――空気が、氷点下にまで凍り付く。
 鮮やかな紅を覚悟した視界に、圧倒的に飛び込んだのは……、白花に染まっていくセカイだった。


「…………」
 瀬川の、動きが止まった。


 白茶の髪をした少年は、驚きながら己の足下を見て。目を見開く。
泥のついたスラックス。その下半身からスニーカーにかけて、行動を阻むように分厚く濁った氷がまとわりついていたからだ。
 ピキ……、パキッ
 突然現れた現象は、瀬川の身体が動かなくなるほどに氷の拘束を広げていく。茶色のくせっ毛には……なんと霜が浮かんできた。
 グラウンドに、吹雪が駆け抜けた。アラレや雪が降ってくる。


 一筋の煙草のけむり。
グレー。スマートフォンを片手に。


 ――――泥沼になっていた校庭が、荒れたスケートリンクのように一斉に凍り付いた。


「――や、」


 男は、口端を釣り上げて片手を上げる。
クシャクシャの灰色の髪。吸い終わった煙草を地面に投げ捨てた。


「柳原先生……、」


 私が呟くと、バツが悪そうに笑って。
柳原政雪はくたびれたスーツを着て……グラウンドにできた霜柱を踏みながら、こちらに歩いて来た。


「悪かった、二人とも。マナーモードにしてたら、東雲の電話に気付くの遅れちまった」
 …………。
 雪男はそう言って、「申し訳ない」と頭をかいた。
 聞きたいことは色々あるのだけど。こみ上げるのは……。


「おい、泣いてくれるなよっ
ここで泣かせたら、オッサンが東雲に殺されちゃうからな!?」
「なき、まぜん……」
「……って、うわちゃー。怪我もしちゃってんのか!」
 私の涙腺の緩みかけた姿を見て、雪男は「うっかり、で済まねえなあ……こりゃ」と顔色が青ざめた。


 ――バ、キンッ
聞こえた硬質な音に振り返ると、
不機嫌そうな瀬川が、己が閉じ込められた氷を流水で溶かそうとしている光景があった。


「……どうして、柳原がここに居るんだよ」
 顔を歪めた瀬川に、柳原先生は返事をした。




「だってオレ、これでも教師ですから」


 アヤカシ、柳原政雪。
私立慶水高校の『教師』である雪男は、ニヤッと笑って私たちへそう言ったのだ。







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