悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆37 水も滴る抗戦少年



 ……ああ、これは悪い夢だ。


 だってそうでしょう、私はこんな大それた秘密なんか知ってやいなかったんだから。
ゲーム知識には載ってないことが余りにも多すぎるじゃないか!と誰にともなく文句を叫び、抗議したい気持ちで一杯になった。
役に立たないデータばかりを囁いた予知夢は、全部まやかしであったとでもいうのかと――信じていた舞台ゲームがバグって崩壊していくのに裏切られた思いにすらなって。




 私は、ひどい見当違いを自覚した。


 この世界ゲーム個人情報キャラクターデータや世界観を知っていたからといって、そこに記されていることだけが全てじゃない。そこの記載漏れは0にはならないし、なりえない。


 『魅了しましょう☆あやかしさま!!』の恋愛ストーリーは、どんなに遅くとも高校卒業のタイミングでENDを迎えてしまう。それが意味するところは元から、白波さんという語り部が高校在学中の限られた区間で見聞きしたことで物語ができているということ。


 少女漫画やアニメのビジュアル的な目線と比べると、乙女ゲームやギャルゲーを含むPCノベルゲーは一人称の要素がとても強い。
 当然ながら一人称の視点で進行するということは、主人公・語り部の視点からでしか世界を覗けないということで、つまり語り部が知らない情報は公には明るみにでないということである。


 余りにも私に都合のいいこの予知夢は、未来の白波さんが高校生活の間で体験するはずだったことしか教えてくれない。恐ろしい落とし穴だったというわけだ。


 なんという凡ミス。舌打ちをしたくなった。
 アヤカシたちが、食欲がきっかけで白波さんの近くに寄ってきていたとしたら。そんな魂胆べろりと喋ったらロマンチックな恋愛ストーリーになんかならない。ご馳走争奪をしている醜い男共にしか見えなくてげんなりするだけだろう。
 それとも、逆ハーレムを現実化したら生じてしまった補完現象なのだろうか……。


 きりのない考察はいくらでも頭を悩ませてくれそうだけれど、そんなことは革靴ローファーのつま先で蹴っ飛ばしてしまった方が良さそうだ。


 目の前のカワウソが、私の敵であることには変わりやしないのだから。


 一触即発の空気。
 窮地に陥ると走馬灯が駆け抜けていくことがあるという。今の私ときたら、いつそうなってもおかしくないぐらいにピリピリ張りつめて。血潮が勢いよく送り出されている。




「……白波さんを、たべる、の?」
 遠野さんが瀬川に訊ねる。舌が震えて恐れに上ずったような声だ。


「……私、学校から追い出して、欲しいって言っただけだよ……、
殺して、く、くれなんて、一度だって頼んだこと無かったはずなのに」


 嘘であってほしいと、懇願をカワウソに向ける。
遠野さんはこの白茶髪の美しい男子生徒が、人の姿をとった凶悪な怪物だとようやく気が付いてしまったのか蒼白な表情になっていた。


「結果は似たようなもんだろ?お前は、これを視界から消したくて。ボクはこれを食べたい……ちょっと行方が腹の中になっちゃうだけさ」
 瀬川が肩を竦めると、遠野さんは愕然としたようだった。


「……私は……、殺すつもりなんかじゃない……」
「利害は一致してるじゃない、憎かったんだろう?好きな男がこの娘を構っているのを見て、泣いていたじゃないか」
 瀬川は、飄々と言ってのけた。
人間とは根本から感性が違っている妖怪の語る理屈に、遠野さんはただ目を見開いた。


「…………、」
 彼女は言葉を失う。人を殺すことに躊躇いを感じぬ、この少年の言動を理解することすら精神が拒んだのだろう。
 遠野さんは、心は荒んでも平和に育った人間の少女である。良心の最大の禁忌である殺人を許容することなんて耐えられない。そこまで狂っちゃいないんだ。


 瀬川は、冷え切った空気に唇を舐めた。
慶水高校の新しい神になったカワウソは、そういった機微や思いやりに欠けている。


「……もっとも。その目的も、今はもうどーでもいいんだけどね。
もっと魅力的で欲しい土産を見つけたから、場合によってはその愚かな娘を喰ふのを止めたっていいくらい。とびっきりの奴さ」


「ねえ、月之宮さん、ボクと取引をしない?」
 私に向かって、瀬川はそのようなことを言って。


「もしも、君がボクの望みを叶えてくれるんだったら、そこの娘を見逃してやったって――、」




 瀬川は、陽気にそんな交渉を喋り続けようとしていたようだったが――。ふと中途半端に文脈を途絶えさせた。
……彼のふんわりとした髪が、わずかに逆立つ。濃緑のアーモンドアイと瞳孔が大きくなり、危機を察知した獣のように眉尻を吊り上げた。


 咄嗟の反応だろう!
瀬川は泥だらけのスニーカーで路面を蹴って、後ろに大きく飛びのいた。勢いあまって3メートルくらいの高さで宙返りになる。
 ミルクブラウンの髪が舞い、素早く軽快に退避すると――。


 肌に触れる空気が動いた。ごう、と風の唸りが耳に届いた瞬間、
空からの一陣の衝撃が、瀬川が先ほどまで立っていた場所に力強く叩きつけられた!!
付近に転がっていた小石がみんな弾かれてしまう。今の威力で一回りは欠けてしまったものもあるだろう。




「……あ、」
 恐らく、このあおりだ。
遠野さんが、自分のスカートのめくれた端がスッパリと切れてしまったのに気づき驚愕を漏らした。


彼女が指先で厚い布地ポリエステルの切断面をゆっくり触れると、そこからは太ももの付け根があらわになる。
 その日焼けしていない肌には一筋の切り傷ができてしまったらしく、生足からじわりと赤い血が滲んで。わずかな粘性を帯びて滑り落ちた。
……不幸中の幸い、深くはなさそうだ。
制服のスカートは軽いスリットが入ってしまったが、煽情よりも痛々しさが伴う光景だ。




 風刃、かまいたち。
名残の黒羽根が数枚、地上へと舞い落ちた。




「……てめえを殺しにきたぜ、瀬川」と。


 天から滑空した襲撃者は底冷えのする声でそう告げた。
バサリと広がった彼の両翼は艶やかで、漆黒に藍色の光沢がある。




 瀬川を不意打ちした天狗は、私と白波さんを見つけてホバリングしながら顔を歪めた。
その姿といえば、川にでも落っこちたようにずぶ濡れになっており、二の腕をたくし上げたワイシャツは透けている。
濡れた髪の一房を、鳥羽君は鬱陶しそうに手で払った。水を含んでいるのは黒い長髪だって例外ではない。
 私は、癪なことにも安堵に息を吐いた。
安否を心配してはいたけれど、彼の気力体力は残ってそうだ。少なくとも空を飛べるぐらいには。




「月之宮さん、あの、あのっ」
 白波さんが混乱の極地で泡を食っている。お友達の鳥羽君の背中にカラスや鷲よりも立派なツバサが生えているのだから無理もない。
私は、意を決して言う。
「白波さん。驚いてもいいけれど、とにかく今は聞きなさい」


 風の音が止んだ辺り一帯に。
 鳥羽君は、私たちの前に着地して己のツバサをたたんだ。その艶やかで黒々とした風切り羽は紛れもない人外の証明である。
 アヤカシが隠し続けてきた嘘ばかりで、積み上げられてきた白波さんの幸せな日々を振り返れば――それは傷ましい真実だった。




 どうか、彼の人外の正体を受け入れてあげてほしいと思った。
後ろ暗いことに、逆であってくれたらいいのにとも少しだけ思った。


 少女は人外の姿を直視せざるを得なくなった。……永遠に続きそうに思えた芝居フィクションは、お終いになってしまったのだ。
彼の演者は人という仮面を放り捨てた――。この胸の痛みと共に、粉々になってしまったのは果たしてなんであったろう。
 静寂の中で、私は平然とした顔で己の心を踏みにじるようなことを言った。


「鳥羽君は、人間じゃあないわ」
 彼女は悲鳴は上げなかったものの、その真実に絶句した。
 人外の天狗、鳥羽杉也はいつものように制服を着て目の前に立っていた。
浮世離れした黒翼と対比して見えるぐらいに漂白された、しわくちゃなスクールシャツに袖を通していた。
その姿を見つめる白波さんのひたいを、しどとに本降りになった雨が濡らしていく。


 今の声が聞こえたのだろうか。
天狗は苛立たしげに私へと言った。


「……お前、いつから知ってた」
「最初から」
 私はため息をついてしまう。
最早、こっちだって誤魔化す気なんてない。


「そんじゃあ、俺は道化じゃねーか」
 ハッ、と不敵に笑って。
鳥羽君はちょっとやつれながらも、未だに折れぬ闘志で私と白波さんに告げた。




「巻き込まれて死ぬなよ、てめえら」


 そんな無茶な!? 物騒な宣言に私はぎょっとしてしまった。
茫然自失の女子高生2人と、慌ててどこに逃げればいいのやらっ





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