悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆32 ロストライン







 よくよく改めて考えてみたら、
学校という施設は、元から神社の設備と似通った共通点がいくつかある。


 校門や鳥居を通らなくちゃ敷地に入れないのもそうだし、杉の木も少しだけど裏庭に植えられていて、大きな校舎はまるで社みたい……しかも、校内には山ほどの鏡が水道と一緒についている。
 鈴はないけれど、チャイムなら放送室から流れてくるし、授業のたびに皆で会釈やおじぎをしているのだ。学校のフィールドは社なんだとこじつけるのは、不可能なことじゃない。


 唯一足りないのは、神様がいないことぐらいだけれど――その空いているポストに大妖のカワウソが無理やり収まったのだとしたら、どうなるかなんてもう想像がついてしまう。


 全校生徒が、この学校に瀬川松葉という神がいることを、あの魔法陣を見て間接的に植えつけられてしまったのだとすれば。
 毎日の登下校で、校門(鳥居の役目をしている)を潜って通過していくごとに、参拝者としてカウントされていく仕掛け(システム)に現在進行形で利用されてしまってることになる。
もうこれまで総計何人が参拝してしまったのかを想像したら……。


 二度目に会ったカワウソの気配が不穏なものとなっていたのは、何も知らぬ生徒の通学から信仰を収穫できていたからだ。
 すでに神となった彼は、夏休みに入るまでの登校日、その間をのんびり待っているだけで、ドンドン力を底上げしていくことができる。あの余裕な表情は、そういうことだったんだ。


 柳原先生が甲骨文字の蔵書を隠してしまったのは、できる限り生徒に、あのマークが言語の一種だと自覚させたくなかったのだろう。
古代に呪術や占術に用いられてきた甲骨文字自体の霊性が悪用されたのなら、恐らく神名の暗示の可能性が高い。




 その推測の衝撃に、乾いた目を伏せる。
ドライアイになりそうな瞳で、険しく見つめるのは手の中のスマートフォンだ。かなり緊張しながら、登録したてのアドレスを開く。


【鳥羽杉也】


 画像もない、そっけない文字列。
思い切って指先で通話アプリを押すと、耳に機器を触れさせた。
 何を話すのかは混乱した頭でまとまってやいなかったけれど、ただ彼の安否が不安になって、その腕っぷしを知っていても胸騒ぎがした。
 何回か繰り返されたコールは、
しばらくすると、それは留守電機能に切り替わってしまった。眉を潜め、焦りながら3回ほどしつこく挑戦してみたものの、繋がることはない。


 ――くしゃりと、顔を歪める。


 落胆と、この苦い焦燥感をそう言い表せばいいのだろうか。
 手に余り過ぎたこの状況では、優先順位を算段することが大事になる。あれは人間ではなくアヤカシだ、天狗なのだ。


 人間ならば、そこらの舗装道路の上を歩いているかもしれないけれど、鳥羽君の背中には立派な羽がついている。がむしゃらに辺りを大声で探しまわっても、相手が空を飛んでたら徒労に終わるだけじゃないか……。
 多分鳥羽君が追いかけたのだろう、瀬川松葉の行動の自由度も広い。放課後の現在は、学校のタイムスケジュールから外れているため、生徒個人の行方を推測するのが困難だ。
 規格外な2人が図書館を立ち去ってから、何分が経過していると思ってるのよ、私は。


 ……そこまで考えて。あることに気が付いた。
 ちょっと待ってよ、彼らはどこにいるわけ?
この学校にいたはずの残り2名のアヤカシと、ここ数日私は会ってない。
 妖狐、東雲椿。
 鬼、八手鋼。
 三年生として在籍している彼らが、こちらにコンタクトをとらずに不気味に沈黙していることに思い至り、唇をぐっと引き結ぶ。


 瀬川松葉の思惑に東雲先輩が気づかないとは思えない。
白黒の分からない曖昧な存在である彼が、もしもカワウソに手を貸しているのならば……、そういえば、あの人、昔は神様だったとか言ってたっけ。


 どこまでも怪しい。
 策士の才能もありそう。


 狡猾そうな東雲先輩に連絡をとるのは、とんでもなくリスキーにしか思えない。
 それに、あの2人の電話番号も知らないし。鬼の感性だって只人とずれまくっている以上、交渉が上手くいく自信もない。
可愛がっている白波さんの傍に2人が現れないというのが、すでに意思表明なのではないだろうか。
 それとも、私が勝手に被害妄想に取りつかれているだけ……?






 節電モードで消灯したスマホを持って、螺旋階段を上っていく。第二資料室の扉を開けると、夕霧君が黒い布団をかぶって寝息をたてていた。よっぽど根を詰めていたんだろう、眼鏡をかけたまま爆睡している。
 机では希未がライトノベルを読み進めていて。紅茶を小花のカップに注いでいる白波さんが、こちらに気が付いた。


「あっ、今お茶を淹れたところなの。月之宮さんも飲む?」
 アールグレイ。
 放課後の日常さながらの匂いと一緒に、白波さんは穏やかに笑った。彼女のカラメル色のロングヘアーがふわりと肩にかかっている。
一瞬だけ、その柔らかな空気に私は泣きそうになった。


「……あのさ、白波さん」
 貼りつけたような笑顔を向けて彼女に声を掛ける。
白波さんは丁度もう1セットのティーカップを取り出そうとしたところだったけれど、「なあに?」と振り返る。


「今夜、私の家で夕飯食べない?」そう私は言った。
 きょとん、とした彼女に、微笑んでたらし込みにかかる。


「私、白波さんともっと仲良くなりたいかも」
 白波さんの大きな瞳に一等星が輝いた。


 ……今日一日で、随分と自分の首を絞めたこと。
 この学校から逃げ出した後の、緊急避難的な白波さんの保護である。ヒロインである彼女が狙われるという保証はないのだが、鳥羽君の逆鱗をこの非常時に放置するのも怖い。


 命の重みはみんな等しい、と言いたいところだけど。
 白波さんが死んでしまったら、キレたアヤカシによって一般生徒に被害が及ぶ可能性があるのだ。人外による大戦争が学校で幕開けになるかどうかの、瀬戸際だ。
 近日中に、無理やり我が家の権力で私とセットで転校させるのも視野に入れた方がいいだろうか。社にされた我が校を潰すかどうかは日之宮と相談しなければならないけれど。


 もし、全ての予測が外れていたとしても、鳥羽君と落ち着いて連絡がとれさえすれば、単なる夕食会として青春のアルバムに残るだけなのだから。白波さんだって損はしない。


「希未も、一緒にどう?」
 そう私が誘うと、「りょーしょう」と半ば上の空に希未は呟いた。友人はファンタジックなラノベを睨んでいる。よほど面白いらしい。友達の希未まで月之宮邸に連れていくのは、完全に私情からの行動だと分かってはいる。


 希未は昨年からちょくちょく我が家に出入りしている。
 父子家庭でアパート暮らしの友人は母の手料理が大好きであるし、両親も彼女には好印象を抱いているのだ。


 兄と希未は、いつも互いに嫌味をいいながらテレビゲームで対戦していた。格闘ゲームやカーレースの勝負は希未に分が悪かったが、たまに兄が負けるとしつこく彼は再戦を要求した。女嫌いな兄と男が眼中にない希未だったが、負けず嫌いな部分は通じ合うものがあったようだ。
これはこれで、仲が良かったんじゃないかと思わなくもない。


 ありがたくも、女子2人の合意を得られたので、速やかに母に夕食会の準備をお願いするメールを送った。3分ほどすると『それなら、今日はお寿司をとるわ!』とはしゃいだ咲耶さん(母)から返信があった。ハートの絵文字が乱舞している。ひどく急なお願いにも関わらず、女友達と私が仲良くしている光景が見られることがとても嬉しかったらしい。
 自分の友人の少なさが反映されているようで、ちょっと悲しい。


 気を取り直して。その手回しをした後に、山崎さんに電話をかけた。
雑務を取り仕切る執事長をすっとばしたのは、彼の察しの良さを見込んでのことだ。
『……急な展開で悪いけれど、学校から月之宮にお客様をお連れしたいの。段取りをできるだけ早くお願いするわ』
と含みを持たせて連絡すると、電波の向こうの山崎さんの空気が変わったのが分かった。本当に、できる男。


 私の運転手になってからの心霊トラウマ体験によって、月之宮(裏)の理解者にさせられてしまったともいうが……。よく辞表を出さないでくれているものだと、たまに拝みたくなる。


 段取りがスムーズ過ぎて逆に怖くなった。こんなに都合よく進むものか、と。なんとも贅沢なことを考えている自分に、失笑してしまう。




 山崎さんの準備が整うまでは、……また、白波さんと希未を警戒させずに我が家へ案内するためには、あと30分以上は時間をおいた方がいいだろう。


 カワウソはこちらに、いつでもチェックメイトをかけられる。チェスボードは私立慶水高校、戦力差は明らかに劣勢。
余り急いで行動すれば、校門の前で山崎さんを待ち続けることになる。鳥羽君がカワウソの注意を引きつけてくれているのなら、悪目立ちせずにそれとなく白波さん(キング)を逃がすことを考えればいいだけ。
真っ向勝負で、私が瀬川に勝つ望みなんてない……。


 頼むから、全て取り越し苦労であってほしい。
怪奇小説の読み過ぎとか、最近話題のゲーム脳や中二病ってやつになっちゃってるとかさ。


 名探偵シャーロック・ホームズの事務所のあるベイカー街は、霧の都・ロンドンにある。作中描写にも度々登場して、シャレた響きも感じられるそのスモッグは、実際の正体は石炭を燃やした微粒子やなんかでできた公害だったんだとか。
 だから何だという話しだけれど、今の私の気分といったら正にそのような毒気のある陰鬱な心地で。
この判断でいいのだろうか、と迷って。そんな己に苛立っている。


 重苦しく私がパイプ椅子に座っていると、しばらくして、華奢な指先によってティーカップが差し出された。私の手とはまるで違う、荒事を経験したことのない肌だ。
 カップの中に入った紅茶が、ゆら、と波紋をたてる。一瞬戸惑うと、白波さんの色素の薄い瞳があった。
彼女は、優しい眼差しでにこっと笑う。


「……ありがとう」
 苦笑交じりに、お礼を言って白波さんの心配りをいただく。カップに口づけると、ホットティーに舌がちょっと火傷しそうになった。


 省電力に画面が光るスマホに指先を当て、私は未練がましくアドレス帳に載った鳥羽君の電話番号を眺める。
これ以上、連絡してやる義理もないし。彼のスマートフォンが瀬川松葉に奪われていないとも限らないけれど……。




 ええい。
散々逡巡した挙句、私は彼の電話番号をもう一度タップした。不合理な感情がこねくり回した理屈を乗り越えてしまったのだ。
期待していたのかも、しれない。彼が日常の範疇で過ごしていることを。


 RRRRRR、と鳴るコール音。


 大した用もないのに電話して来るんじゃねえ、と後で学校で文句を言われるかもしれない。その不満げな彼の声色が容易に想像できてしまった。
いやいや、勝手にアドレスを私に教えた白波さんが怒られる方が先かしら……。




 先ほどよりも短い時間で不意に、その呼び出し音が途切れた。
 耳に語りかけた声は隣の席の男子じゃあなかった。ぶっきらぼうなテノールは影も形もない、機械めいた女性のボイスだ。その音声が無感動で事務的なトーキーを淡々と発する。




『――おかけになった電話番号は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、かかりません』




 ……え?
そのフレーズに。私は自分の鼓膜を疑った。


 いや、いやいや……、この情報インフラの整備されきった現代日本での圏外って、殆どあり得ない。どこの山奥に瞬間移動したってのよ。
いやあな予感に、表情筋が引きつった。


 まさか、さ。


 ――現実的に考えよう、うん。
 ほら、病院とかにお見舞いに行ったとか……、地下鉄や電車では使わない主義とか……。さっきの不審電話に電源を落としたか着信拒否したとか。
ゲームのし過ぎで、運悪く電池を使いきっちゃったとか。よっぽど古いバッテリーを……って、あの機種ってかなり最新のものだったような。
 考えすぎ、よね。そーよね。雑妖にあんだけ無双してた天狗だもんね。多分くっだらない理由でOFFにしてんのよ。


 なんとか平和な理由づけをしようと試みてみるものの、血圧が下がっていくのが分かる。シリアスという名のメリーさんがひたひた忍び寄る足音が聞こえる。
 そのトーキーを何度も反復していると。


「月之宮さん、お代わりいれるね」
 鳥羽杉也の圏外通知。
 その事実に、ただ放心状態で通話アプリが終了してもスマホを持ち続けた私に、白波さんが近寄ってきて二杯目のお茶をポットから給仕してくれた。彼女の内まきで柔らかな髪から、甘い香りが漂ってくる。どこか記憶の根本を揺さぶる、清楚な花の匂いだった。


 手元のストレートティーが徐々に熱を失っていく。ぽっかり空いた、スチールのパイプ椅子が彼の不在を告げていた。


 ………………。
 このバカが、と無性にあの天狗に叱ってもらいたかった。
いつの間にか、アイツが近くにいない方が当たり前じゃなくなってたんだ。







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