悪役令嬢のままでいなさい!

顔面ヒロシ

☆21 神の去りし社

 駅の券売機で東雲先輩は私の分まで切符を買うと、さっさと改札を通っていった。
 目的地を確認する間もなく、すべすべした手触りの切符を機械に入れて追いかける。電車の中でも、私たちは無言で。でも切符の金額を見て、やけに馴染みがあるような額だな、と不思議に思った。
 そりゃあそうだろーよ。下りた駅に、私は脱力感を覚えた。


「……どうしました?」
 先輩は、私に問いかける。「別に、なんでもありません」仏頂面で言うと、彼は吹きだした。笑い声を上げるその姿に、私は半目になる。


「東雲先輩、私の家の最寄り駅じゃないですか。ここ」
 私の声を聞いて、ますます狐は笑いが止まらなくなったようだった。どこぞへ連れてかれるのかと緊張していた私の様子を、この妖怪はずっと確信犯で楽しんでいたのだ。おのれ。
 彼は、笑いながら本音を零す。


「すいません、つい意地悪をしたくなってしまって」
 ……あんたは私に優しくしたことなんてないじゃないか。


そうして、ようやく笑い終えた東雲先輩は、
「ここから、もう目的地は見えますよ。歩いていけば、十五分くらいでしょう」
 と、駅の裏手にある小高い丘の天辺を指差した。住宅街に囲まれたその丘には、鬱蒼とした森が広がっている。こんなに我が家の近場に、この狐の同類が生息していたというのか。
 あれ、そういえば。……たしか、あの場所って。


 軽々とスポーツバッグを抱えて歩く先輩に、私は言った。
「あそこって、廃神社じゃありませんでしたっけ」
「そうですよ」
 じゃあこれから行くのは、母が私に取り壊しが決まったと話していた、あの神社になる。


「アヤカシなのに、なんで神社に行くんですか」
 廃神社なら、べつに害はないのだろうけど。余り好き好んで近寄るようなものでもないだろうに。
 その疑問に、彼は呆れたような顔をした。


「本当に君は陰陽師ですか。僕の本性を知っていれば、答えは簡単にでるでしょうに」
 え、だって。あんたは狐で――、……キツネ?


「お稲荷信仰……?」
 私が呆然と呟くと、先輩は平然と言った。


「左様、僕は神社に行くのではなく、これから古巣へ帰るのです。君にはそれにご同行願いたい」
 心臓がどくん、と跳ねる。
 だとすれば、それがもし本当なのだとすれば……。




 私の目の前を歩く男、東雲椿は――この美しく冷酷で、ひどく性格の悪い金の狐は、かつて我が祖先が崇めた神であったのかもしれないのだ。








 参道の砂利道を踏みしめ、石階段を上りながら東雲先輩は静かに話した。


「元々、この地域は火の荒神を崇める風習があったんです。
戦国の頃までは、信仰が土着神として続いていたそうですが、時代の流れか、もしくは欲する願いが変わったか。狐を祀るようになったんですよ……それには、もしかすれば月之宮家の影響であったのかもしれませんね。


君も知っているでしょうが、陰陽道の開祖、安倍清明の母、葛の葉は狐でありましたから。陰陽道と稲荷信仰は全く違うものですが、同じキツネという象徴と荒神が入り混じって祀り上げられたのが、この一帯で暮らしていた妖狐である、僕でした。


この地域をずっと裏から統治してきた、月之宮家とは稀に交流することもありましてね。この神社が名を失い、僕が信仰を失くして再度アヤカシへと堕ちるまでは平穏な共存関係にありました」


 私は、長く続く階段を歩みながら、
「……じゃあ、私が陰陽師だって、ずっと知っていたんですか」と訊ねた。
「はい。何代も月之宮とは邂逅していませんでしたが、君の名ですぐ分かりましたよ。日之宮と並んで知名度の高い家でもありますから、鳥羽が気づかないのは只の不勉強です」


 東雲先輩の言葉を鵜呑みしてはいけないと理解してはいる。彼はあくまでもアヤカシであり、ヒトの心を惑わす存在であるのに。……その語りは、余りにも整合がとれすぎており、嘘をつくには突拍子もなさすぎた。


「ここに連れてきて、私を誰に会わせようと……」
 私が戸惑うと、どうやら報復するつもりはなさそうな彼が言った。


「……ああ、それを説明する前に到着したようですよ。月之宮さん」
 最後の一段を上がり、私が見たのは、まず、塗りの褪せた大きな鳥居だった。参道の石畳は欠けたり苔むしたりしており、境内は雑草がかき分けるほどに生えている。手水場には柄杓がなかった。肝心の社は瓦が剥がれた跡があり、あばら家同然になっている。
 廃神社というのは、こんな有様になってしまうのかと愕然としていると、東雲先輩は不敵に笑った。


「元神様の帰省ですから、ここは参道の中央を堂々と踏んでいきましょうか」
 ……ああ、参道の真ん中は神様の通り道だから、通っちゃいけないって教えのことですね。私は彼のセリフに呆れながらも、折角の機会なので鳥居の真ん中をくぐり抜けた。家主さんのお言葉ですから。


 東雲先輩は境内にスラリと立つと、手のひらをある方向へ向けた。


「会っていただきたいのは、この方ですよ」
 ……それは、1本の大樹だった。抱きしめるほどの立派な幹の太さをしていて、なかなか存在感のある植物だった。その揺れる枝の先で、重なりあう葉の形はやけに見覚えがあった。ついこないだ、和菓子にひっついてた葉っぱである。


「……さくら?」
 どっからどう見ても、桜の木である。杉が植林されてる中に、彩りを添えようと植えられたんだろう。人食い妖怪がこんにちは~、と現れなかったことに安堵しながらも、ますます自分がここに居る意味が不明瞭となっていく。からかわれるにしては、ちょっと手間がかかりすぎじゃないか。


「この桜は、ここの最後の神主さんが亡くなる間際に植えられたんですよ」
「……はあ」
 東雲先輩の言葉に、私は気の抜けた返事をする。木陰で日の当たらない境内は、私たち二人の存在しかないように、静寂に包まれていた。彼は、私に目を合わせて薄く微笑んだ。




「――君は、アヤカシがどうやって生まれるか知っているかい?」


 喋ろうとした言葉が、消えていく。
 必死に思い出そうとして、教本をそらんじても、記憶をひっくり返しても見つからない答え(アンサー)に愕然としてしまったからだ。
これまで積み重ねた亡き爺様の教えが、足元から崩れていくのを感じて。


「…………知りま……せ、ん」
 寒気がした。アヤカシを滅する手段しか知らぬ、己の無知に。
なぜ……、どうして今まで私は疑問に思わなかったのだろう。不自然なほどに、戦うことだけの知識しか教えられていないことを。




「……この桜は、アヤカシに成りかかっているんだ」
 先輩にそう言われ、私はぎょっとして眼前の樹木に視線を走らせた。今にも襲いかかられるかと思ったのだけれど、老齢の桜は枝葉をざわめかせているだけで。
 強ばった緊張がその平和な風景にゆるんでいく。


「どうして……」
 だって、普通のありふれた桜に見えるのに。
 東雲先輩は、どこか懐かしむような目をして私に喋った。


「この桜は、見て分かるように神社が廃される寸前に植えられたものでね。花を咲かせても、人々は不気味がって見てもらえないことが当たり前だった。自分のことを哀れだとも、寂しいとすら思えずに、毎年花を散らせていたのだけど……」
 彼はそっと目を細めた。


「ある日、一人の幼い神様がこの桜の花を見て、綺麗だとはしゃいでくれたらしい」
 私は、言った。


「東雲先輩のことじゃあ、なくてですか?」
「僕は、そんなに無邪気になれるような神じゃなかった」
 東雲先輩キツネは自嘲するように、話を続けた。


「……その神様の言葉に、この桜は生まれて初めて嬉しいと感じたらしい。
お側にいって、話ができたらどんなに幸せだろうと一目惚れしてしまったのさ。
きっと百歳になればつくも神になれるという噂を信じて、恋しさを育ててアヤカシに変じようとしていたんだ。……残念ながらそれが叶う前に、再開発が進み、来年の取り壊しで伐採が決まってしまったのだけど」


「恋しさを育ててって、それでアヤカシになれるんですか?」
 そのことに驚くと、桜の幹を撫でながら彼は応える。


「そうだね。……それこそが、先ほどの問いの答えでもある」
 東雲先輩は、ぞっとするほどの美しさで、ブルーの瞳を煌めかせた。
彼の呼吸までもが聞こえてしまいそうなほどに、神聖な静けさに満ちた空間で。




「僕らは大抵、絶命間際の感情から生まれるんだ」


 その、狐の言葉がこだました。
「ぜっ……、」
 物騒な単語に、私は息を呑み込む。


「残留思念となって世界に息づくほどの、強烈な感情が化生の核になるのさ。それが付近の器を拠り所にして身体を創る。ただ100年かけたって、アヤカシになんかなれないんだよ。本当なら」
「……でも、さっき成りかけてるって」


「だから、この桜は奇跡のような存在なんだよ。愛や恋でアヤカシになれた例なんて、この僕だって殆ど見かけたことがない。死ぬ前の感情なんて憎悪の類が圧倒的に多いのは、分かるだろう?」
「絶命ってことは、切られるときにアヤカシになれないんですか」


 陰陽師のくせに、私はそう口走っていた。ひどく矛盾に満ちた言葉でしかないけれど、頼むから教えて欲しかった。
そんな小娘の心境を察したんだろう。彼は優しく笑った。


「僕は、そうなってくれることを祈ってるけどね」
 そうであって、ほしい。
いくら捻くれた自覚があっても、こればかりは素直に思った。


「……その神様は、もう会いに来てくれないんですか」
「僕らのあの子は、可哀そうな神だったのさ。人間によって名を盗まれてしまったんだ」
 東雲先輩は、薄ら笑いで私に告げた。


「……え?」
 私の戸惑いをよそに、彼は持ってきたビニール袋からミニボトルを取り出した。封をあけて、少しだけ日本酒を桜の近くに張られた根にかける。華やかな麹の匂いと一緒に、狐のみやげは黒土に染みていった。


「無理やり神格を奪われてしまってね。もうこの社へ、自分の意思で来ることもなくなった」


 そうして厳かに、彼は言った。


「アヤカシは、生まれたときの感情に囚われ続ける定めだ。
……それだから、この桜はあの子への恋情を抱えながらここで待ち続けている。
会えなくなっても、……追いかけたくても、妖力の核になった思い出を頼りにずっと待ってるんだ。憎しみや、恨みを覚えても、あの日の嬉しさがずっと忘れられないのさ。
こんな、不器用な生き方しかできない僕らを、君は愚かだと思うかい?」


 唇をきつく噛みしめて、見上げてもアヤカシの表情なんか私には判らなかった。……どんなに目を凝らしても人間と樹木の意思疎通ができるわけもなく、どっしりとした大樹の貫録と見つめ合うことしかできなくて。
じわり、と墨が落とされたような感情が、心に滲んでいく。
妖怪なんて悪なのだと信じていたいのに、なぜか切なさばかりが、こみ上げてくる。


「分かり、ません」
 一言、やっとの思いで告げると、狐はゆるり、微笑んだ。


「この社と縁故のある月之宮の子供なら、この桜も慰めになるだろうと思ってね。君には随分年寄の感傷に付きあわせてしまったな……、これは、お礼の品だけど受け取ってもらえるかい?」
 彼はジャケットのポケットからラッピングされた小さな包みを取り出した。
ピンク色のふんわりとした包装に、金のリボンが留めてある。手渡された可愛らしい重さに驚くと、この場で開封するように促された。


 手の中に現れたのは、華やかな髪留めであった。薄く繊細な花弁を連ね、中央には小粒の真珠やローズクオーツが煌めく、白と桜色の花びらに白金細工が施された八重桜に私は目を丸くした。


「……これ、どうしたんですか」
 突然手元に転がってきた雅な髪飾りに、どう反応していいものやら、となっていると。東雲先輩は言った。


「ああ、君に似合うと思って京の細工師に作らせたんですよ」
 いったい、いつ準備したんだ。この狐。
 東雲先輩は、私の手から花飾りを拾い、いきなりこちらの黒髪に当てた。そして、満足げに言う。


「あいつはやはりいい腕をしていますねえ……ちゃんと今時分の娘の装いに合わせてありますし。君の黒髪にもよく映えていますし、これなら和装もドレスにも使えそうです」
 そして、ひとしきり眺めた後はまた、私の手におさめた。


「えっ、あの、なんでこれ!」
 私の声にならない問いに、東雲先輩は笑った。


「クッキーと今日のお礼ですよ、月之宮の姫には粗末なものでしょうが」
 あの焼き菓子の残骸で!?いつ八重桜の髪飾りなんて特注したんだ!


「さて、時間も残っていることですし。午後のデートコースはどうしますか?駅でタクシーを拾いますので、多少の融通はきかせますよ」
「……えっここ、私の家の近所なのに!」
「折角の休日に、これだけじゃ味気ないでしょう」


 どうやら本日一杯私で遊ぶつもりらしい狐は、上機嫌に元来た参道を戻っていく。彼を追いかける前に、ふと、私は目の前にそびえる桜の幹にそっと触れた。
かたい手触り――。しばらく間をおいてから、踵を返す。


 アヤカシに成りかかっているというのに、作り話かもしれないのに……。どうして、胸が締め付けられるのだろう。
 こんなに、純粋な気持ちを私は知らない。
 今なら、人間の為にしか咲けないソメイヨシノがどんなに、どんなに。哀れで健気な存在か痛いほどに分かったから。


 これからこの神社が、桜が辿る運命を想像するだけで悲しくてたまらなくなった。
取り壊しを阻んで、どうなろう。信仰を失った神社に、神の去ったこの場所は遅かれ早かれ終わりしか訪れることはない。
 名を奪われた神は、どこに行ってしまったのだろう。その神格は、なんのために奪われてしまったのだろう。その子は、この桜の恋を知ることもないのだろうか。


 東雲椿という狐が、考えていることも、白波さんをどう思っているのかも分からなかったけれど。
 もしも、アヤカシがこんなに、切ない想いで生まれてくるのだとしたら。
 なんて、哀しくて、憐れで。そして…………、




 ……シャラン、
 朱塗りの鳥居をくぐろうとした時、どこからか、鈴の音が聴こえて私は瞠目をした。
シャラン、シャランと徐々に大きくなる音に、時間が急に止まったような感覚になって。微かな頭痛に顔をしかめると、頭の中で誰かの声が響いた。






――――そんなにも、アヤカシが好きなのか。八重




 詰問するような、男の言葉が電流のように駆け抜けた。
 どくん、どくんと脈打ちながら、私は振り返る。誰かがいるのではないか、と辺りを見渡すも、境内には相変わらず木々のざわめきと壊れかけの社しかなくて。
 無人の敷地。
 今の言葉は、誰のものであったのかと。その問いに答えられる者もおらず。私は、身震いをして背中が見えなくなりつつある、東雲先輩を追いかけたのだ。
 スポーツバッグに入った神剣、野分は、午後も彼と同行しないことには返してもらえそうにないらしい。
そんな私たちの去りゆく姿は、あの桜にはどう映ったのか。
仲がよく見えるのは我慢ならないけれど、もしも少しは潤いになったのだとすれば……。陰陽師としては失格だけど、それも悪くないと私は笑った。







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