皇国の守護神・青の一族 ~混族という蔑称で呼ばれる男から始まる伝説~
夕刻の出撃 急転からの結末
「ねぇ、これはなんていうの?」
小さな子供の声が聞こえた。
「これはねぇ、ちょうちょって言うのよ」
聞き覚えのある声がそれに続いた。
「ふーん。ちょうちょってきれいだね。おかーさんみたい」
おかーさん。
口を開いたら出てきた声。
この声は、自分のものだったことを思い出した。
そして、おかーさん。
母親。
母親とは何だっけ? とその大人の声の方を見る。
女性のノームがそこにいた。
その顔は覚えている。
よく見えない彼女の顔。影がかかっている。
だが、こっちを見て微笑んでいるのは分かる。
「あ、ちょうちょがもう一匹いるよ」
「おかーさんと、ぼくみたいだね」
「ちょうちょの子供はね、ちょうちょじゃないんだよ」
「ちょうちょじゃないの? どうして?」
「ちょうちょの子供はね、青虫って言う虫なの」
「そっかぁ……。ぼくとおかーさんみたいだね。だってほら、ぜんぜんちがうもの」
「そんなこと、ないよっ」
ノームの女性は覆いかぶさる。
何の心配もいらないと、ずっと一緒にいてあげると、そんな言葉が心に伝わる暖かさを感じた。
「あぁ、そんなことはない。それに、お前のことが大好きだよ。おとーさんばかりじゃない。皆もお前のことが大好きだよ」
その傍らで立っているノームの男性。
おとーさん。
父親。
その男の顔もよく見えない。しかし見覚えはある。
そんな不思議な感覚。
ひょっとして
もう二度と来ることはあり得ない、あの楽しい、幸せな毎日がまたやってくるのか。
諦めていた、幸せな時間を手に入れる夢が叶ったのか。
「あら、何を泣いてるの?」
うれしかった。
ただ、その身をゆだねるだけで十分な時間を再び手にすることが出来たことが。
悲しかった。
本当はこんな思いを持つことはあり得ないと分かっていることが。
突然ちょうちょから火が上がり、すぐに燃え尽きる。
ちょうちょばかりではない。周りも火の手が上がる。
ノームの女性はそのままのしかかる。
「おもいっ。おもいよっ、おかーさんっ! あ、あついっ。あついよっ」
その熱さと重さは耐えられなかった。
そしてふたりのノームの背中からも火の手が上がる
あぁ、このまま熱さに巻き込まれて終わるのか、と自覚する。
誰とも似つかない自分は、本当はどこにも縁のある者がいないこの世界で、周りの者達とは偽りの繋がりしか持てない世界で、孤独のまま終わるのだ、と自覚する。
しかし衝撃を受ける。
その直後、熱さと重さから解放され、自分の身を守る者が現れる。
「……! ……! 大丈夫?!」
エルフの女性。
見覚えのない姿。
今まで自分をそんな風に守ってくれるエルフとか、いたっけかな。
でももういいや。
熱いし、痛いし、どうせ……。……このまま……。
痛い?
なんで?
「心配するな! 私が守ってやる!」
その女性の口から出た声は、どこかで聞き覚えのある声。
でも、誰?
おかーさん?
違う。
誰だ?
お前は、誰だ?!
「……だっ! 聞こ……! ……すっ! ……が分かる……! ……なだ!」
耳元でその声が聞こえる。
慌てている。悲しい響きも一緒に。
その女性はこっちに優しく微笑んでいるはずなのに。
そう思っていたエルフの女性の顔と姿が見えた。
しかしエルフではなく、シルフだった。
そしてその顔は見覚えがある。
その女性の名前は。
「……るすっ! 私だ! ロワーナだ!」
目が開いた。
目は開いていたはずなのに。
「あ……、ぐっ!」
「ギュールス!」
「あ……、かー……さん?」
ロワーナは前を向く。
「意識が混濁しているな。治癒の道具は?」
その先にいるのは、巡回部隊の隊長。
「すいません、今のが全てです」
「いや、すまない。救援に来たはずが迷惑をかけた」
「とんでもない。皆さんが来なかったら全滅していたところでした。まさかの大逆転が起きるとは夢にも思いませんでした」
ロワーナと話をしている見知らぬ兵士達がギュールスの目に入る。
「……だ、団長……? ぅぐっ……」
そこでギュールスはようやく、夢を見ていたことに気付いた。
そして背中の痛みは、気を失う前に受けた傷から発症していることを思い出す。
「ギュールス、何の心配もいらない。動けないならしばらくこのままでいい。痛みはあるだろうが、それ以外に不快な感触とかはないか?」
呼吸が満足にできない。
それでもギュールスの目に入る空には星があるのが見えた。
全身の正面で、何かが上からのしかかるような感覚を感じ、ギュールスは、自分は仰向けで寝ているのがそれで判断できた。
つまり皆は自分を見下ろしているというのが分かる。
「……まさか、俺、団長の……膝枕?」
「そんなことはどうでもいい。動くな。まだ痛むんだろう? ……裂傷を与えるのは刃物として当然だが、まさか痛みのみを与える力を持たせているとは」
ギュールスは痛みを堪えるのがやっと。
会話は出来るだろうが、複雑な内容なら理解は無理。
「巡回部隊をここで交代してもらえるのは、我々としては、情けないようですがありがたいです」
「お前たちのどこが情けないのだ。あれだけの劣勢を、負傷者はいたものの犠牲者なしで収束させたのは初期の対応が適切だったからだ。よく凌いでくれた。交代の巡回部隊に、多めに薬などを持ってこさせるように頼んだから、ゆっくりできる場所ではないがそれでも心と体を休めるがいい」
ギュールスは立ち上がろうともがいている。
それに気付いてロワーナはギュールスに声をかける。
「何をしている」
「い、いや、団長……。彼らも休むんでしょう?」
ギュールスは巡回部隊のことを気に掛ける。
「だからどうした」
「いや……。ただ休むより、ここ……」
ペチッとギュールスの額から可愛げのある音が出る。
ロワーナが軽く平手で叩いた音だ。
「ぐっ」
それが背中にも響いたらしく、苦しい顔をする。
「息も絶え絶えのお前の受けたダメージは、他の者と比べ物にならん。本当は今すぐにでも本部に連れていきたいところだが、そのダメージをここでもう少し何とかしないと、運搬すること自体心配で深刻な事態ということくらいは自覚しろ」
「しかし、こうしてすべてが終わってようやく分かったことですが、彼の献身ぶりには感服いたします。近衛兵師団団長殿の膝枕も、彼への報酬の一つでしょう」
巡回部隊の隊長は真顔でギュールスとロワーナを見る。
真面目な発言なのか冗談なのか区別がつかない。
「……まぁ全員からの証言もなかったら事態の把握が全くできなかった。もれなく報告してくれたおかげで大体分かった。感謝する」
「いえ、それくらいのこと……。にしても『混族』への態度と言いますか……我々も好ましい存在とは思いません。ですが、わざわざ斬って捨てようとまでする者がいるとは思いませんでした。ましてや救援に来た者にですよ?」
ギュールスが受けた傷は背中への刀剣による一撃のみ。
傷跡の数は、他の者の方が圧倒的に多い。
しかし一番苦しんでいるのはギュールスだった。
「私達も何か回復の道具とか他にあればよかったんだけど……」
「単独で行動って報せ来た時にはヤな予感はしてたけど、こんな現実になるとは夢にも……」
第一部隊のメンバーも心配そうにギュールスを覗き込む。
「団長―っ! 引継ぎの巡回部隊が到着しました!」
ケイナとアイミが新たな巡回部隊を連れてやってきた。
ロワーナは彼らが持ってきた回復薬や道具を今や遅しと待っていたが、彼らは余分な荷物は持っていなかった。
その代わり、救護斑を同行させていた。
ロワーナにとっては期待以上の心強い援軍。
まずは簡素な寝具の上にギュールスを寝かせた。
「あぁ、これなら問題ありません。我々が同行して良かったですよ。ここでは痛みを全て消すことは出来ませんが、だいぶ楽にすることは出来るはずです」
救護斑の班長はロワーナにそう告げると手早くギュールスの手当を始める。
彼らの仕事は、ロワーナの期待以上さらに上を行く。
ギュールスの呼吸は荒いが、それでも安定を取り戻した。
「はぁ……、はぁ……。ほ、他の部隊は……?」
気を失ってからは事の成り行き一切が不明。
気になるのは当然のことだった。
「第五部隊は何やら興奮してたようだったが、彼女らはまず先に帰還させた。第一は無事だ。他の五つの部隊も巡回部隊も全員生存。怪我人はいたが問題なし。傭兵部隊は……多分無事だろう」
ギュールスが魔術師を捕獲した後、その場に何とかして駆け付けたロワーナは魔術師に一閃。
スケルトンは一体残らず崩壊、もしくは消滅し、全滅した。
終わってみればオワサワール皇国国軍の圧勝だったが、魔族出現の経緯などの事情は一切不明のまま戦闘にはいった彼女たちにとっては、全滅だけは避けるべくとにかく必死だった。
黒幕を突き止めたのは幸運というレベルではない。
そこに考えが至ったギュールスの大殊勲であった。
そんなギュールスの働きは、その時の第一部隊には全く想像もつかないこと。
飛行部隊と共に苦戦を強いられていた彼女達は、いきなり敵がすべて崩れ去る。
何が裏があるのかと疑心暗鬼になったものの、ロワーナからの連絡で状況を理解した第一部隊は飛行部隊にその旨を伝え、まずは一安心。
林間部隊は林の中に異変を感じ取りその場に急行。そこには辿り着くとそこには既にロワーナが一人の魔術師を打ち倒した後。
傭兵部隊救援の方でのその後は、ギュールスよりも団長の安否を確認することが大事ということで、第五部隊は大急ぎで飛竜の到着場所に向かう。
気を失ったままのギュールスは、一緒に救援した歩行部隊と、なるべくなら『混族』との接触さえも避けたい巡回部隊とで介抱する。
第五部隊は、林間兵部隊と一緒に魔術師の討伐現場にいたロワーナを見つける。
ギュールスとの連携により討伐できたことをロワーナは説明するが、第五部隊はとにかく自分の上司の偉業を褒め称えるのみ。
そこでギュールスの事を第五部隊に尋ねるが、そんなことよりもロワーナが魔術師を倒した経緯を聞きたがる。
彼の作った道具の一つをプレゼントされ、身に付けたティアラについていた通信機能によってギュールスとの連絡をやり取りした結果、現場で何やら問題を抱えていたということを知る。
その彼の姿が見えないことをロワーナは第五部隊に問い詰めるが、ギュールスのことははぐらかそうとする第五部隊。
結果のすべての報告をしようとしない第五部隊に業を煮やしたロワーナ。
魔族の討伐が目的の一つだったこともあり、労をねぎらい体よく現場から彼女達を追い出したかたちにし、ロワーナは他の部隊と共に巡回部隊がいるところに駆けつけた。
「まぁこんなところだ。ま、今回はしばらく養生するんだな。何、お前の功績を考えれば、少しくらい休んでも問題ない」
「す、すいません……」
「ロワーナ団長。彼も大分落ち着いたようです。運搬は可能ですが……」
救護班からの報告を受け、ロワーナは心なしか穏やかな表情で頷く。
彼らが帰還するのを見届けたあと、巡回部隊は引継ぎを完了し、ロワーナは彼らと共に救護班の後に続いて帰途についた。
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