声の神に顔はいらない。

ファーストなサイコロ

264 声になりたい

「すみませんなんていらない……集中して、背筋は伸ばして。台詞を間違う事よりも、キャラになりきった方が……いいと思う」
「はい」

 私の言葉に緑山朝日ちゃんは素直に頷いた。そして再び台詞を喋っていく。でもやっていく内に、なんか一人だとどこかぎこちないなって思った。いつまでもそうだ。どうしてもただ見てるだけの私が気になるらしい。でも見られるってのにも慣れた方が良いとは思う。オーデションだってそうだが、収録でだってずっと見られてるわけだからね。声優の収録で見られてない場面なんてのはない。
 でもそれが無理なら、役に入り込むって事でどうにか出来る人もいる。集中をすれば、周囲なんて気にならなくなるあれである。でもそれにはまだ緑山朝日ちゃんは一人では行けなさそうだ。ああいうのは一定の集中力を超えないといけないからね。
 その線は多分、人によって違うんだと思う。そしてそれを自分で超えられる人も居るけど、そうじゃない人が大半だろう。緑山朝日ちゃんもそうみたい。でもこの前のオーデションを思い出すに、彼女は周囲に引っ張られるタイプだ。なら……

「ちょっと……見せてほしい」
「ど、どうぞ」

 私は台本を横から覗く。そして二人で一つのマイクスタンドの声を出す。

「えっと……」
「良いから……台詞を続けて。他は全部やるから」

 最初は色々と驚いてた様だけど、途中からは緑山朝日ちゃんも集中してきたみたい。なかなか良い感じだ。ちょくちょくアドバイスを送りながら台本の台詞を二人で喋っていく。うん、やっぱり声優は楽しい。ここでの事は何にも残らないけど……

「ありがとうございました! なんか私、掴んだ気がします!」

 そう言って二人でのレッスンは幕を閉じた。緑山朝日ちゃんは吹っ切れた感じだ。何が良かったのか実際よくわからないが、台詞を読んでいく内に、多分キャラを掴むことが出来たんだろう。役に立ててよかった。緑山朝日ちゃんの晴れやかな顔を見てたら、なんか私もちょっと気持ちが上向いて気がする。
 何も残らなかった訳でもない。私がやったことはきっと彼女の中に残った筈だ。こうやって私は私の声で何かを誰かに届けたい。それが声優という手段。

「やっぱり自分自身で届けたいよね」

 たとえ今の私がこの業界にそぐわなくても、誰かの名前ではなく、自分自身の名前でちゃんと届けたい。わがままなんだけどね。本当に声だけで良いのなら、私は静川秋華の影にでもなるのが多分一番なんだと思う。でもそれだけじゃ、やっぱりどこかで満足出来ない自分がいるわけで……私の私と言う存在を少しでもこの業界に残したいって思ってる。まだそれは出来てない。だから……まだ影になりきることは出来ない。

(圧力があっても……私を使いたい。この声に、惚れさせればいい。それが出来ないのなら、きっと本物の声優じゃないから)

 私は覚悟を決めるよ。

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